長短経 / 君徳
諸王師友、文學、亦取豪族力能得者、豈有切磋、能相長益?今遹言語悖逆、受罪之日、不失子道、尚可重選師傅。置逰談文學、皆選寒門孤宦、以學行自立者、及涉履艱難、名行素立者、使與遊處。絶貴戚子弟、輕薄賔客、但道古今孝子事親、忠臣事君、及思愆改過、皆聞善道、庶幾可全。」由此觀之、故太子者、選左右、俾諭教之、最急也。〕
新字:諸王師友、文学、亦取豪族力能得者、豈有切磋、能相長益?今遹言語悖逆、受罪之日、不失子道、尚可重選師傅。置遊談文学、皆選寒門孤宦、以学行自立者、及渉履艱難、名行素立者、使与遊処。絶貴戚子弟、軽薄賓客、但道古今孝子事親、忠臣事君、及思愆改過、皆聞善道、庶幾可全。」由此観之、故太子者、選左右、俾諭教之、最急也。〕
書き下し
諸王の師友・文学も、亦た豪族の力能く得る者を取る。豈に切磋有りて、能く相い長益せんや。今、遹の言語悖逆なり。罪を受くるの日、子道を失わず。尚お師傅を重ねて選ぶ可し。遊談・文学を置くに、皆な寒門孤宦・学行を以て自立する者、及び艱難を渉り履み、名行素より立つ者を選び、与に遊処せしめよ。貴戚の子弟・軽薄の賓客を絶ち、但だ古今の孝子の親に事え、忠臣の君に事うることを道い、及び愆を思い過ちを改めしめば、皆な善道を聞き、庶幾くは全くす可し」と。此に由りて之を観れば、故に太子なる者は、左右を選び、俾て之を諭教せしむるは、最も急なり。〕
現代語訳
諸王の師友や文学の官も、豪族で力があって手に入れられる者から取っています。どうして切磋琢磨があって、互いを伸ばし合えましょう。いま遹の言葉は道に背いています。しかし罪を受けた日、子としての道は失いませんでした。まだ師傅を選び直すことができます。遊談や文学の官を置くには、みな寒門で後ろ盾のない官人で学問と行いで自立した者、および困難をくぐり抜けて名と行いがもともと立っている者を選び、ともに過ごさせなさい。貴族の子弟や軽薄な食客を断ち、ただ古今の孝子が親に仕え、忠臣が君に仕えたことを語り、過ちを思い改めさせれば、みな善い道を聞いて、おそらく全うできましょう」。ここから見れば、太子については、側近を選んでこれを諭し教えさせることが、最も急を要する。〕
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『長短経』君徳〔議に曰く、賈生云う「昔、成王幼くして襁褓の中に在るとき、召公は太保と為り、周公は太傅と為り、太公は太師と為る。保は其の身体を保んじ、傅は之に徳義を傅え、師は之を教訓に導く。此れ三公の職なり。又た三少を置く。少傅・少保・少師と曰う。是れ太子と晏する者なり。乃ち孩抱にして識有れば、三公・三少は固より孝・仁・義・礼を明らかにして以て之を導き習わしむ。逐うて邪人を去り、悪行を見しめず。天下の端士・孝悌・博聞・道術有る者を選びて以て之を翼衛し、太子と居処せしむ。故に太子は乃ち生まれて正事を見、正言を聞き、正道を行う。左右前後、皆な正人なり。夫れ習いて正人と居らば、正しからざる能わず。猶お斉の地に生長すれば、斉言せざる能わざるがごとし。習いて不正の人と居らば、猶お楚の地に生長すれば、楚言せざる能わざるがごとし。
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貞観政要・尊敬師傅臣聞く、四方を郊迎するは、孟侯の徳を成す所以なり。学に齒して三たび譲るは、元良の是に由りて貞を作す。斯れ皆な主祀の尊を屈し、下交の義を申(の)ぶ。故に芻言も咸な薦むるを得、睿問も旁く通ず。軒庭を出でずして、坐して天壌を知る。茲の道に率由し、永く鴻基を固くする者なり。生まれて深宮の中に在り、長じて婦人の手に在るが若きに至りては、未だ曾て憂懼を識らず、風雅を暁(さと)る由無し。復た神機測られず、天縦の生知なりと雖も、而も物を開き務を成すは、終に外の獎(すす)めに由る。夫の彼の干籥を崇び、茲の謡頌を聴くに匪(あら)ずんば、何を以て庶類を辨章し、彜倫を甄覈(けんかく)せんや。歴(あまね)く聖賢を考うるに、咸な玉を琢くに資る。是の故に周の儲は上哲なるも、望・奭を師として裕(ゆたか)さを加う。漢の嗣は深仁なるも、園・綺を引きて徳を昭らかにす。原(たず)ぬるに夫れ太子は、宗祧の是れ係る所なり。善悪の際、興亡斯に在り。始めに勤めずんば、将に終わりに悔いん。是を以て晁錯は書を上りて、政術に通ぜしめんとす。賈誼は策を献じて、礼教を知るに務む。窃かに惟うに、皇太子は玉裕挺生し、金声夙に振るう。明允篤誠の美、孝友仁義の方、皆な天姿より挺(ぬき)んず。審諭を労するに非ず。固より華夷は徳を仰ぎ、翔泳も風を希(ねが)う。然らば則ち寝門に膳を視るは、已に三朝に表る。芸宮に道を論ずるは、宜しく四術に弘むべし。春秋に富むと雖も、躬を飭(つつし)むこと漸有り。実に恐る、歳月は往き易く、業を墮ちて譏りを興し、適を晏安に取ること、此より始まらんことを。臣は愚短を以て、幸いに侍従に参ず。儲明を広めんことを思い、暫く聞徹せんことを願う。敢えて曲げて故事を陳べず。切に請う、聖徳を以て之を言わん。
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