長短経 / 七雄略
臣之愚計、願舉淮南地以益淮陽、而為梁王立後、割淮陽北邉二、三列城與東郡、以益梁。不可者、可徙代王而都睢陽。梁起於新郪以北、著之河、淮陽包陳以南、犍之江。則大諸侯之有異心者、破膽而不敢謀。梁足以扞齊、趙、淮陽足以禁吳、楚。陛下高枕、終無山東之憂、此萬世之利也。臣聞、聖王言問其臣、而不自造事、故使人臣得畢其愚忠。唯陛下裁幸。」文帝扵是從誼計。迺徙淮陽王武為梁王、北界泰山、西至髙陽、得大縣四十餘城、徙城陽王喜為淮南王、撫其人。後七國反、不得過梁地、賈生之計也。〕
新字:臣之愚計、願舉淮南地以益淮陽、而為梁王立後、割淮陽北邉二、三列城与東郡、以益梁。不可者、可徙代王而都睢陽。梁起於新郪以北、著之河、淮陽包陳以南、犍之江。則大諸侯之有異心者、破胆而不敢謀。梁足以扞斉、趙、淮陽足以禁呉、楚。陛下高枕、終無山東之憂、此万世之利也。臣聞、聖王言問其臣、而不自造事、故使人臣得畢其愚忠。唯陛下裁幸。」文帝扵是従誼計。迺徙淮陽王武為梁王、北界泰山、西至高陽、得大県四十余城、徙城陽王喜為淮南王、撫其人。後七国反、不得過梁地、賈生之計也。〕
書き下し
臣の愚計、願わくは淮南の地を挙げて以て淮陽に益し、而して梁王の為に後を立て、淮陽の北辺の二三の列城と東郡とを割きて、以て梁に益せ。可ならずんば、代王を徙して睢陽に都せしむべし。梁は新郪より以北に起こり、之を河に著け、淮陽は陳を包みて以南、之を江に揵ぐ。則ち大諸侯の異心有る者、胆を破りて敢えて謀らず。梁は以て斉・趙を扞ぐに足り、淮陽は以て呉・楚を禁ずるに足る。陛下枕を高くし、終に山東の憂い無からん。此れ万世の利なり。臣聞く、聖王は言いて其の臣に問い、自ら事を造らず、故に人臣をして其の愚忠を畢くすを得しむ、と。唯だ陛下裁幸せよ」と。文帝是に於て誼の計に従い、迺ち淮陽王武を徙して梁王と為し、北は泰山を界とし、西は高陽に至り、大県四十余城を得しむ。城陽王喜を徙して淮南王と為し、其の人を撫せしむ。後に七国反するも、梁の地を過ぐるを得ず。賈生の計なり。〕
現代語訳
私の考えでは、淮南の地をまるごと淮陽に加え、梁王には跡継ぎを立て、淮陽の北辺の二、三の城と東郡を割いて梁に加えるのがよい。それが無理なら、代王を移して睢陽を都とさせてください。梁は新郪から北へ黄河に届き、淮陽は陳を包んで南へ長江に及ぶ。そうすれば、異心を持つ大諸侯は肝をつぶして謀反を企てられません。梁は斉・趙を防ぐに足り、淮陽は呉・楚を抑えるに足ります。陛下は枕を高くして眠れ、山東の心配はなくなります。これは万世の利です。聖王は臣に問いかけ、自分で事を作らないので、臣は愚かながら忠を尽くせると聞いています。どうか陛下がお決めください」。文帝はこの計に従い、淮陽王劉武を梁王に移し、北は泰山、西は高陽までの大きな県四十余りを与え、城陽王劉喜を淮南王に移して民を慰撫させた。のちに七国が反乱を起こしたが、梁の地を越えられなかった。賈誼の計のおかげである。
解説
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『長短経』七雄略漢興るの初め、海内新たに定まり、同姓寡少なり。亡秦の孤立の敗を懲らし、是に於て疆土を割裂し、爵二等を立つ〔大なる者は王、小なる者は侯〕。功臣の侯たる者、百有余邑。王の子弟を尊び、大いに九国を啓き、国の大なる者は、州に跨り郡を兼ね、城を連ぬること数十。枉を矯めて正しきに過ぐと謂うべし。然れども高祖創業して、日も給するに暇あらず。孝恵は国を享くるの日浅く、高后は女主にして位を摂るも、海内晏然として、狂狡の憂い無し。卒に諸呂の難を折き、太宗の基を成す者も、亦た之を諸侯に頼るなり。夫れ本に原づきて末大なるを以てし、流濫して以て溢るるを致す。小なる者は淫荒にして法を越え、大なる者は睽孤横逆にして、以て身を害し国を喪う。故に文帝、賈生の議を采りて、斉・趙を分かつ。
