長短経 / 論士
黄石公曰、“禮者、士之所歸、賞者、士之所死。招其所歸、示其所死、則所求者至矣。”何以明之?魏文侯太子擊禮田子方、而子方不為禮、太子不悅、謂子方曰、“不識貧賤者驕人乎?富貴驕人乎?”子方曰、“貧賤者驕人耳。富貴者安敢驕人?人主驕人而亡其國、大夫驕人而亡其家。貧賤者若不得意、納履而去、安徃而不得貧賤乎?”宋燕相齊、見逐罷歸、謂諸大夫曰、“有能與吾赴諸侯乎?
新字:黄石公曰、“礼者、士之所帰、賞者、士之所死。招其所帰、示其所死、則所求者至矣。”何以明之?魏文侯太子撃礼田子方、而子方不為礼、太子不悦、謂子方曰、“不識貧賤者驕人乎?富貴驕人乎?”子方曰、“貧賤者驕人耳。富貴者安敢驕人?人主驕人而亡其国、大夫驕人而亡其家。貧賤者若不得意、納履而去、安往而不得貧賤乎?”宋燕相斉、見逐罷帰、謂諸大夫曰、“有能与吾赴諸侯乎?
書き下し
黄石公曰く「礼なる者は士の帰する所、賞なる者は士の死する所なり。其の帰する所を招き、其の死する所を示さば、則ち求むる所の者至らん」と。何を以て之を明らかにせん。魏の文侯の太子撃、田子方を礼す。而るに子方は礼を為さず。太子悦ばず、子方に謂いて曰く「識らず、貧賤なる者、人に驕るか。富貴なる者、人に驕るか」と。子方曰く「貧賤なる者、人に驕るのみ。富貴なる者、安くんぞ敢えて人に驕らんや。人主、人に驕りて其の国を亡ぼし、大夫、人に驕りて其の家を亡ぼす。貧賤なる者、若し意を得ずんば、履を納れて去る。安くにか往きて貧賤を得ざらんや」と。宋燕、斉に相たり。逐わるるを見て罷め帰り、諸大夫に謂いて曰く「能く吾れと諸侯に赴く者有りや」と。
現代語訳
黄石公はこう言った。「礼は士が帰属するところであり、賞は士が命を懸けるところである。士が帰属するものを示して招き、命を懸けるものを示せば、求める人材はやって来る」。なぜそう言えるのか。魏の文侯の太子撃が田子方に礼を尽くしたが、子方は礼を返さなかった。太子は不快に思い、子方に言った。「分かりませんが、貧賤な者が人に驕るのですか、それとも富貴な者が人に驕るのですか」。子方は言った。「貧賤な者が人に驕るのです。富貴な者がどうして人に驕れましょう。君主が人に驕れば国を失い、大夫が人に驕れば家を失います。貧賤な者は、意に沿わなければ履物を履いて去るだけです。どこへ行っても貧賤でいられないことはありません」。宋燕が斉の宰相であった。追放されて職を辞して帰り、大夫たちに言った。「私とともに諸侯のもとへ行ってくれる者はいるか」。
解説
この章句が説くこと
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