長短経 / 水火
故知水火之變、可以制勝、其來乆矣。秦人毒涇上流、晉軍多死、荆王燒楚積聚、項氏以擒、曹公決泗于下邳、吕布就戮、黄盖火攻于赤壁、魏祖奔衂此將之至任、盖軍中尤急者矣、不可不察。
新字:故知水火之変、可以制勝、其来久矣。秦人毒涇上流、晋軍多死、荆王焼楚積聚、項氏以擒、曹公決泗于下邳、呂布就戮、黄盖火攻于赤壁、魏祖奔衂此将之至任、盖軍中尤急者矣、不可不察。
書き下し
故に知る、水火の変は、以て勝ちを制すべきこと、其の来たること久し。秦人涇の上流に毒して、晋軍多く死す。荊王楚の積聚を焼きて、項氏以て擒にせらる。曹公泗を下邳に決して、呂布戮に就く。黄蓋赤壁に火攻して、魏祖奔衄す。此れ将の至任にして、蓋し軍中尤も急なる者なり。察せざるべからず。
現代語訳
だから、水と火の変化で勝利を制することができるのは、昔からのことだとわかる。秦の人は涇水の上流に毒を流して、晋の軍に多くの死者を出した。荊王は楚の蓄えを焼いて、項羽は捕らえられた。曹操は下邳で泗水の堤を切って城に注ぎ、呂布は処刑された。黄蓋は赤壁で火攻めをして、魏の曹操は敗走した。これは将軍の最も重い任務で、軍中で最も急を要することである。よく見極めなければならない。
解説
水火の篇は、歴史の実例を並べて締めくくります。川に毒を流した秦、蓄えを焼いて項羽を追い詰めた漢、堤を切って呂布の城を水没させた曹操、そして赤壁で曹操を敗走させた黄蓋の火攻め。どれも、兵の数では劣る側や膠着した戦いで、自然の力を借りて局面を一気に変えた例です。自分の力だけで押し切ろうとせず、環境の力を味方につける発想が、勝敗を決める切り札になってきたのです。
この章句が説くこと
水火赤壁曹操黄蓋環境の力局面転換
関連する章句
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『長短経』三国権周瑜等の水軍三万、劉備と力を并せて曹公を距ぎ、黄蓋の火攻の策を用いて、遂に曹公を赤壁に敗る。〔初め一日交戦し、曹公の軍破れ、退きて江北に引き次る。瑜等は南岸に在り。瑜の部将黄蓋曰く「今、寇は衆く我は寡なし。与に久しきを持し難し。然れども操の軍を観るに、方に船艦を連ね、首尾相接す。焼きて走らすべきなり」と。乃ち蒙衝闘艦数十艘を取り、実たすに薪草を以てし、膏を其の中に灌ぎ、裹むに帷幕を以てし、上に牙旗を建つ。先ず書もて曹公に報じ、欺くに降らんと欲するを以てす。蓋又た予め走舸を備え、各々火船の後ろに繋ぎ、因りて引き次りて俱に前む。曹公の軍の吏士、皆頸を延べて観望し、指さして蓋降ると言う。北軍を去ること二里余り、同時に火を発す。火烈しく風猛く、船の至ること箭の如く、飛埃絶焰、尽く北船を焼き、延きて岸上の営落を焼く。頃之、煙焰天に漲り、人馬焼溺し、死する者甚だ衆し。瑜は軽鋭を率いて尋いで其の後に継ぎ、雷鼓して大いに進む。曹公は曹仁等を留めて江陵を守らしめ、径ちに自ら北に帰る。瑜又た南郡に進み、曹仁と相対し、仁遂に退く。〕
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『長短経』水火火を行うには必ず因有り〔姦人に因るなり〕、烟火素より具う。火を発するに時有り、火を起こすに日有り。時なる者は、天の燥なるなり。日なる者は、宿の箕・壁・参・軫に在るなり。凡そ此の四宿なる者は、風起こるの日なり〔蕭世誠云う「春の丙丁、夏の戊己、秋の壬癸、冬の甲乙、此の日に疾風猛雨有るなり。居りて太乙を勘うるに、中に飛鳥十精有り。風雨の期の如く、五子の元運の式、各々其の時を候い、火を用うべし」と。故に曰く「火を以て攻を佐くる者は明らかなり」と。何を以て之を言う。昔、楊□、桂陽の賊と相会す。□は皮を以て大排囊を作り、石灰を以て囊中に内れ、車上に置き、火燧を作りて、馬尾に繋ぎ、因りて上風より、排囊を鼓して灰を吹く。群賊目を眯す。因りて馬尾を焼き、賊陣に奔突せしむ。衆賊奔潰す。此れ火を用うるの勢いなり。殷浩北伐す。長史江逌、数百の鶏を取りて長縄を以て之を連ね、脚に皆火を繋ぐ。一時に駆放し、群鶏羌の営に飛散し、営皆燃ゆ。因りて之を撃ち、姚襄退走す。此れ火を用うるの勢いなり。李陵、大沢の草中に在り。虜は上風より火を縦つ。陵は下風より火を緩む。此れ火を以て火勢を解くなり。吾聞く、敵門を焼かば、火滅して門開かんことを恐れ、当に更に薪を積みて火を助け、火勢をして滅せざらしむべし、と。亦た火を解くの法なり。〕
