長短経 / 結営
太公曰、「出軍征戰、安營置陣、以六為法。」〔六者、謂六百步、亦可六十步、量人地之宜、置表十二辰也。〕將軍身居九天之上〔青龍亦為九天、若行止頓宿、居玉帳下、凡月建前三辰為玉帳、假令正月已地是也。〕竟一旬、復徙開牙門、常背建向破〔不向太嵗太隂、〕不飲死水、不居死地、不居地柱、不居地獄、無休天竈無當龍首〔死水者、不流水也、死地者、丘墓之間、地柱者、下中之髙、地獄者、髙中之下、天竈者、谷口也、龍首者、山端也。〕故曰、凡結營安陣、將軍居青龍、軍鼓居逢星、士卒居明堂、伏兵于太隂、軍門居天門、小將居地戸斬斷居天獄、治罪居天庭、軍粮居天牢、軍器居天藏。此謂法天結營、物莫能害者也。
新字:太公曰、「出軍征戦、安営置陣、以六為法。」〔六者、謂六百歩、亦可六十歩、量人地之宜、置表十二辰也。〕将軍身居九天之上〔青竜亦為九天、若行止頓宿、居玉帳下、凡月建前三辰為玉帳、仮令正月已地是也。〕竟一旬、復徙開牙門、常背建向破〔不向太歳太陰、〕不飲死水、不居死地、不居地柱、不居地獄、無休天竈無当竜首〔死水者、不流水也、死地者、丘墓之間、地柱者、下中之高、地獄者、高中之下、天竈者、谷口也、竜首者、山端也。〕故曰、凡結営安陣、将軍居青竜、軍鼓居逢星、士卒居明堂、伏兵于太陰、軍門居天門、小将居地戸斬断居天獄、治罪居天庭、軍粮居天牢、軍器居天蔵。此謂法天結営、物莫能害者也。
書き下し
太公曰く「軍を出だし征戦し、営を安んじ陣を置くには、六を以て法と為す」と。〔六なる者は、六百歩を謂い、亦た六十歩なるべし。人地の宜しきを量り、表を十二辰に置くなり。〕将軍は身ら九天の上に居り〔青龍も亦た九天と為す。若し行止頓宿せば、玉帳の下に居る。凡そ月建の前三辰を玉帳と為す。仮令正月は巳の地是れなり〕、一旬を竟えて、復た徙りて牙門を開き、常に建を背にし破に向かう〔太歳・太陰に向かわず〕。死水を飲まず、死地に居らず、地柱に居らず、地獄に居らず、天竈に休む無く、龍首に当たる無し〔死水は、流れざる水なり。死地は、丘墓の間なり。地柱は、下中の高きなり。地獄は、高中の下きなり。天竈は、谷口なり。龍首は、山の端なり〕。故に曰く、凡そ営を結び陣を安んずるには、将軍は青龍に居り、軍鼓は逢星に居り、士卒は明堂に居り、伏兵は太陰に、軍門は天門に居り、小将は地戸に居り、斬断は天獄に居り、治罪は天庭に居り、軍糧は天牢に居り、軍器は天蔵に居る。此れ天に法りて営を結び、物能く害する莫き者と謂う。
現代語訳
太公望は言った。「軍を出して戦い、陣営を構え陣を置くには、六を法とする」。〔六とは六百歩のことで、六十歩でもよい。人数と土地のふさわしさを量り、目印を十二支の方角に置く。〕将軍自らは九天の上にいる〔青龍も九天とする。行軍中に止まって宿営するときは玉帳の下にいる。月の建の前三つの辰を玉帳とする。たとえば正月なら巳の方角である〕。十日が終わるとまた移って陣門を開き、いつも建を背にし破に向かう〔太歳や太陰の方角には向かわない〕。流れのない水を飲まず、死地にいず、地柱にいず、地獄にいず、天竈で休まず、竜首に当たらない〔死水は流れない水、死地は墓の間、地柱は低い中の高い所、地獄は高い中の低い所、天竈は谷の入口、竜首は山の端である〕。だから、陣営を結び陣を置くには、将軍は青龍に、軍鼓は逢星に、兵は明堂に、伏兵は太陰に、軍門は天門に、小将は地戸に、処刑は天獄に、裁きは天庭に、兵糧は天牢に、武器は天蔵に置く。これを、天にのっとって陣営を結び、何ものも害することができないという。
解説
この章句が説くこと
