長短経 / 適変
由是觀之、人智於物、淺矣、而欲以炤海内、存萬物不因道理之數、而専己之能、則其窮不逺。故智不足以為理、勇不足以為強、明矣。然而君人者、在廟堂之上、而知四海之外者、因物以識物、因人以知人也。〔《吕氏春秋》曰、是天無形、而萬物以成、大聖無事、而千官盡能、此謂不教之教、無言之詔也。」〕
新字:由是観之、人智於物、浅矣、而欲以炤海内、存万物不因道理之数、而専己之能、則其窮不遠。故智不足以為理、勇不足以為強、明矣。然而君人者、在廟堂之上、而知四海之外者、因物以識物、因人以知人也。〔《呂氏春秋》曰、是天無形、而万物以成、大聖無事、而千官尽能、此謂不教之教、無言之詔也。」〕
書き下し
是に由りて之を観れば、人の物に於ける智は浅し。而るに以て海内を炤らし万物を存せんと欲して、道理の数に因らず、専ら己の能を用うれば、則ち其の窮すること遠からず。故に智は以て理を為すに足らず、勇は以て強を為すに足らざること明らかなり。然り而して人に君たる者は、廟堂の上に在りて四海の外を知る者は、物に因りて以て物を識り、人に因りて以て人を知ればなり。〈呂氏春秋に曰く「是れ天は形無くして万物以て成り、大聖は事無くして千官尽く能くす。此れ不教の教え、無言の詔と謂うなり」と。〉
現代語訳
ここから見れば、人が物事について持つ知恵は浅い。それなのに天下を照らし万物を保とうとして、道理の筋道によらず、もっぱら自分の能力を用いるなら、行き詰まるまで遠くない。だから智は治めるには足りず、勇は強くするには足りないことがはっきりする。それでも君主が朝廷にいながら四海の外を知れるのは、物によって物を識り、人によって人を知るからである。〈呂氏春秋にこうある。「天は形がないのに万物が成り、大聖は事をなさないのに千の官がすべて働く。これを教えざる教え、言わざる詔という」。〉
解説
自分の智と勇には限界がある、という認識から出発します。それでも朝廷にいながら遠くを知れるのは、物を通じて物を知り、人を通じて人を知るから。自分の目で見る範囲を広げるのではなく、他人の目を経路として使うということです。ここでの無為は怠惰ではなく、自分の感覚器官を組織に置き換える作業でした。上に立つ人の情報の取り方の話です。
この章句が説くこと
適変無為因物識物智勇情報
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