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『長短経』水火〔吾兵法を聞く、水を絶てば、必ず水に遠ざかり、敵をして半ば渡らしめて之を撃てば、利あり、と。韓信は半ば渡り、軍佯りて害地に入り、龍且をして之を撃たしめ、然る後に壅水を決す。此れ所謂「利に雑えて務め伸ぶべく、害に雑えて患い解くべし」なり。皆兵を反して兵法を用う。微なるかな、微なるかな。〕盧綰、彭越を佐けて攻め、梁の地十余城を下す。項羽之を聞き、其の大司馬曹咎に謂いて曰く「謹んで成皋を守れ。即し漢戦いを挑むとも、慎みて与に戦うこと勿かれ」と。漢果たして楚の軍に挑む。楚の軍出でず。人をして之を辱めしむ〔孫子曰く、廉潔は、辱むべきなり〕。大司馬怒り、汜〔音は凡〕水を渡る。卒半ば渡る。漢撃ちて、大いに之を破る。此れ戦わんと欲して水に附くの勢いなり。
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『長短経』水火太公曰く「強弩長兵は、水を踰えて戦う所以なり」と。孫子曰く「水は以て絶つべし」と。城に灌ぐを謂うなり。又た曰く「水を絶てば、必ず水に遠ざかれ〔敵を引きて渡らしむるなり〕。客水を絶ちて来たらば、之を水の内に迎え、敵をして半ば渡らしめて之を撃てば、利あり。戦わんと欲せば、水に附きて客を迎うること無かれ。水上に処るの軍を謂う」と。故に曰く「水を以て攻を佐くる者は強し」と。
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『長短経』水火経に曰く「水を以て攻を佐くる者は強く、火を以て攻を佐くる者は明らかなり」と。是に知る、水火なる者は、兵の助けなり。故に火攻に五有り。一に曰く人を火く〔敵の傍近の草、風に因りて之を焼く〕。二に曰く積を火く〔其の積蓄を焼く〕。三に曰く輜を火く〔其の輜重を焼く〕。四に曰く庫を火く〔当に間人をして敵営に之かしめ、其の兵庫を焼かしむべし〕。五に曰く燧を火く〔燧は、墮なり。火を以て敵人の営中に墮すなり。大頭の法は、鉄を以て火を盈たし、箭頭に著け、強弩もて敵の営中に射て、糧道を焼絶するなり〕。
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『長短経』水火何を以て之を言う。昔、韓信臨淄を定め、斉王田広を走らす。楚、龍且をして来たりて斉を救わしむ。斉王広・龍且、軍を并せて信と合戦す〔人或いは龍且に説きて曰く「漢兵は遠く闘い寇戦す。其の鋒当たるべからず。斉楚は自ら其の地に居りて戦う。兵散敗し易し。深く壁し、斉王をして其の信臣を使わして、亡う所の城を招かしむるに如かず。城は其の王在り、楚来たりて救うと聞かば、必ず漢に反せん。漢兵は二千里に客居し、斉の城皆之に反せば、其の勢い食を得る所無く、戦わずして降すべきなり」と。龍且曰く「吾平生韓信の人と為りを知る。与し易きのみ。且つ夫れ戦わずして之を降さば、吾何の功かあらん」と。遂に戦いて、敗る。吾聞く「古の所謂善く戦う者は勝ち、勝ち易き者は敗る。故に善き者の勝つや、智名無く、勇功無し。故に其の戦い勝ちて武ならず。武ならざる者は、其の錯く所勝ち、已に敗るる者に勝つなり」と。龍且は客の計を用いずして、赫赫の功を求めんと欲す。昧し。〕濰水を夾みて陣す。韓信乃ち夜人をして万余の囊を為り、沙を盛りて水の上流を壅がしめ、軍を引きて半ば渡り、龍且を撃ち、佯りて勝たずして、還り走る。龍且果たして喜びて曰く「固より信の怯なるを知る」と。遂に信を追いて水を渡る。信、壅囊を決せしむ。水大いに至る。龍且の軍大半渡るを得ず。即ち急に之を撃ち、龍且を殺す。龍且の水軍東に散走す。此れ反りて半渡の勢いなり。