長短経 / 覇図
隋髙祖姓楊氏、名堅、周武帝初為隋州刺史、女為太子妃。周宣帝立、拜為大司馬。宣帝崩、立靖帝、進爵為隋王。遂禪位焉、改號九年、平陳、廢太子勇為庶人、立晉王廣為皇太子。髙祖崩、太子即位〔是為煬帝。〕煬帝無道、盗賊蜂起。十三年幸江都、李宻設壇於鞏、自署為魏公〔宻、遼東人、蒲山公寛之子也。少倜儻有大志、常有思亂之心。與楊𤣥感為刎頸交、𤣥感以勢凌之。宻怒曰、「决機兩陣之間、喑啞叱咤、三軍披靡、邀功一時、宻不如公、若渉彼長途、驅䇿賢俊、使各申其用、公不如宻。豈可以一階一級而輕天下士大夫耶?」及𤣥感反、宻歸之、為其謀主。後𤣥感敗、宻變姓名、奔翟譲譲立宻為魏公、開幕府、置僚屬、有九十餘萬人。〕
新字:隋高祖姓楊氏、名堅、周武帝初為隋州刺史、女為太子妃。周宣帝立、拝為大司馬。宣帝崩、立靖帝、進爵為隋王。遂禅位焉、改号九年、平陳、廃太子勇為庶人、立晋王広為皇太子。高祖崩、太子即位〔是為煬帝。〕煬帝無道、盗賊蜂起。十三年幸江都、李密設壇於鞏、自署為魏公〔密、遼東人、蒲山公寛之子也。少倜儻有大志、常有思乱之心。与楊玄感為刎頸交、玄感以勢凌之。密怒曰、「決機両陣之間、喑唖叱咤、三軍披靡、邀功一時、密不如公、若渉彼長途、駆策賢俊、使各申其用、公不如密。豈可以一階一級而軽天下士大夫耶?」及玄感反、密帰之、為其謀主。後玄感敗、密変姓名、奔翟譲譲立密為魏公、開幕府、置僚属、有九十余万人。〕
書き下し
隋の高祖、姓は楊氏、名は堅。周の武帝の初め、隋州刺史と為り、女は太子妃と為る。周の宣帝立ち、拝して大司馬と為す。宣帝崩じ、靖帝を立て、爵を進めて隋王と為す。遂に位を禅る。号を改めて九年、陳を平らぐ。太子勇を廃して庶人と為し、晋王広を立てて皇太子と為す。高祖崩じ、太子即位す。〈是を煬帝と為す。〉煬帝、無道にして、盗賊蜂起す。十三年、江都に幸す。李密、壇を鞏に設け、自ら署して魏公と為す。〈密は遼東の人、蒲山公寛の子なり。少くして倜儻にして大志有り。常に乱を思うの心有り。楊玄感と刎頸の交わりを為す。玄感、勢いを以て之を凌ぐ。密怒りて曰く「機を両陣の間に決し、喑啞叱咤して三軍を披靡せしめ、功を一時に邀うるは、密、公に如かず。若し彼の長途を渉り、賢俊を駆策して、各々其の用を申べしむるは、公、密に如かず。豈に一階一級を以て天下の士大夫を軽んず可けんや」と。玄感の反するに及び、密、之に帰し、其の謀主と為る。後、玄感敗れ、密、姓名を変じて、翟譲に奔る。譲、密を立てて魏公と為す。幕府を開き、僚属を置く。九十余万人有り。〉
現代語訳
隋の高祖は姓を楊氏、名を堅という。周の武帝の初めに隋州刺史となり、娘が太子妃となった。周の宣帝が立つと、大司馬に任じられた。宣帝が崩じて靖帝を立て、爵を進めて隋王となった。そして位を禅った。改元して九年、陳を平らげた。太子勇を廃して庶人とし、晋王広を皇太子とした。高祖が崩じて太子が即位した。〈これが煬帝である。〉煬帝は無道で、盗賊が蜂起した。十三年、江都へ行幸した。李密は鞏に壇を設け、自ら魏公と称した。〈李密は遼東の人で、蒲山公李寛の子である。若くして気宇壮大で、大志があった。常に乱を望む心があった。楊玄感と刎頸の交わりを結んだ。楊玄感は勢いを笠に着て李密を見下した。李密は怒って言った。「両軍のあいだで機を決し、怒鳴りつけて三軍をなびかせ、一時の功を得ることでは、私はあなたに及ばない。しかし長い道のりを渡り、優れた人材を使いこなして、それぞれの力を発揮させることでは、あなたが私に及ばない。どうして位の一階級ごときで天下の士大夫を見下せようか」。楊玄感が反すると、李密はこれに帰し、その参謀の長となった。後に楊玄感が敗れ、李密は姓名を変えて翟譲のもとへ走った。翟譲は李密を魏公に立てた。幕府を開き、僚属を置いた。九十余万人がいた。〉
解説

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