長短経 / 天時
若細雨沐軍、臨機必有捷、迴風相觸、道還而無功。雲類羣羊、必走之道、氣如驚鹿、必敗之勢。黒雲出壘、赤氣臨軍、六窮起風、三刑起霧、此皆見師之出而不見其入也。若烟非烟此慶雲也、若星非星、此歸邪也、若霧非霧、此泣軍也、若雷非雷、此天鼓也。慶雲開、有徳、歸邪、有降人、泣軍、多殺將、天鼓、多敗軍。是知風雲之占、嵗月之候其來乆矣。故古者初立將、始出門首建牙之時、必觀風雲之氣。
新字:若細雨沐軍、臨機必有捷、迴風相触、道還而無功。雲類羣羊、必走之道、気如驚鹿、必敗之勢。黒雲出塁、赤気臨軍、六窮起風、三刑起霧、此皆見師之出而不見其入也。若烟非烟此慶雲也、若星非星、此帰邪也、若霧非霧、此泣軍也、若雷非雷、此天鼓也。慶雲開、有徳、帰邪、有降人、泣軍、多殺将、天鼓、多敗軍。是知風雲之占、歳月之候其来久矣。故古者初立将、始出門首建牙之時、必観風雲之気。
書き下し
若し細雨軍を沐せば、機に臨みて必ず捷有り。迴風相触るれば、道還りて功無し。雲の群羊に類するは、必ず走るの道なり。気の驚鹿の如きは、必ず敗るるの勢いなり。黒雲塁より出で、赤気軍に臨み、六窮に風起こり、三刑に霧起こるは、此れ皆師の出づるを見て其の入るを見ざるなり。烟の若くして烟に非ざるは、此れ慶雲なり。星の若くして星に非ざるは、此れ帰邪なり。霧の若くして霧に非ざるは、此れ泣軍なり。雷の若くして雷に非ざるは、此れ天鼓なり。慶雲開けば、徳有り。帰邪あれば、降人有り。泣軍あれば、多く将を殺す。天鼓あれば、多く軍を敗る。是に知る、風雲の占い、歳月の候、其の来たること久し。故に古は初めて将を立て、始めて門を出でて首めて牙を建つるの時、必ず風雲の気を観る。
現代語訳
小雨が軍を濡らせば、機に臨んで必ず勝つ。つむじ風がぶつかり合えば、道を引き返して功がない。雲が羊の群れのようなら、必ず逃げる道である。気が驚いた鹿のようなら、必ず敗れる形勢である。黒雲が砦から出て、赤い気が軍に臨み、六つの窮まりの日に風が起こり、三つの刑の日に霧が起こるのは、どれも軍が出ていくのは見ても帰ってくるのは見ない兆しである。煙のようで煙でないのは慶雲で、星のようで星でないのは帰邪、霧のようで霧でないのは泣軍、雷のようで雷でないのは天鼓である。慶雲が開けば徳があり、帰邪があれば降伏する者がおり、泣軍があれば多くの将が殺され、天鼓があれば多くの軍が敗れる。風雲の占いや年月の兆しを見ることは、昔から行われてきたとわかる。だから昔は初めて将を任じ、門を出て初めて大将旗を立てるとき、必ず風雲の気を観た。
解説
この章句が説くこと
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