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『長短経』結営〔仮令甲子の旬中は、子を青龍と為し、丑を逢星と為し、寅を明堂と為し、卯を太陰と為し、辰を天門と為し、巳を地戸と為し、午を天獄と為し、未を天庭と為し、申を天牢と為し、酉を天蔵と為す。甲戌の旬中は、戌を青龍と為し、亥を逢星と為し、子を明堂と為し、丑を太陰と為し、寅を天門と為し、卯を地戸と為し、辰を天獄と為し、巳を天庭と為し、午を天牢と為し、未を天蔵と為す。甲申の旬中は、申を青龍と為し、酉を逢星と為し、戌を明堂と為し、亥を太陰と為し、子を天門と為し、丑を地戸と為し、寅を天獄と為し、卯を天庭と為し、辰を天牢と為し、巳を天蔵と為す。甲午の旬中は、午を青龍と為し、未を逢星と為し、申を明堂と為し、酉を太陰と為し、戌を天門と為し、亥を地戸と為し、子を天獄と為し、丑を天庭と為し、寅を天牢と為し、卯を天蔵と為す。甲辰の旬中は、辰を青龍と為し、巳を逢星と為し、午を明堂と為し、未を太陰と為し、申を天門と為し、酉を地戸と為し、戌を天獄と為し、亥を天庭と為し、子を天牢と為し、丑を天蔵と為す。甲寅の旬中は、寅を青龍と為し、卯を逢星と為し、辰を明堂と為し、巳を太陰と為し、午を天門と為し、未を地戸と為し、申を天獄と為し、酉を天庭と為し、戌を天牢と為し、亥を天蔵と為す。〕
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『長短経』是非太公、武王に謂いて曰く「天は兵勝に益無し。而して衆の将に居る所の者は九あり。法令行われずして侵誅に任ずるより、徳厚無くして日月の数を用い、敵の強弱に順わずして天に幸い、智慮無くして氛気を候い、勇力少なくして天福を望み、地形を知らずして過ちを時に帰し、敵人怯弱にして敢えて撃たずして亀策を信じ、士卒勇ならずして鬼神に法り、伏を設くること巧ならずして背向の道に任ず。凡そ天地鬼神は、之を視れども見えず、之を聴けども聞こえず。以て勝敗を決す可からず。故に明将は法らず」と。司馬遷曰く「陰陽の家は、人をして拘わりて忌むこと多からしむ」と。范曄曰く「陰陽の道は、其の弊や巫なり」と。〔是に曰く〕
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『長短経』教戦大戦の法は、其の校陣を為すに、各々其の道有り。左校は青龍、右校は白虎、前校は朱雀、後校は玄武、中校は軒轅。大将の処る所は、左は鋒、右は戟、前は楯、後ろは弩、中央は鼓旗。興動するには俱に起つ。鼓を聞けば則ち進み、金を聞けば則ち止まる。其の指麾に随えば、五陣乃ち理まる。
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『長短経』天時若し細雨軍を沐せば、機に臨みて必ず捷有り。迴風相触るれば、道還りて功無し。雲の群羊に類するは、必ず走るの道なり。気の驚鹿の如きは、必ず敗るるの勢いなり。黒雲塁より出で、赤気軍に臨み、六窮に風起こり、三刑に霧起こるは、此れ皆師の出づるを見て其の入るを見ざるなり。烟の若くして烟に非ざるは、此れ慶雲なり。星の若くして星に非ざるは、此れ帰邪なり。霧の若くして霧に非ざるは、此れ泣軍なり。雷の若くして雷に非ざるは、此れ天鼓なり。慶雲開けば、徳有り。帰邪あれば、降人有り。泣軍あれば、多く将を殺す。天鼓あれば、多く軍を敗る。是に知る、風雲の占い、歳月の候、其の来たること久し。故に古は初めて将を立て、始めて門を出でて首めて牙を建つるの時、必ず風雲の気を観る。
