長短経 / 七雄略
〔蘇秦説閔王曰、「臣聞、用兵而喜先人者憂、約結而喜主怨者孤。夫後起者、藉也、而逺怨者、時也。故語曰、『騏驥之衰也、駑馬先之、孟賁之倦也、女子勝之。』夫駑馬女子之筋骨力勁、非賢於騏驥、孟賁也、何則?後起之藉也。臣聞、戰攻之道、非師者、雖有百萬之軍、北之堂上、雖有闔閭、吳起之將、擒之户内、千丈之城、拔之樽俎之間、百尺之衝、折之於席上。故鐘鼓竽瑟之音不絶、地可廣而欲可成、和樂倡優之笑不乏、諸侯可同日而致也。故夫善為王業者、在勞天下而自佚、亂天下而自安。諸侯無成謀、則國無宿憂也。
新字:〔蘇秦説閔王曰、「臣聞、用兵而喜先人者憂、約結而喜主怨者孤。夫後起者、藉也、而遠怨者、時也。故語曰、『騏驥之衰也、駑馬先之、孟賁之倦也、女子勝之。』夫駑馬女子之筋骨力勁、非賢於騏驥、孟賁也、何則?後起之藉也。臣聞、戦攻之道、非師者、雖有百万之軍、北之堂上、雖有闔閭、呉起之将、擒之戸内、千丈之城、抜之樽俎之間、百尺之衝、折之於席上。故鐘鼓竽瑟之音不絶、地可広而欲可成、和楽倡優之笑不乏、諸侯可同日而致也。故夫善為王業者、在労天下而自佚、乱天下而自安。諸侯無成謀、則国無宿憂也。
書き下し
〈蘇秦、閔王に説きて曰く「臣聞く、兵を用いて人に先んずるを喜ぶ者は憂い、結を約して怨みを主るを喜ぶ者は孤なり。夫れ後れて起こる者は、藉なり。而して怨みを遠ざくる者は、時なり。故に語に曰く『騏驥の衰うるや、駑馬之に先んず。孟賁の倦むや、女子之に勝つ』と。夫れ駑馬・女子の筋骨の力の勁きは、騏驥・孟賁より賢れるに非ざるなり。何となれば、後れて起こるの藉なり。臣聞く、戦攻の道は、師に非ざる者、百万の軍有りと雖も、之を堂上に北がしめ、闔閭・呉起の将有りと雖も、之を戸内に擒にし、千丈の城、之を樽俎の間に抜き、百尺の衝、之を席上に折る、と。故に鐘鼓竽瑟の音絶えずして、地は広む可く欲は成る可し。和楽倡優の笑い乏しからずして、諸侯は日を同じくして致す可し。故に夫れ善く王業を為す者は、天下を労して自ら佚し、天下を乱して自ら安んずるに在り。諸侯に成謀無ければ、則ち国に宿憂無きなり。
現代語訳
〈蘇秦は閔王に説いた。「臣が聞くところでは、兵を用いて人に先んじるのを喜ぶ者は憂え、同盟を結んで怨みを引き受けるのを喜ぶ者は孤立する。後から起こる者は、他人の力を元手にできる。怨みを遠ざけられるのは、時機による。だから言葉に『駿馬が衰えれば駄馬が先に行く。孟賁が疲れれば女子が勝つ』とある。駄馬や女子の筋骨が駿馬や孟賁より強いのではない。後から起こるという元手があるからだ。臣が聞くところでは、戦い攻める道は、軍によらない者は、百万の軍があっても堂の上で敗らせ、闔閭や呉起のような将がいても部屋の中で捕らえ、千丈の城を酒席のあいだに落とし、百尺の攻城車を座敷の上で折る、という。だから鐘や鼓や笛の音が絶えないまま、土地は広がり望みは叶う。宴の笑いが絶えないまま、諸侯を同じ日に従わせられる。だから王業をよくなす者は、天下を働かせて自分は楽をし、天下を乱して自分は安んじる。諸侯にまとまった謀がなければ、国に長く続く憂いはない」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
