長短経 / 三国権
太史丞許芝又曰、「《易傳曰、『聖人受命而王、黄龍以戊已日見。』七月四日戊寅、黄龍見。此帝王受命之符瑞最著明也。又曰、『聖人以徳親比天下、仁恩洽普、麒麟以戊已日見。厥應聖人受命。』臣聞帝王者、五行之精、昜姓之符、代興之㑹、以七百二十年為一軌。有徳者過於八百、無徳者不及四百載。是以周家八百六十七年、夏家四百數十年。漢行夏正迄今四百二十六嵗。天之歴數、將以盡終。斯皆帝王受命易姓之符瑞也。夫得嵗者、道始興。昔武王伐殷、嵗在鶉火、有周之分野也。髙祖入秦、五星聚於東井、有漢之分野也。今兹嵗在大梁、有魏之分野也。而天之瑞應、並集来臻、伏惟殿下體堯舜之聖明、膺七百之禪代、天下學士所共見也。謹以上聞。」
新字:太史丞許芝又曰、「《易伝曰、『聖人受命而王、黄竜以戊已日見。』七月四日戊寅、黄竜見。此帝王受命之符瑞最著明也。又曰、『聖人以徳親比天下、仁恩洽普、麒麟以戊已日見。厥応聖人受命。』臣聞帝王者、五行之精、昜姓之符、代興之会、以七百二十年為一軌。有徳者過於八百、無徳者不及四百載。是以周家八百六十七年、夏家四百数十年。漢行夏正迄今四百二十六歳。天之歴数、将以尽終。斯皆帝王受命易姓之符瑞也。夫得歳者、道始興。昔武王伐殷、歳在鶉火、有周之分野也。高祖入秦、五星聚於東井、有漢之分野也。今茲歳在大梁、有魏之分野也。而天之瑞応、並集来臻、伏惟殿下体堯舜之聖明、膺七百之禅代、天下学士所共見也。謹以上聞。」
書き下し
太史丞許芝又た曰く「易伝に曰く『聖人命を受けて王たれば、黄龍、戊己の日を以て見る』と。七月四日戊寅、黄龍見る。此れ帝王受命の符瑞、最も著明なり。又た曰く『聖人、徳を以て天下に親比し、仁恩洽普なれば、麒麟、戊己の日を以て見る。厥れ聖人の受命に応ず』と。臣聞く、帝王なる者は五行の精、易姓の符、代興の会は、七百二十年を以て一軌と為す。徳有る者は八百を過ぎ、徳無き者は四百載に及ばず、と。是を以て周家は八百六十七年、夏家は四百数十年。漢は夏正を行いて今に迄るまで四百二十六歳。天の暦数、将に以て尽き終わらんとす。斯れ皆帝王受命易姓の符瑞なり。夫れ歳を得る者は、道始めて興る。昔、武王殷を伐つに、歳は鶉火に在り、周の分野有り。高祖秦に入るに、五星東井に聚まり、漢の分野有り。今茲、歳は大梁に在り、魏の分野有り。而して天の瑞応、並び集まり来たり臻る。伏して惟うに殿下は堯・舜の聖明を体し、七百の禅代に膺る。天下の学士の共に見る所なり。謹んで以て上聞す」と。
現代語訳
太史丞の許芝もまた言った。「『易伝』に『聖人が天命を受けて王となれば、黄龍が戊・己の日に現れる』とあります。七月四日戊寅に黄龍が現れました。これは帝王が天命を受けるしるしとして最も明らかなものです。また『聖人が徳で天下と親しみ、仁と恩が行き渡れば、麒麟が戊・己の日に現れる。それは聖人の受命に応じる』とあります。帝王は五行の精であり、姓が改まるしるしと王朝の交代の巡り合わせは七百二十年を一つの軌道とすると聞きます。徳のある王朝は八百年を超え、徳のない王朝は四百年に及ばない、と。だから周は八百六十七年、夏は四百数十年でした。漢は夏の暦を用いて今まで四百二十六年、天の数はまさに尽きようとしています。これらは皆、帝王が天命を受けて姓が改まるしるしです。歳星を得る者のところで、道は興ります。昔、武王が殷を伐ったとき、歳星は鶉火にあり、それは周の星域でした。高祖が秦に入ったとき、五星が東井に集まり、それは漢の星域でした。いま歳星は大梁にあり、魏の星域です。天のめでたい応えが次々に集まってきています。殿下は堯・舜の聖明を体現し、七百二十年の王朝交代の時に当たっておられます。天下の学者が皆認めるところです。謹んで申し上げます」。
解説

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