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『長短経』天時〔諸々武事を立て、四方を征伐し、兵を興し衆を動かさんと謀るには、大風雷雨、陰にして日を見ざるを忌む。辰午酉亥は、自刑の日なり。夫れ牙旗なる者は、将軍の精なり。凡そ牙旗を竪つるには、必ず制日を以てす。制日なる者は、上下を剋するを謂うなり。初めて牙門を立つるに、之を禡して曰く「両儀に正有り、四海に王有り。宝命は天に在り、世徳弥々光る。蕞爾たる凶狡、敢えて乱常を謀る。天子我に命じ、鉞を秉りて専ら征せしむ。爰に其の旅を整え、茲の不庭を討つ。夫れ天道は順を助け、神祇は傾を害す。凶醜をして時に殲きしめ、海隅聿に清からしめよ。兵は刃に血ぬらず、凱して上京に帰らん。神気輝きを増し、永く厥の成るを観ん。寔に正直の頼み、凡そ乃ち神の霊。急急なること律令の如くせよ」と。凡そ気の初めて出づるは甑上の気の如く、勃勃として上昇す。気積もりて霧と為り、霧は陰と為り、陰気結びて虹蜺暈珥の属と為る。凡そ気積もらず結ばず、一方に散漫すれば、災を為すこと能わず。必ず殺気に和雑し、森森然として疾く起こりて、乃ち可なり。占いを論ずるに、常に平旦・下晡・日の出没の時を以て之を候う。期内に風雨有らば、災成らざるなり。〕若し風旁勃せず、旌旗暈暈として、順風に揚挙し、或いは敵に向かうこと終日なれば、軍行きて功有り。勝候なり。
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六韜・奇兵武王 太公に問ひて曰く、「凡そ用兵の道、大要は何如」と。太公曰く、「古の善く戦ふ者は、能く天上に戦ふに非ず、能く地下に戦ふに非ず。其の成と敗とは、皆な神勢に由る。之を得る者は昌え、之を失ふ者は亡ぶ。夫れ両陳の間、甲を出だし兵を陳ね、卒を縦ちて行を乱す者は、変を為す所以なり。深草蓊蘙なる者は、逃遁する所以なり。谿谷険阻なる者は、車を止め騎を禦ぐ所以なり。隘塞山林なる者は、少をもつて衆を撃つ所以なり。坳沢窈冥なる者は、其の形を匿す所以なり。清明にして隠るる無き者は、勇力を戦はす所以なり。疾きこと流矢の如く、発機の如き者は、精微を破る所以なり。詭り伏せ奇を設け、遠く張りて誑き誘ふ者は、軍を破り将を擒にする所以なり。四分五裂する者は、円を撃ち方を破る所以なり。其の驚駭に困しむ者は、一をもつて十を撃つ所以なり。其の労倦して暮に舎するに因る者は、十をもつて百を撃つ所以なり。奇伎なる者は、深水を越え江河を渡る所以なり。彊弩長兵なる者は、水を踰えて戦ふ所以なり。長関遠候、暴疾謬遁なる者は、城を降し邑を服する所以なり。鼓行喧囂なる者は、奇謀を行ふ所以なり。大風甚雨なる者は、前を搏ち後を擒にする所以なり。偽つて敵の使と称する者は、糧道を絶つ所以なり。号令を謬らせ、敵と服を同じくする者は、走北に備ふる所以なり。戦ふに必ず義を以てする者は、衆を励まし敵に勝つ所以なり。爵を尊び賞を重くする者は、命を用ふるを勧むる所以なり。刑罰を厳にする者は、罷怠を進むる所以なり。一喜一怒、一与一奪、一文一武、一徐一疾なる者は、三軍を調和し臣下を制一する所以なり。高敞に処る者は、警守する所以なり。阻険を保つ者は、固きを為す所以なり。山林茂穢なる者は、黙して往来する所以なり。深溝高塁にして糧多き者は、持久する所以なり。故に曰く、戦攻の策を知らざれば、以て敵を語るべからず。分移する能はざれば、以て奇を語るべからず。治乱に通ぜざれば、以て変を語るべからず、と。故に曰く、将 仁ならざれば、則ち三軍 親しまず。将 勇ならざれば、則ち三軍 鋭からず。将 智ならざれば、則ち三軍 大いに疑ふ。将 明ならざれば、則ち三軍 大いに傾く。将 精微ならざれば、則ち三軍 其の機を失ふ。将 常に戒めざれば、則ち三軍 其の備へを失ふ。将 彊力ならざれば、則ち三軍 其の職を失ふ、と。故に将は人の司命にして、三軍 之と俱に治まり、之と俱に乱る。賢将を得れば、兵 彊く国 昌ゆ。賢将を得ざれば、兵 弱く国 亡ぶ」と。武王曰く、「善き哉」と。