長短経 / 知人
是故、仲尼訓「六蔽」、以戒偏材之失〔仁者愛物、蔽在無斷、信者誠、露蔽在無隠。此偏材之常失也。〕思狂狷以通拘抗之材、疾空空而無信、以明為似之難保。察其所安、觀其所由、以知居止之行。率此道也、人焉廋哉!人焉廋哉!
新字:是故、仲尼訓「六蔽」、以戒偏材之失〔仁者愛物、蔽在無断、信者誠、露蔽在無隠。此偏材之常失也。〕思狂狷以通拘抗之材、疾空空而無信、以明為似之難保。察其所安、観其所由、以知居止之行。率此道也、人焉廋哉!人焉廋哉!
書き下し
是の故に、仲尼は六蔽を訓えて、以て偏材の失を戒む。〔仁者は物を愛す、蔽は断ずる無きに在り。信者は誠なり、露蔽は隠す無きに在り。此れ偏材の常失なり。〕狂狷を思いて以て拘抗の材を通じ、空空にして信無きを疾みて、以て似たるを為すの保ち難きを明らかにす。其の安んずる所を察し、其の由る所を観て、以て居止の行を知る。此の道に率わば、人焉んぞ廋さんや、人焉んぞ廋さんや。
現代語訳
だから孔子は六つの蔽いを教えて、偏った材の失敗を戒めた。〔仁者は物を愛するが、その蔽いは決断できないことにある。信の人は誠実だが、その蔽いは何も隠せないことにある。これが偏った材のいつもの失敗である。〕狂と狷を思って、融通のきかない材と高ぶる材を通じさせ、空っぽで信のないことを憎んで、似ているだけのものは保ちがたいことを明らかにした。その人が落ち着くところを察し、その人が拠って立つところを見れば、日々の行いが分かる。この道に従えば、人はどうして自分を隠せようか。人はどうして自分を隠せようか。
解説
知人篇の結びです。ここまで何十もの技法を並べてきたあとで、最後は論語の一行に帰ります。その人が落ち着くところを察し、拠って立つところを見よ。技法をどれだけ積み上げても、最後は普段どこに安らいでいるかを見るのに及ばない、という締め方です。人焉んぞ廋さんやを二度繰り返すのは論語のとおり。隠せないのは、隠そうとする瞬間ではなく、気を抜いている瞬間だからでしょう。
この章句が説くこと
人物鑑識知人孔子六蔽察其所安偏材
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