長短経 / 三国権
陸抗將死、言於吳王皓曰、「西陵、建平、國之蕃表、處在上流、受敵二境。臣父遜昔垂、沒陳言、西陵、國之西門。如其有虞、當舉國争之。臣愚以為、諸侯王㓜冲未嘗事、乞簡閲壹切、以輔疆塲晋南征大將軍羊祜来朝、宻陳伐吴之計、使王濬治舩於蜀、方舟百餘歩、皆為城郭、門施樓鹵、首畫怪獸、以懼江神。容二千餘人、皆馳馬徃還。及柹流於吴、建平太守吾彦取其流柹以呈吳王曰、「晋必有攻吴之計、冝増建平兵、建平不下、終不敢渡江。」吴王皓不從。彦乃輙為鐡鎻加之錐刺、以斷於江、阻於我也。濬聞之、乃為大筏、縛草為人、伏習流者下、施竹炬以礙鎻錐、乃興師。果如濬䇿、弗之患也。
新字:陸抗将死、言於呉王皓曰、「西陵、建平、国之蕃表、処在上流、受敵二境。臣父遜昔垂、没陳言、西陵、国之西門。如其有虞、当舉国争之。臣愚以為、諸侯王幼沖未嘗事、乞簡閲壱切、以輔疆塲晋南征大将軍羊祜来朝、密陳伐呉之計、使王濬治舩於蜀、方舟百余歩、皆為城郭、門施楼鹵、首画怪獣、以懼江神。容二千余人、皆馳馬往還。及柹流於呉、建平太守吾彦取其流柹以呈呉王曰、「晋必有攻呉之計、冝増建平兵、建平不下、終不敢渡江。」呉王皓不従。彦乃輙為鐡鎻加之錐刺、以断於江、阻於我也。濬聞之、乃為大筏、縛草為人、伏習流者下、施竹炬以礙鎻錐、乃興師。果如濬策、弗之患也。
書き下し
陸抗将に死せんとし、呉王皓に言いて曰く「西陵・建平は国の藩表にして、処は上流に在り、敵を二境に受く。臣の父遜、昔、没するに垂として言を陳ぶ、西陵は国の西門なり。如し其れ虞有らば、当に国を挙げて之を争うべし、と。臣愚以為えらく、諸侯王は幼沖にして未だ嘗て事えず。乞う、簡閲して一切、以て疆場を輔けよ」と。晋の南征大将軍羊祜来朝し、密かに伐呉の計を陳ぶ。王濬をして船を蜀に治めしむ。方舟百余歩、皆城郭と為し、門に楼櫓を施し、首に怪獣を画き、以て江神を懼れしむ。二千余人を容れ、皆馬を馳せて往還す。柹の呉に流るるに及び、建平太守吾彦、其の流柹を取りて呉王に呈して曰く「晋必ず呉を攻むるの計有り。宜しく建平の兵を増すべし。建平下らずんば、終に敢えて江を渡らじ」と。呉王皓従わず。彦乃ち輒ち鉄鎖を為り、之に錐刺を加えて、以て江を断ち、我を阻む。濬之を聞き、乃ち大筏を為り、草を縛りて人と為し、流れに習う者を下に伏せ、竹炬を施して以て鎖錐を礙う。乃ち師を興す。果たして濬の策の如く、之を患えず。
現代語訳
陸抗は死の間際に呉王孫皓に言った。「西陵と建平は国の外垣で、上流にあり、二つの国境で敵を受けます。私の父陸遜は昔、亡くなる前に、西陵は国の西の門だ、もし危うくなれば国を挙げて争うべきだと申しました。私が思うに、諸侯王は幼く、まだ政務に当たったことがありません。どうか兵を選んでこの地に集め、国境を助けてください」。晋の南征大将軍羊祜は来朝して、ひそかに呉を伐つ計を述べた。王濬に蜀で船を造らせた。船をつないで百余歩四方にし、全体を城郭のようにし、門には櫓を設け、船首には怪獣を描いて川の神を恐れさせた。二千余人を乗せ、船上を馬で行き来できた。木くずが呉に流れてくると、建平太守吾彦がそれを拾って呉王に示し、「晋は必ず呉を攻める計画を持っています。建平の兵を増やすべきです。建平が落ちなければ、晋は結局長江を渡れません」と言った。孫皓は従わなかった。吾彦は独断で鉄の鎖を作り、錐のような刺を付けて長江を遮り、晋軍を阻んだ。王濬はこれを聞き、大きないかだを作り、草を縛って人形にし、泳ぎの達者な者を下に潜ませ、竹のたいまつを付けて鎖と錐を焼き払わせた。そして軍を起こした。果たして王濬の策どおり、鎖に悩まされることはなかった。
解説

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