説苑・奉使齊魯を攻む。子貢哀公に見え、吳に救いを求めんことを請う。公曰く、「奚ぞ先君の寶を用いんや。」子貢曰く、「吳をして寶を責めて我に師を與えしむれば、是れ恃むべからざるなり。」是に於て楊幹麻筋の弓六を以て往く。子貢吳王に謂いて曰く、「齊無道を爲し、周公の後をして血食せざらしめんと欲す。且つ魯の賦五百、邾の賦三百なり。識らず此を以て齊を益せば、吳の利ならんか、非ならんか。」吳王懼れ、乃ち師を興して魯を救う。諸侯曰く、「齊周公の後を伐つに、吳之を救う。」遂に吳に朝す。
-
『墨子』魯問魯君、子墨子に謂いて曰く、「吾れ齊の吾を攻めんことを恐る。救う可きか」と。子墨子曰く、「可なり。昔者、三代の聖王、禹・湯・文・武は、百里の諸侯なり。忠を説き義を行いて、天下を取る。三代の暴王、桀・紂・幽・厲は、讐怨し暴を行いて、天下を失う。吾れ願わくは主君の、上は天を尊び鬼に事え、下は百姓を愛し利し、厚く皮幣を為り、辭令を卑くし、函く徧く四隣の諸侯を禮し、國を敺りて以て齊に事えんことを。患い救う可きなり。願うに非ざれば為す可き者無し」と。
-
『学問のすゝめ』初編・国の分限を知らずしかるを支那人などのごとく、わが国よりほかに国なきごとく、外国の人を見ればひとくちに夷狄夷狄と唱え、四足にてあるく畜類のようにこれを賤しめこれを嫌い、自国の力をも計らずしてみだりに外国人を追い払わんとし、かえってその夷狄に窘しめらるるなどの始末は、実に国の分限を知らず、一人の身の上にて言えば天然の自由を達せずしてわがまま放蕩に陥る者と言うべし。王制ひとたび新たなりしより以来、わが日本の政風大いに改まり、外は万国の公法をもって外国に交わり、内は人民に自由独立の趣旨を示し、すでに平民へ苗字・乗馬を許せしがごときは開闢以来の一美事、士農工商四民の位を一様にするの基ここに定まりたりと言うべきなり。
-
孫子・謀攻篇故に上兵は謀を伐つ。その次は交を伐つ。その次は兵を伐つ。その下は城を攻む。
-
説苑・奉使蔡師強・王堅をして楚に使いせしむ。楚王之を聞きて曰く、「人の名章章たる者多し、獨り師強王堅と爲すか。」趣かに之に見えんとし、次を以てせず、其の人の狀を視るに、其の名を疑いて其の聲を醜しとし、又た其の形を惡む。楚王大いに怒りて曰く、「今蔡人無きか。國伐つべきなり。人有りて遣わさざるか。國伐つべきなり。端に此を以て寡人を誡むるか。國伐つべきなり。」故に二使を發するに、三たび伐たんと謀る者を見る、蔡なり。
-
孔子家語・辯物呉王夫差、将に哀公と与に晋侯に見えんとす。子服景伯、使者に対えて曰わく、「王諸侯を合すれば、則ち伯侯牧を率いて以て王に見う。伯諸侯を合すれば、則ち侯子男を率いて以て伯に見う。今諸侯会するに、君と寡君と晋君に見えば、則ち晋成りて伯と為らん。且つ執事伯を以て諸侯を召し、而して侯を以て之れを終うれば、何の利か之れ有らん。」呉人乃ち止む。既にして之れを悔い、遂に景伯を囚う。伯、大宰嚭に謂いて曰わく、「魯将に十月上辛を以て、上帝に事有らんとす、先王季辛にして畢わる。何ぞや、世に職有り、襄より已来之れを改む。若し其れ会せずんば、則ち祝宗将に曰わん、呉実に然りと。」嚭夫差に言い、之れを帰す。子貢之れを聞き、孔子に見えて曰わく、「子服氏の子、説くに拙し。実を以て囚を獲、詐を以て免るるを得たり。」孔子曰わく、「呉子は夷為り、徳は欺く可くして実を以てす可からず。是れ聴く者の蔽いにして、説く者の拙きに非ざるなり。」