長短経 / 量才
紹以大臣爭權、讒言惑亂、公御下以道、浸潤不行、此明勝、八也。紹是非不可知、公所是、進之以禮、所不是、正之以法、此文勝、九也。紹好為虗勢、不知兵要、公以少尅衆、用兵如神、軍人恃之、敵人畏之、此武勝、十也。」
新字:紹以大臣争権、讒言惑乱、公御下以道、浸潤不行、此明勝、八也。紹是非不可知、公所是、進之以礼、所不是、正之以法、此文勝、九也。紹好為虚勢、不知兵要、公以少尅衆、用兵如神、軍人恃之、敵人畏之、此武勝、十也。」
書き下し
紹は大臣権を争うを以て、讒言惑乱す。公は下を御するに道を以てし、浸潤行われず。此れ明の勝、八なり。紹は是非知る可からず。公は是とする所は之を進むるに礼を以てし、是とせざる所は之を正すに法を以てす。此れ文の勝、九なり。紹は好みて虚勢を為し、兵の要を知らず。公は少を以て衆に克ち、兵を用うること神の如し。軍人は之を恃み、敵人は之を畏る。此れ武の勝、十なり」と。
現代語訳
袁紹のもとでは大臣たちが権力を争い、讒言が惑わし乱れる。公は道によって下を統御するから、水がしみこむような中傷が通用しない。これが明の勝、第八である。袁紹は何を良しとし何を良しとしないかが分からない。公は良しとするものは礼をもって引き上げ、良しとしないものは法をもって正す。これが文の勝、第九である。袁紹は虚勢を張るのを好み、兵の要点を知らない。公は少数で多数に勝ち、兵の用い方が神業のようである。味方の兵は彼を頼み、敵はこれを恐れる。これが武の勝、第十である」。
解説
明の勝の中身が、讒言が通らないことだというのが鋭い。優れた組織の条件を、悪口が効かないことに置いています。浸潤という言葉は、水が布にしみるようにじわじわ効く中傷のことです。これを止めるのは個々の反論ではなく、下を統御する道、つまり一貫した基準でした。文の勝も同じで、良しとするものを礼で上げ、しないものを法で正す。基準が見えていれば、陰口は入り込む隙間を失います。
この章句が説くこと
十勝十敗讒言基準法と礼曹操袁紹
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