長短経 / 品目
〔油然、不進之貎也。越、過也。孫卿曰、「夫君子能為可貴、不能使人必貴已能為可信、不能使人必信已能為可用、不能使人必用已故君子恥不脩、不恥見汙恥不信、不恥不見信、恥不能、不恥不見用。不誘於譽、不怨於誹、率道而行、端然正已謂之君子也。」〕
新字:〔油然、不進之貎也。越、過也。孫卿曰、「夫君子能為可貴、不能使人必貴已能為可信、不能使人必信已能為可用、不能使人必用已故君子恥不脩、不恥見汙恥不信、不恥不見信、恥不能、不恥不見用。不誘於誉、不怨於誹、率道而行、端然正已謂之君子也。」〕
書き下し
〔油然は進まざるの貌なり。越は過ぐるなり。孫卿曰く「夫れ君子は貴ぶ可きを為すを能くするも、人をして必ず己を貴ばしむる能わず。信ず可きを為すを能くするも、人をして必ず己を信ぜしむる能わず。用う可きを為すを能くするも、人をして必ず己を用いしむる能わず。故に君子は修めざるを恥じて、汚さるるを恥じず。信ならざるを恥じて、信ぜられざるを恥じず。能わざるを恥じて、用いられざるを恥じず。誉に誘われず、誹を怨まず、道に率いて行い、端然として己を正す。之を君子と謂うなり」と。〕
現代語訳
〔油然とは、進み出ない様子である。越とは追い越すことである。荀子はこう言う。「君子は貴ばれるに値する自分を作ることはできるが、人に必ず自分を貴ばせることはできない。信じられるに値する自分を作ることはできるが、人に必ず自分を信じさせることはできない。用いられるに値する自分を作ることはできるが、人に必ず自分を用いさせることはできない。だから君子は、自分を修めていないことを恥じて、人に汚されることを恥じない。自分に誠がないことを恥じて、人に信じられないことを恥じない。自分にできないことを恥じて、人に用いられないことを恥じない。褒め言葉に釣られず、そしりを怨まず、道に従って行い、端然として自分を正す。これを君子という」。〕
解説
荀子の名高い一段です。三つの対がすべて、自分の側と相手の側を切り分けています。貴ばれるに値するかは自分の問題、貴ぶかどうかは相手の問題。前者だけを恥の対象にする、と決めた人が君子だというのです。評価されないことに傷つくのは、相手の領分まで自分の責任に数えているからで、荀子はそこをきっぱり手放させます。誉に誘われず、誹を怨まず。褒められても動かず、けなされても怨まない心は、この切り分けから生まれます。
この章句が説くこと
君子恥評価自分の軸荀子名誉
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