長短経 / 臣行
又《藺公贊》曰、“知死必勇、非死者難也、處死者難。方藺相如引璧睨柱、及叱秦王左右、勢不過誅、然士或怯懦不敢發。相如一厲其氣、威信敵國、退而讓廉頗、名重太山。其處智勇、可謂兼之矣!”此則忠貞之臣、誠知死所者也。管子曰、“不恥身在縲紲之中、而恥天下之不理、不恥不死公子糾、而恥威之不申于諸侯此則自負其才、以濟世為度者也。”此皆士之行已死與不死之明效也。〕
新字:又《藺公賛》曰、“知死必勇、非死者難也、処死者難。方藺相如引璧睨柱、及叱秦王左右、勢不過誅、然士或怯懦不敢発。相如一厲其気、威信敵国、退而譲廉頗、名重太山。其処智勇、可謂兼之矣!”此則忠貞之臣、誠知死所者也。管子曰、“不恥身在縲紲之中、而恥天下之不理、不恥不死公子糾、而恥威之不申于諸侯此則自負其才、以済世為度者也。”此皆士之行已死与不死之明効也。〕
書き下し
又た藺公の賛に曰く「死を知るは必ず勇なり。死する者の難きに非ず、死に処るが難し。方に藺相如の璧を引きて柱を睨み、及び秦王の左右を叱するに、勢いは誅に過ぎず。然れども士或いは怯懦にして敢えて発せず。相如、一たび其の気を厲まして、威は敵国に信ぶ。退きて廉頗に譲り、名は太山より重し。其の智勇に処るは、兼ぬと謂う可し」と。此れ則ち忠貞の臣、誠に死所を知る者なり。管子曰く「身の縲紲の中に在るを恥じずして、天下の理まらざるを恥ず。公子糾に死せざるを恥じずして、威の諸侯に申びざるを恥ず」と。此れ則ち自ら其の才を負み、済世を以て度と為す者なり。此れ皆な士の行い、已に死すると死せざるとの明効なり。〕
現代語訳
また藺相如の賛にこうある。「死を知るのは必ず勇である。死ぬことが難しいのではなく、どこで死ぬかを定めるのが難しい。藺相如が璧を持って柱をにらみ、秦王の側近を叱りつけたとき、最悪でも殺されるだけだった。それでも士のなかには臆病で行動できない者がいる。相如は一度その気を奮い立たせ、威は敵国に届いた。退いては廉頗に譲り、名は泰山より重くなった。その智と勇の置きどころは、両方を兼ねていると言ってよい」。これは忠貞の臣で、まことに死に場所を知る者である。管子はこう言った。「身が縄目のなかにあることを恥じず、天下が治まらないことを恥じる。公子糾に殉じなかったことを恥じず、威が諸侯に及ばないことを恥じる」。これは自分の才を頼みとし、世を救うことを尺度とする者である。これらはみな士の行いについて、死ぬ場合と死なない場合の明らかなあらわれである。
解説

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本の中身を見るこの章句が説くこと
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『童子問』卷下問ふ、王陽明、徐成之に答ふる二書に自ら謂ふ、天下朱を是とし陸を非とすること、論定まること既に久し。一旦之に反するは難しと為す。姑く調停両可の説を為して、人をして自ら思うて之を得しむと。如何。曰く、夫れ勇は断に生じ、断は明に生じ、明は智に生じ、智は学を以て大なり。苟も之を知ること明らかならば、則ち是を是とし非を非とし、一刀両断にして、少しも仮借することを得ず。故に孟子曰く、予豈に弁を好まんや、予已むことを得ざるなりと。陽明の人と為りや、聡明絶倫にして、古今に縦にす。二公と雖も、及ばざること遠く甚だし。然れども学問空疎にして、磨励の功甚だ少なし。而して其の学本禅学に得て、孔孟の宗旨に於ては、実に数塵なり。故に其の書含糊衡決にして、二公の肯綮に中ること多きを得ず。朱門の為に廻護するに似たり。但書中の所謂重脊にして叛孔を厭はずといふ数句は、実に今の学者の真病に中る。