長短経 / 適変
由是觀之、秦人極刑而天下叛、孝武峻法而獄繁。此其弊也。《經》曰、「我無為而人自化、我好静而人自正。」參欲以道化其本、不欲擾其末也。太史公曰、「參為漢相、清靜寡欲言合道義然百姓離秦之酷擾、參與休息無為、故天下俱稱其美矣。」議曰、黄老之風、蓋帝道也。〕
新字:由是観之、秦人極刑而天下叛、孝武峻法而獄繁。此其弊也。《経》曰、「我無為而人自化、我好静而人自正。」参欲以道化其本、不欲擾其末也。太史公曰、「参為漢相、清静寡欲言合道義然百姓離秦之酷擾、参与休息無為、故天下倶称其美矣。」議曰、黄老之風、蓋帝道也。〕
書き下し
是に由りて之を観れば、秦人は極刑にして天下叛き、孝武は峻法にして獄繁し。此れ其の弊なり。経に曰く「我無為にして人自ずから化し、我静を好みて人自ずから正し」と。参は道を以て其の本を化せんと欲し、其の末を擾すを欲せざるなり。太史公曰く「参、漢の相と為り、清静寡欲にして言は道義に合う。然れども百姓は秦の酷擾を離れ、参は与に休息無為たり。故に天下倶に其の美を称うるなり」と。議に曰く、黄老の風は、蓋し帝道なり。〉
現代語訳
ここから見れば、秦は刑を極めて天下に叛かれ、漢の武帝は法を厳しくして牢獄があふれた。これがその弊害である。老子にこうある。「私が何もしなければ民はおのずと化し、私が静けさを好めば民はおのずと正しくなる」。曹参は道によって根本を化そうとし、末端を乱すことを望まなかった。太史公はこう言った。「曹参は漢の宰相となり、清らかで静かで欲が少なく、その言葉は道義に合っていた。しかも民は秦の苛酷な乱れから抜け出たばかりで、曹参は民とともに休息して何もしなかった。だから天下がみなその美点を称えた」。議していう。黄老の風は、おそらく帝の道である。〉
解説
曹参の何もしない政治が称えられた理由を、太史公は条件付きで説明します。民が秦の苛酷さから抜け出たばかりだったから。無為が正解だったのは、直前が過剰だったからです。秦は刑を極めて叛かれ、武帝は法を厳しくして牢獄があふれた。どちらも逆向きの失敗。適変篇の主題どおり、正しさは時によって入れ替わる、という実例になっています。
この章句が説くこと
適変黄老曹参無為秦武帝
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