長短経 / 三国権
〔三苖國、今岳州是也。蜀相諸葛亮出斜谷、屯渭南。司馬宣王距之。詔宣王、「但堅壁距守、以挫其鋒。彼進不得志、退無與戰、久停則糧盡、虜掠無所獲、則必走矣!走而追之、以逸待勞、全勝之道。」亮送婦人衣以怒宣玉宣王將出戰、辛毗仗節不許、乃止。宣王見亮使、唯問寢食及事繁簡、不及戎事。使荅曰、「笞罰二十已上、皆親覽焉、啖食至數升。」宣王曰、「亮斃矣。」尋果卒也。〕
新字:〔三苖国、今岳州是也。蜀相諸葛亮出斜谷、屯渭南。司馬宣王距之。詔宣王、「但堅壁距守、以挫其鋒。彼進不得志、退無与戦、久停則糧尽、虜掠無所獲、則必走矣!走而追之、以逸待労、全勝之道。」亮送婦人衣以怒宣玉宣王将出戦、辛毗仗節不許、乃止。宣王見亮使、唯問寝食及事繁簡、不及戎事。使荅曰、「笞罰二十已上、皆親覧焉、啖食至数升。」宣王曰、「亮斃矣。」尋果卒也。〕
書き下し
〔三苗国は、今の岳州是れなり。蜀の相諸葛亮、斜谷を出でて、渭南に屯す。司馬宣王之を距ぐ。宣王に詔して「但だ壁を堅くして距ぎ守り、以て其の鋒を挫け。彼、進みて志を得ず、退きて与に戦う無く、久しく停まれば則ち糧尽き、虜掠するも獲る所無ければ、則ち必ず走らん。走りて之を追い、逸を以て労を待つは、全勝の道なり」と。亮、婦人の衣を送りて以て宣王を怒らしむ。宣王将に出でて戦わんとす。辛毗、節に仗りて許さず。乃ち止む。宣王、亮の使いを見て、唯だ寝食及び事の繁簡を問い、戎事に及ばず。使い答えて曰く「笞罰二十已上は、皆親ら覧る。啖食は数升に至る」と。宣王曰く「亮、斃れん」と。尋いで果たして卒するなり。〕
現代語訳
〔三苗の国は今の岳州である。蜀の丞相諸葛亮は斜谷を出て渭水の南に陣取った。司馬懿がこれを防いだ。魏の皇帝は司馬懿に詔した。「ただ砦を固くして守り、その鋭鋒をくじけ。敵は進んでも思いどおりにならず、退いても戦う相手がなく、長くとどまれば兵糧が尽き、略奪しても得るものがなければ、必ず引き上げる。引き上げるところを追い、休んだ兵で疲れた兵を待つのが、完全に勝つ道だ」。諸葛亮は女の服を送って司馬懿を怒らせようとした。司馬懿は出て戦おうとしたが、辛毗が天子の節を掲げて許さず、思いとどまった。司馬懿は諸葛亮の使者に会うと、寝食と仕事の忙しさだけを尋ね、軍事のことは聞かなかった。使者は答えた。「笞打ち二十以上の罰はすべて自ら目を通されます。食事は数升ほどです」。司馬懿は言った。「諸葛亮はもうすぐ倒れる」。まもなく果たして亡くなった。〕
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『長短経』君徳〔呉の張儼の黙記に、諸葛亮・司馬宣王二相の優劣を論じて曰く「漢朝傾覆し天下分崩す。二公並びに際会に遭値し、身を明主に託す。孔明は蜀漢の地に起こり、一州の土を蹈む。之を大国に方ぶれば、蓋し九分の一有るなり。歩卒数万を提げ、祁山に長駆し、慨然として馬に河雒に飲ましむるの志有り。仲達は天下十倍の地に拠り、兼并の衆を仗み、牢城に拠り、精鋭を擁す。而れども敵を擒にするの意無く、務めて自ら保つのみ。彼の孔明をして此くの若くにして亡びざらしめば、則ち涼・雍は甲を解かず、中国は鞍を釈かざらん。勝負の勢い、亦た已に決せり。之を司馬に方ぶれば、亦た優らずや」と。〕
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『長短経』三国権時に司徒華歆・司空王朗等、諸葛亮に書を与え、天命を陳べて、国を挙げて藩と称せしめんと欲す。亮、書に答えず、正議を作りて曰く「昔、項羽に在りては、起こるに徳に由らず。華夏に処り、帝者の勢いを秉ると雖も、卒に湯鑊に就き、後来の戒めと為る。魏は審らかに鑑みず、今之に次ぐ。身を免るるを幸いと為すも、戒めは子孫に在り。而るに二三子、多く蘇・張の詭靡の説を逞しくし、驩兜の滔天の辞を奉進し、以て唐帝を誣毀し、禹・稷を諷解せんと欲す。所謂徒に文藻を懐き、翰墨を煩労するもの、大雅の君子の為さざる所なり。又た軍志に曰く『万人必死なれば、天下に横行す』と。昔、軒轅氏は卒数万を整えて、四方を制し海内を定む。況んや数十万の衆を以て、正道に拠りて有罪に臨むをや。干擬すべけんや」と。亮死して後、魏は鄧艾をして蜀を伐たしめ、蜀兵敗る。後主、譙周の策を用いて魏に降る。
