長短経 / 覇図
大唐王世充殺越王侗於洛陽、僣稱尊號、隋氏滅矣。〔梁時沙門寳誌為書曰、「牽三來就九、索虜下殿走。意欲東南逰厄在彭城口。」今兹三月、江東童謡曰、「江水何冷冷、楊栁何青青、人今正好樂、已復戍彭城。」牽三就九、十二年也、戍言輸也、呉人謂北人為虜、江都西有彭城村、村有彭城水、上引其水入西閣之下、果於此被執。初、上在江都、聞英雄競起、皆曰、「此乃狂賊、終無所成。」及聞義師起、上方卧驚起曰、「此得之矣!楊廣博覧多聞、而不知學淵為天子、安用聖為?」撫心而歎乆之復卧曰、「王者不死、天自成人也。」〕
新字:大唐王世充殺越王侗於洛陽、僣称尊号、隋氏滅矣。〔梁時沙門宝誌為書曰、「牽三来就九、索虜下殿走。意欲東南遊厄在彭城口。」今茲三月、江東童謡曰、「江水何冷冷、楊栁何青青、人今正好楽、已復戍彭城。」牽三就九、十二年也、戍言輸也、呉人謂北人為虜、江都西有彭城村、村有彭城水、上引其水入西閣之下、果於此被執。初、上在江都、聞英雄競起、皆曰、「此乃狂賊、終無所成。」及聞義師起、上方臥驚起曰、「此得之矣!楊広博覧多聞、而不知学淵為天子、安用聖為?」撫心而嘆久之復臥曰、「王者不死、天自成人也。」〕
書き下し
大唐、王世充、越王侗を洛陽に殺し、僭りて尊号を称す。隋氏滅ぶ。〈梁の時、沙門宝誌、書を為りて曰く「三を牽きて九に就く。索虜、殿を下りて走る。意は東南に遊ばんと欲するも、厄は彭城の口に在り」と。今茲三月、江東の童謡に曰く「江水何ぞ冷冷たる、楊柳何ぞ青青たる。人、今、正に楽しみを好むも、已に復た彭城を戍る」と。三を牽きて九に就くは、十二年なり。戍は輸を言うなり。呉人は北人を謂いて虜と為す。江都の西に彭城村有り、村に彭城水有り。上、其の水を引きて西閣の下に入る。果たして此に於て執えらる。初め、上、江都に在り、英雄競い起こると聞き、皆な曰く「此れ乃ち狂賊なり。終に成す所無からん」と。義師起こると聞くに及び、上、方に臥す。驚き起ちて曰く「此れ之を得たり。楊広は博覧多聞なるも、学の淵きを知らず。天子と為るに、安くんぞ聖を用いんや」と。心を撫して歎ずること久しく、復た臥して曰く「王者は死せず。天、自ら人を成すなり」と。〉
現代語訳
唐の時代、王世充が越王侗を洛陽で殺し、僭って帝号を称した。隋氏は滅んだ。〈梁の時代、僧の宝誌が書いて言った。「三を牽いて九に就く。北の敵は殿を下りて走る。心は東南に遊びたくても、災いは彭城の入口にある」。この年の三月、江東の童謡にこうあった。「川の水はなんと冷ややかで、柳はなんと青いのか。人はいままさに楽しみたいのに、もう彭城の守りに送られる」。三を牽いて九に就くとは十二年である。戍とは送ることをいう。呉の人は北の人を虜という。江都の西に彭城村があり、村に彭城水がある。煬帝はその水を引いて西閣の下に入れた。果たしてそこで捕らえられた。はじめ、煬帝が江都にいて英雄が競い起こると聞いたとき、みな「これは狂った賊だ。何も成せない」と言った。義軍が起こったと聞いたとき、煬帝は横になっていた。驚いて起き上がって言った。「これは本物だ。楊広は博覧多聞だが、学の深さを知らない。天子になるのに、どうして聖であることを用いようか」。胸を撫でて長く嘆き、また横になって言った。「王者は死なない。天がおのずと人を成すのだ」。〉
解説
この章句が説くこと
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