長短経 / 三国権
統後説備曰、「隂選精兵、晝夜兼道、徑襲成都。璋既不武、又素無豫備、大軍卒至、一舉便定、此上計也。楊懐、髙沛、璋之名將、各仗強兵、據守關頭、聞素有牋来諫璋、使發遣將軍未至遣與相聞、説荆州有急、欲還救之、並使装束、外作歸形。此二子既服將軍英名、又喜將軍之去、必乗輕騎来見將軍、因此執之、進取其兵、乃向成都、此中計也。返還白帝、連引荆州、徐還圗之、此下計也。若沉吟不去、將至大困、不可久矣。」先主然其中計。
新字:統後説備曰、「陰選精兵、昼夜兼道、径襲成都。璋既不武、又素無予備、大軍卒至、一舉便定、此上計也。楊懐、高沛、璋之名将、各仗強兵、拠守関頭、聞素有牋来諫璋、使発遣将軍未至遣与相聞、説荆州有急、欲還救之、並使装束、外作帰形。此二子既服将軍英名、又喜将軍之去、必乗軽騎来見将軍、因此執之、進取其兵、乃向成都、此中計也。返還白帝、連引荆州、徐還図之、此下計也。若沈吟不去、将至大困、不可久矣。」先主然其中計。
書き下し
統、後に備に説きて曰く「陰かに精兵を選び、昼夜道を兼ねて、径ちに成都を襲え。璋は既に武ならず、又た素より予備無し。大軍卒かに至らば、一挙にして便ち定まらん。此れ上計なり。楊懐・高沛は璋の名将にして、各々強兵に仗りて関頭に拠守す。聞く、素より牋来たりて璋に諫め、将軍を発遣せしめんとすと。未だ至らざるに使いを遣わして相聞せしめ、荊州に急有りて、還りて之を救わんと欲すと説き、並びに装束せしめ、外は帰る形を作せ。此の二子は既に将軍の英名に服し、又た将軍の去るを喜び、必ず軽騎に乗じて来たりて将軍に見えん。此に因りて之を執え、進みて其の兵を取り、乃ち成都に向かう。此れ中計なり。返りて白帝に還り、荊州を連引して、徐ろに還りて之を図る。此れ下計なり。若し沈吟して去らずんば、将に大困に至らんとす。久しくすべからず」と。先主、其の中計を然りとす。
現代語訳
龐統は後に劉備に説いた。「ひそかに精兵を選び、昼夜兼行で、まっすぐ成都を襲ってください。劉璋はもともと武に疎く、備えもありません。大軍が突然来れば、一挙に定まります。これが上計です。楊懐と高沛は劉璋の名将で、それぞれ強兵を擁して関所を守っています。聞けば、かねて劉璋に手紙を送り、将軍を荊州へ帰らせるよう諫めているそうです。まだ何も起きないうちに使者を送り、荊州に急事があって救いに帰りたいと告げ、兵に旅支度をさせ、帰るそぶりを見せてください。二人は将軍の名声に敬服しているうえ、将軍が去るのを喜んで、必ず軽騎で見送りに来ます。そこで捕らえ、その兵を奪い、成都に向かう。これが中計です。白帝城に引き返し、荊州と連携して、ゆっくり戻って蜀を図る。これが下計です。もしぐずぐずして去らなければ、大いに行き詰まります。長くは待てません」。劉備は中計を採った。
解説

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