長短経 / 覇図
初世祖與伯升、鄧晨俱之宛、與穣人蔡少公等讌語。少公頗學圖䜟言劉秀為天子。或曰、「是國師劉秀乎?」世祖笑曰、「何用知非僕耶?」坐者皆大笑、晨心獨喜。後因謂世祖曰、「王莽殘暴、盛夏斬人、此天亡之時。往時㑹宛語、獨當應耶!」世祖笑。及漢兵起、鄧晨遂徃従之。〕世祖於是與通弟李軼起於宛、兄伯升起於舂陵、鄧晨起於新野、㑹衆兵擊長聚。
新字:初世祖与伯升、鄧晨倶之宛、与穣人蔡少公等讌語。少公頗学図䜟言劉秀為天子。或曰、「是国師劉秀乎?」世祖笑曰、「何用知非僕耶?」坐者皆大笑、晨心独喜。後因謂世祖曰、「王莽残暴、盛夏斬人、此天亡之時。往時会宛語、独当応耶!」世祖笑。及漢兵起、鄧晨遂往従之。〕世祖於是与通弟李軼起於宛、兄伯升起於舂陵、鄧晨起於新野、会衆兵撃長聚。
書き下し
初め、世祖、伯升・鄧晨と倶に宛に之き、穣の人蔡少公等と讌語す。少公、頗る図讖を学び、劉秀、天子と為らんと言う。或るひと曰く「是れ国師の劉秀か」と。世祖笑いて曰く「何を用てか僕に非ざるを知らんや」と。坐する者皆な大笑す。晨、心に独り喜ぶ。後、因りて世祖に謂いて曰く「王莽は残暴にして、盛夏に人を斬る。此れ天の亡ぼすの時なり。往時、宛に会して語る、独り当に応ずべきか」と。世祖笑う。漢兵の起こるに及び、鄧晨、遂に往きて之に従う。〉世祖、是に於て通の弟李軼と宛に起こり、兄伯升は舂陵に起こり、鄧晨は新野に起こり、衆兵を会して長聚を撃つ。
現代語訳
はじめ、世祖は伯升と鄧晨とともに宛へ行き、穣の人蔡少公らと宴席で語った。蔡少公はかなり予言書を学んでおり、劉秀が天子になると言った。ある人が「それは国師の劉秀のことか」と言った。世祖は笑って言った。「どうして私ではないと分かるのか」。座の者はみな大笑いした。鄧晨だけが心の中で喜んだ。後に世祖に言った。「王莽は残虐で、真夏に人を斬る。これは天が滅ぼす時です。先ごろ宛で会って語ったこと、あなたが応じるべきではありませんか」。世祖は笑った。漢の兵が起こると、鄧晨はそのまま従った。〉世祖はそこで李通の弟の李軼とともに宛で挙兵し、兄の伯升は舂陵で、鄧晨は新野で挙兵し、兵を合わせて長聚を撃った。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『長短経』覇図世祖光武皇帝、諱は秀、字は文叔、南陽蔡陽の人なり。高皇帝の九代の孫なり。王莽の末、天下、連歳災蝗あり、寇盗蜂起す。〈莽の末、南方饑饉あり。人民、群れて野沢に入り、鳧茈を掘りて食らい、更々相い侵奪す。新市の人王匡、為に争訟を平理す。遂に推されて渠帥と為る。〉時に世祖、吏を新野に避け、因りて穀を宛に売る。宛の人李通、図讖を以て世祖に説く。〈通の父守、讖記を好む。通、素より守の説きて云うを聞く「劉氏復興し、李氏輔と為らん」と。私かに嘗て之を懐く。下江・新市の兵の起こるに及び、通の弟軼、乃ち共に計議して曰く「今、四方擾乱し、新室且に亡びんとす。漢、当に更に興るべし。南陽の宗室、独り劉伯升兄弟のみ汎く愛し衆を容る。与に大事を謀る可し」と。通曰く「吾が意なり」と。会々世祖、事を避けて宛に在り。通、之を聞き、即ち軼を遣わして世祖を迎えしむ。遂に相い約結す。
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『長短経』覇図三輔の豪傑、共に王莽を誅し、首を伝えて宛に詣る。更始、世祖を以て大司馬の事を行わしめ、節を持して北のかた河を渡り、州郡を鎮慰せしむ。〈鄧禹、策を杖つきて北のかた河を渡り、世祖を追う。世祖、禹を見て甚だ歓び、謂いて曰く「我、専ら封拝するを得たり。先生遠く来たる。寧ろ仕えんと欲するか」と。禹曰く「願わざるなり。明公の威徳、四海に加わる。禹、其の尺寸を効し、功名を竹帛に垂れんことを得んのみ」と。世祖笑い、因りて禹を留宿せしむ。進みて説きて曰く「更始、関西に都すと雖も、今、山東未だ安からず。赤眉・青犢の属、動もすれば万を以て数え、三輔に号を仮る者、往往にして群聚す。更始、既に未だ挫かるる所有らずして、自ら聴断せず。諸将は皆な庸人の崛起なり。志は財帛に在り、争いて威力を用い、朝夕自ら快くするのみ。忠良明智にして、深く慮り遠く図り、主を尊び民を安んぜんと欲する者有るに非ざるなり。四方分崩離析し、形勢見る可し。明公、蕃輔の功を建つと雖も、猶お未だ成立す可からざるを恐る。今の計に於ては、英雄を延覧し、務めて人心を悦ばしめ、高祖の業を立て、万人の命を救うを知るに如くは莫し。公を以て之を慮らば、天下定むるに足らざるなり」と。