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『長短経』七雄略〔賈誼曰く「天下の理安からんことを欲せば、衆く諸侯を建てて其の力を少なくするに若くは莫し。力少なければ則ち義を使い易く、国小なれば則ち邪心無し。天下の制をして、身の臂を使い、臂の指を使うが若くならしめよ。陛下、地を割き制を定め、斉・趙・楚をして各々若干の国と為し、其の子孫をして各々祖の分地を受けしめ、地尽きて止めよ。天子は焉に利する所無し」と。又た上疏して曰く「陛下即し制を定めずんば、今の勢いの如くんば、一伝再伝に過ぎずして、諸侯猶お且つ人々恣にして制せず、豪植して大いに強く、漢法行わるるを得ざらん。
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『長短経』七雄略陛下の藩扞と為し、及び皇太子の恃む所の者は、唯だ淮陽・代の二国のみ。代は北のかた匈奴に辺し、強敵と隣を為す。能く自ら完くすれば則ち足れり。而して淮陽の大諸侯に比ぶるや、僅かに黒子の面に著くが如く、適に以て大国の餌と為るに足りて、以て禁禦する所有るに足らず。方今の制は陛下に在り、而して子をして適に以て餌と為らしむ。豈に万代の利と謂うべけんや。
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『長短経』七雄略大王、秦に事えずんば、秦、兵を下して河外を攻め、巻・衍・酸棗に拠り、衛を刧かして陽を取らん。晋なれば則ち趙は南せず。趙、南せずんば則ち梁は北せず。梁、北せずんば則ち縦道絶ゆ。縦道絶ゆれば則ち大王の国、危うき無からんと欲するも、得可からざるなり。秦、韓を折きて梁を攻め、韓は秦に怯え、秦・韓一と為らば、梁の亡ぶること、立ちどころに須つ可し。此れ臣の大王の為に患うる所なり。大王の為に計るに、秦に事うるに如くは莫し。秦に事えば則ち楚・韓は必ず敢えて動かず。楚・韓の患い無くんば、則ち大王、枕を高くして臥し、国、必ず憂い無からん。
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『長短経』七雄略景帝、晁錯の計を用いて、呉・楚を削る。〔晁錯、上に説きて曰く「昔、高帝初めて天下を定むるに、昆弟少なく、諸子弱し。大いに同姓を封ず。故に孽子悼恵王は斉七十二城に王たり、庶弟元王は楚四十城に王たり、兄の子は呉五十余城に王たり。三庶孽を封じ、天下を分かつこと半ばなり。今、呉王は前に太子の隙有りて、輒ち病と称して朝せず。古法に於いて当に誅すべし。文帝忍びず、因りて几杖を賜う。徳至りて厚し。過ちを改め自ら新たにせず、乃ち益々驕恣なり。山に即きて銭を鋳、海を煮て塩と為し、天下の亡人を誘い、乱逆を作さんと謀る。今、之を削るも亦た反し、削らざるも亦た反す。之を削らば反すること亟やかにして禍小さく、削らずんば反すること遅くして禍大なり」と。是に於て漢臣庭に議して呉を削り、呉乃ち反す。〕
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『長短経』七雄略諸侯、地の弱く食の寡なきを料らずして、縦人の甘言好辞を聴く。比周して以て相い飾り、其の主を誑誤す。此に過ぐるは無し。大王、秦に事えずんば、秦、甲を下して宜陽に拠り、韓の地を断たん。東のかた成皋・滎陽を取らば、則ち鴻台の宮、桑林の苑は、王の有に非ざるなり。夫れ成皋を塞ぎ、上地を絶たば、則ち王の国は分かれん。故に大王の為に計るに、秦の為にするに如くは莫し。秦の欲する所、弱むるは楚に如くは莫し。而して能く楚を弱むる者は韓に如くは莫し。韓の能く楚より強きを以てするに非ず。其の勢い然るなり。今、西面して秦に事え、以て楚を攻めば、秦王必ず喜ばん。夫れ楚を攻めて其の地を私し、禍を転じて秦を悦ばす。計、此より便なるは無し」と。宣王、之を聴く。