長短経 / 将体
危者安之、懼者懽之、叛者還之〔將有不合去者、慰誘還之、若蕭何追韓信。、〕寃者原之、訴者察之、卑者貴之〔士卒若卑賤者、貴之。昔吴起下與士卒同衣食是也。、〕强者抑之、敵者殘之〔卑中有賤、而敵貴者、亂上下之禮、殘殺之。、〕貪者豐之〔懸賞以豐其心、所以使貪。、〕欲者使之〔臨敵將戰、有欲立功名、有欲利敵人者、皆許而使之、所謂使勇使貪。、〕畏者隠之〔士卒有所畏懼者、隠蔽于後、勿使為軍鋒、軍敗由鋒怯。、〕謀者近之、讒者覆之〔有讒鬬者、覆亡之。、〕毁者復之〔官職有毁廢者、則修而復之。、〕反者廢之、横者挫之、服者活之〔首服罪者、活之。、〕降者說之〔説、含〕
新字:危者安之、懼者懽之、叛者還之〔将有不合去者、慰誘還之、若蕭何追韓信。、〕冤者原之、訴者察之、卑者貴之〔士卒若卑賤者、貴之。昔呉起下与士卒同衣食是也。、〕強者抑之、敵者残之〔卑中有賤、而敵貴者、乱上下之礼、残殺之。、〕貪者豊之〔懸賞以豊其心、所以使貪。、〕欲者使之〔臨敵将戦、有欲立功名、有欲利敵人者、皆許而使之、所謂使勇使貪。、〕畏者隠之〔士卒有所畏懼者、隠蔽于後、勿使為軍鋒、軍敗由鋒怯。、〕謀者近之、讒者覆之〔有讒闘者、覆亡之。、〕毀者復之〔官職有毀廃者、則修而復之。、〕反者廃之、横者挫之、服者活之〔首服罪者、活之。、〕降者説之〔説、含〕
書き下し
危うき者は之を安んじ、懼るる者は之を懽ばせ、叛く者は之を還し〔将に合わずして去る者有らば、慰誘して之を還す。蕭何の韓信を追うが若し〕、冤なる者は之を原し、訴うる者は之を察し、卑しき者は之を貴び〔士卒の卑賤なる者の若きは、之を貴ぶ。昔、呉起の下りて士卒と衣食を同じくせしは是れなり〕、強き者は之を抑え、敵する者は之を残い〔卑中に賤有りて、貴に敵する者は、上下の礼を乱す。之を残殺す〕、貪る者は之を豊かにし〔賞を懸けて以て其の心を豊かにす。貪を使う所以なり〕、欲する者は之を使い〔敵に臨みて将に戦わんとするに、功名を立てんと欲する有り、敵人を利せんと欲する有り。皆許して之を使う。所謂勇を使い貪を使うなり〕、畏るる者は之を隠し〔士卒に畏懼する所有る者は、後に隠蔽し、軍鋒と為さしむること勿かれ。軍の敗るるは鋒の怯なるに由る〕、謀る者は之に近づき、讒する者は之を覆し〔讒闘する者有らば、之を覆亡す〕、毀るる者は之を復し〔官職に毀廃する者有らば、則ち修めて之を復す〕、反する者は之を廃し、横なる者は之を挫き、服する者は之を活かし〔首めて罪に服する者は、之を活かす〕、降る者は之を説ばす〔説は、含〕。
現代語訳
危うい者は安心させ、恐れる者は喜ばせ、背こうとする者は呼び戻し〔将と合わずに去ろうとする者がいれば、慰めて誘い戻す。蕭何が韓信を追いかけたようなもの〕、無実の罪の者は許し、訴える者はよく調べ、身分の低い者は尊び〔身分の低い兵を尊ぶ。昔、呉起がへりくだって兵と衣食を同じくしたのがそれである〕、強すぎる者は抑え、上に逆らう者は除き〔卑しい身分なのに貴い者に張り合う者は上下の礼を乱すので、除く〕、欲深い者には豊かに与え〔賞を懸けて心を満たす。欲深い者を使う方法である〕、望みのある者は使い〔敵に臨んで戦うとき、功名を立てたい者、敵から利を得たい者がいれば、皆許して使う。いわゆる勇者を使い欲深い者を使うということ〕、恐れる者は後ろに隠し〔恐れている兵は後ろに回し、先鋒にしてはならない。軍が敗れるのは先鋒が臆病だからである〕、謀のある者は近づけ、讒言する者は退け〔讒言して争わせる者は除く〕、壊れた職は立て直し〔官職で壊れたり廃れたりしたものは修めて元に戻す〕、背いた者は退け、横暴な者はくじき、服従した者は生かし〔自ら進んで罪に服した者は生かす〕、降伏した者は喜ばせる〔説とは包み込むこと〕。
解説

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史記 呉王濞列伝然れども其の国に居るや、銅塩の故を以て、百姓に賦無し。卒の践更するには、輒ち平賈を与ふ。歳時に茂材を存問し、閭里に賞賜す。佗の郡国の吏来りて亡人を捕へんと欲する者あれば、訟ひて共に禁じて予へず。此の如き者四十余年、故を以て能く其の衆を使ふ。
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三略・上略夫れ主将の法は、務めて英雄の心を攬り、功有る者に賞禄し、志を衆に通ずるにあり。故に衆と好を同じくすれば、成らざるは靡く、衆と悪を同じくすれば、傾かざるは靡し。国を治め家を安んずるは、人を得ればなり。国を亡ぼし家を破るは、人を失えばなり。含気の類、咸な其の志を得んことを願う。
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呂氏春秋・用民⑥夙沙の民は、自ら其の君を攻めて、神農に歸す。密須の民は、自ら其の主を縛りて、文王に與う。湯・武は徒に能く其の民を用うるのみに非ざるなり、又能く己の民に非ざるものを用う。能く己の民に非ざるものを用うれば、國小なりと雖も、卒少しと雖も、功名は猶ほ立つ可し。古昔、布衣由り一世を定めし者多し。皆能く其の有に非ざるものを用いたればなり。其の有に非ざるの心を用うる、之が本を察せざる可からず。三代の道に二無し。信を以て管と為す。