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『長短経』覇図世祖大いに悦ぶ。広阿に従い至るに及び、輿地図を披きて禹に指示して曰く「天下の郡国は是くの如し。今、始めて其の一を得たり。子、前に言えらく、吾を以て之を慮らば、天下定むるに足らずと。何ぞや」と。禹曰く「今、海内散乱し、人、明君を思うこと、猶お赤子の慈母を慕うがごときなり。古の興る者は、徳の厚薄に在り、小大を以てせず」と。世祖、笑い悦ぶ。又た馮異、世祖に説きて曰く「人、漢を思うこと久し。今、更始の諸将、縦横暴虐にして、至る所虜掠す。百姓失望し、依戴する所無し。今、公、方面を専命す。恩徳を施行せよ。夫れ桀紂の乱有りて、乃ち湯武の功を見る。人、久しく飢渇すれば、充飽を為し易し。宜しく急ぎ官属を分遣し、郡県を巡行し、冤結を理め、恵沢を布くべし」と。世祖、之を納るるなり。〉
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『長短経』覇図赤眉の賊、函関に入り、更始を攻む。世祖、鄧禹を遣わして兵を引きて西し、以て更始・赤眉の乱に乗ぜしむ。〈赤眉の賊樊崇、劉盆子を立てて天子と為し、長安に入り、更始を殺し、関中を寇掠す。〉是に於て諸将、尊号を上る。乃ち有司に命じて壇を鄗南の千秋亭五成陌に設けしめ、皇帝の位に即く。〈諸将、上奏して曰く「漢、王莽に遭い、宗廟廃絶し、豪傑憤怒し、兆人塗炭たり。王と伯升と、首めに義兵を挙ぐ。更始、其の資に因りて以て帝位に拠るも、大統を奉承する能わず、而して綱紀を敗乱し、盗賊日に多く、群生危蹙たり。大王、初め昆陽を征して、王莽自ら潰え、後に邯鄲を抜きて、北州弭定し、天下を三分して其の二を有つ。州に跨がり土に拠り、帯甲百万。武力を言えば則ち之に敢えて抗する莫く、文徳を論ずれば則ち与に辞する所無し。臣聞く、帝王は以て久しく曠しくす可からず、天下は以て謙拒す可からず、と。唯だ大王、社稷を以て計と為し、万姓を以て心と為せ」と。又た彊華、関中より赤伏符を奉じて曰く「劉秀、兵を発して不道を捕らう。四夷雲のごとく聚まり龍、野に闘う。四七の際、火、主と為る」と。然る後に皇帝の位に即く。〉
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『長短経』覇図新市の人王匡等、劉聖公を立てて天子と為し、伯升を害す。〈劉玄、字は聖公、世祖の族兄なり。吏を平林に避く。王匡等、之を立つ。初め、伯升は王莽の漢を簒いしより、常に憤憤として社稷を匡復するの慮を懐く。家人の居業を事とせず、身を傾け産を破りて、天下の雄俊を交結す。王莽の末、盗賊群れ起こる。伯升、諸豪傑を召して計議す。是に於て親客鄧晨をして新野に起こらしめ、世祖・李軼、宛に起こり、伯升、舂陵に発し、子弟七八千人、賓客を部署し、自ら柱天都部と称す。劉嘉をして新市・平林の兵の王匡・陳牧等を誘いて軍を合わせて進ましめ、長聚を屠る。諸将、劉氏を立てて、以て人望に従わんことを議す。豪傑、咸な伯升に帰せんと欲す。而して新市・平林の将帥は放縦を楽しみ、伯升の威明を憚り、聖公の懦弱なるを貪り、先ず策を定めて之を立て、然る後に伯升を召して其の議を示す。
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『長短経』覇図是の時、長安の政乱れ、四方背叛す。皆な之を平らぐ。〈梁王劉永、命を擅にし、睢陽の公孫述、王と称す。巴蜀の李憲、自立して淮南王と為り、秦豊、自ら号して楚黎王と為り、張歩、瑯琊に起こり、董憲、東海に起こり、岑延、漢中に起こり、田戎、夷陵に起こる。並びに将帥を置き、郡県を侵略す。又た赤眉・銅馬の属有り、勝げて計う可からず。初め、銅馬、世祖に降るも、猶お自ら安んぜず。世祖、其の意を知り、敕して各々営に帰りて兵馬を勒せしめ、乃ち自ら軽騎に乗じて部陣を按行す。降る者、更々相い語りて曰く「蕭王は赤心を推して人の腹中に置く。安くんぞ死を投ぜざるを得んや」と。是に由りて悉く服す。