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『長短経』三国権葛生云える有り『事済らずんば即ち亡ぶのみ。安んぞ能く復た之が下と為らん』と。壮なるかな斯の言。以て懦夫の志を立つべし。古の燕・斉・荊・越の敗を観るに、或いは国覆り主滅び、或いは魚のごとく懸かり鳥のごとく竄るも、終に能く功を建て事を立て、社稷を康復す。豈に天助と曰わんや。抑も人謀なり。向使し苟存の計を懐き、譙周の言を納れば、何ぞ頽基の能く搆え、令名の獲べけんや。禅は既に闇主にして、周は実に駑臣なり。之を申包胥・田単・范蠡・大夫種に方ぶるに、亦た遠からずや」と。〕
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『長短経』三国権景元の始め、鄧艾を以て鎮西将軍と為し、蜀の将姜維を距がしむ。維の軍敗れ、退きて剣閣を守る。鍾会、維を攻めて克つこと能わず。乃ち上言して曰く「今、賊摧折す。宜しく遂に之に乗ずべし。陰平より邪径に由りて漢の徳陽亭を経、涪に趣き、剣閣の西百里に出づれば、成都を去ること三百余里。奇兵其の腹心を衝かば、剣閣の守りは必ず還りて涪に赴かん。則ち会は方軌して進まん。剣閣の軍還らずんば、則ち涪に応ずるの兵寡なからん。軍志に之有り『其の備え無きを攻め、其の不意に出づ』と。今、其の空虚を掩わば、之を破ること必せり」と。冬十月、艾、陰平より無人の地を行くこと七百余里、山を鑿ちて道を通ず。山高く谷深し。艾は氈を以て自ら裹み、推転して下る。将士皆木に攀じ崖に縁り、魚貫して進む。先登して江由に至る。蜀の将諸葛瞻、涪より還りて綿竹に陣を列ねて艾を待つ。艾、子の忠等を遣わして出戦せしめ、大いに之を破り、瞻を斬る。軍を進めて雒県に到る。劉禅遂に降る。
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『長短経』三国権魏の嘉平中、孫権死す。征南大将軍王昶・征東大将軍胡遵・鎮南将軍毌丘倹等、表して呉を征せんとす。朝廷、三征の計の異なるを以て、詔して尚書傅嘏に訪う。嘏対えて曰く「昔、夫差は斉に勝ち晋を陵ぎ、威は中国に行わるるも、以て姑蘇の禍を免るること能わず。斉閔は土を辟き国を兼ね、地を開くこと千里なるも、以て顛覆の敗を救うに足らず。始め有るは必ずしも善く終わらざること、古事の明効なり。孫権は蜀を破り荊州を兼ねしより後、志盈ち欲満ち、凶亢已に極まる。相国宣・文王は先ず乱を取り亡を侮るの義を識り、深く宏図大挙の策に達す。今、権已に死し、孤を諸葛恪に託す。若し権の苛暴を矯め、其の虐政を蠲き、民酷烈を免れ、新恵に偸安し、外内慮りを斉しくし、同舟の懼れ有らば、終に自ら保完すること能わずと雖も、猶お以て期を延べ命を深江の外に挺くするに足らん。
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『長短経』三国権蜀の地は険しからざるに非ず。高山は雲霓を尋ね、深谷は無景を肆にし、馬を束ね車を懸けて、然る後に能く済る。皆一夫戟を荷えば千人も当たる莫しと言う。兵を進むるの日に及びて、曽て藩籬の限り無く、将を斬り旗を搴り、伏屍数万、勝ちに乗じて席巻し、径ちに成都に至る。漢中の諸城、皆鳥のごとく棲みて敢えて出でず。皆戦う心無きに非ず、誠に力相抗するに足らざればなり。劉禅降服するに至り、諸々の営堡の者、索然として俱に散ず。今、江淮の難は剣閣に過ぎず、山川の険は岷漢に過ぎず。孫皓の暴は劉禅より侈に、呉越の困は巴蜀より甚だし。而して大晋の兵衆は前世より多く、資儲器械は往時より盛んなり。今、此に於て呉を平らげずして、更に兵を阻みて相守らば、征夫は苦役し、日に干戈を尋ね、盛衰を経歴し、長久なるべからず。宜しく時に当たりて定め、以て四海を一にすべし。今、若し梁・益の兵を引きて、水陸俱に下り、荊楚の衆は進みて江陵に臨み、平南・豫州は直ちに夏口を指し、徐・揚・青・兗は並びに秣陵に向かい、鼓旆して以て之を疑わしめ、多方にして以て之を誤らしめば、一隅の呉を以て、天下の衆に当たり、勢い分かれ形散じ、備うる所皆急ならん。巴・漢の奇兵、其の空虚に出で、一処傾壊すれば則ち上下震蕩せん。