長短経 / 覇図
陳豨為代相、與韓信、王黄等反、豨自立為代王、上自往破之。〔高祖赦趙代吏人為豨所詿誤者、趙相奏斬常山守、尉、曰、「常山北二十五城、豨反、亡其二十五城。」上問曰、「守、尉反乎?」對曰、「不反。」上曰、「是力不足也。」赦之、復以為守、尉。上既至邯鄲、喜曰、「豨不南據漳水、北守邯鄲、吾知其無能為也。」問周昌曰、「趙亦有壮士可今為将者乎?」對曰、「見有四人。」焉謁上謾罵曰、「豎子能為将乎?」各封之千户以為将。左右諫曰、「從入蜀漢伐楚、功未徧行、今此何功而封?」上曰、「非爾所知也。陣豨反、邯鄲以北皆豨有也、吾以羽檄徴天下兵、未有至者、今惟獨邯鄲中兵耳。吾何愛四千户不封此四人以慰趙子弟心!」皆曰、「善。」
新字:陳豨為代相、与韓信、王黄等反、豨自立為代王、上自往破之。〔高祖赦趙代吏人為豨所詿誤者、趙相奏斬常山守、尉、曰、「常山北二十五城、豨反、亡其二十五城。」上問曰、「守、尉反乎?」対曰、「不反。」上曰、「是力不足也。」赦之、復以為守、尉。上既至邯鄲、喜曰、「豨不南拠漳水、北守邯鄲、吾知其無能為也。」問周昌曰、「趙亦有壮士可今為将者乎?」対曰、「見有四人。」焉謁上謾罵曰、「豎子能為将乎?」各封之千戸以為将。左右諫曰、「従入蜀漢伐楚、功未遍行、今此何功而封?」上曰、「非爾所知也。陣豨反、邯鄲以北皆豨有也、吾以羽檄徴天下兵、未有至者、今惟独邯鄲中兵耳。吾何愛四千戸不封此四人以慰趙子弟心!」皆曰、「善。」
書き下し
陳豨、代の相と為り、韓信・王黄等と反す。豨、自立して代王と為る。上、自ら往きて之を破る。〈高祖、趙・代の吏人の豨の為に詿誤せらるる者を赦す。趙の相、常山の守・尉を斬らんことを奏して曰く「常山の北の二十五城、豨反して、其の二十五城を亡う」と。上、問いて曰く「守・尉、反せしか」と。対えて曰く「反せず」と。上曰く「是れ力足らざるなり」と。之を赦し、復た以て守・尉と為す。上、既に邯鄲に至り、喜びて曰く「豨、南のかた漳水に拠らず、北のかた邯鄲を守らず。吾、其の能く為す無きを知るなり」と。周昌に問いて曰く「趙にも亦た壮士の今将と為す可き者有りや」と。対えて曰く「見に四人有り」と。上に謁す。謾罵して曰く「豎子、能く将と為らんや」と。各々之を千戸に封じて以て将と為す。左右諫めて曰く「従いて蜀漢に入り楚を伐つに、功未だ徧く行われず。今、此れ何の功ありてか封ずるか」と。上曰く「爾の知る所に非ざるなり。陳豨反し、邯鄲以北は皆な豨の有なり。吾、羽檄を以て天下の兵を徴すも、未だ至る者有らず。今は惟だ独り邯鄲中の兵のみ。吾、何ぞ四千戸を愛しみて此の四人を封じて以て趙の子弟の心を慰めざらんや」と。皆な曰く「善し」と。
現代語訳
陳豨が代の相となり、韓信や王黄らと反した。陳豨は自立して代王となった。上は自ら出向いてこれを破った。〈高祖は趙と代の役人で陳豨に巻き込まれた者を赦した。趙の相が常山の太守と尉を斬るよう上奏して言った。「常山の北の二十五城が、陳豨の反乱でその二十五城を失いました」。上は尋ねた。「太守と尉は反したのか」。「反していません」。上は言った。「それは力が足りなかっただけだ」。赦して、また太守と尉に戻した。上は邯鄲に着いて喜んで言った。「陳豨は南の漳水に拠らず、北の邯鄲を守らない。何もできないと分かった」。周昌に尋ねた。「趙にも、いま将にできる壮士はいるか」。「四人います」。上に謁見させた。上は罵って言った。「こわっぱに将が務まるか」。それぞれ千戸に封じて将とした。側近が諫めた。「蜀と漢中に従い楚を伐った者にも、功の行き渡っていない者がいます。いま何の功があって封じるのですか」。上は言った。「お前たちの知るところではない。陳豨が反して、邯鄲から北はみな陳豨のものだ。私は急ぎの檄で天下の兵を徴発したが、まだ誰も来ない。いまあるのは邯鄲の中の兵だけだ。どうして四千戸を惜しんで、この四人を封じて趙の若者たちの心を慰めずにいられよう」。みな「もっともです」と言った。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
言志四録・言志録 第百八十一条 勢に因りて利導す人情の気機は、一定を以て求むべからず。之を誘へば勧み、之を禁ずれば遏む、順なり。之を導けば反つて阻み、之を抑ふれば益揚る、逆なり。是の故に駕馭の道は、当に其の向背を察し、其の軽重を審らかにし、勢に因りて之を利導し、機に応じて之を激励し、其をして自ら其の然る所以を覚えざらしむべし。此れを之れ得たりと為す。
-
史記 高祖本紀且つ吾の軍を霸上に還す所以は、諸侯の至るを待ちて約束を定めんのみ。」と。乃ち人をして秦の吏と県郷邑を行かしめ、之に告諭す。秦人大いに喜び、争ひて牛羊酒食を持ちて軍士に献饗す。沛公又譲りて受けず、曰く、「倉粟多し、乏しきに非ず、人に費さしむるを欲せず。」と。人又益々喜び、唯だ沛公の秦王と為らざらんことを恐る。
-
『弁道』第二十四則「之を継ぐ者は善」とは、天を継ぐの継の如し。善とは善人を謂ふなり。流行と訓ずる者は継の字の義を失へり。「之を成す者は性」とは、人各〻性の近き所に随ひて務めを成すを謂ふなり。凡そ徳と言ふ者、怨に対して言ふ者有り、財に対して言ふ者有り。其の単に言ふ者は、皆性の徳なり。爾らずんば、「徳に拠る」、何ぞ其れ荒唐なるや。人心とは民心なり。朽索の馭の如し。故に危ふしと曰ふ。道心とは民心を導くなり。其の機甚だ微なり。故に微なりと曰ふ。
-
『呻吟語』内篇・應務・一の拙法有り世人の相與するは、面上に非ざれば則ち口中なり。人の心は固より面と口とに掩ふ能はず。而して測る可からざる者は則ち面と口とに盡きざるなり。故に惟だ人心のみ最も畏る可く、人心最も知る可からず。此れ天下の陷阱にして、古今生死の衢なり。余に一の拙法有り。之を推すに至誠を以てし、之を施すに至厚を以てし、之を持するに至慎を以てし、是非を遠ざけ、利名を讓り、後下に處せば、則ち夷狄鳥獸も骨肉腹心とす可し。將に深き者をして且つ心を傾けしめ、險なる者をして且つ德に化せしめんとす。而して何ぞ陷阱の予に及ばんや。
-
『晏子春秋』外篇上・景公坐路寢曰誰將有此晏子諫景公路寝に坐して、曰く、「美なるかな室、其れ誰か将に此を有たんとするか」と。晏子対えて曰く、「其れ田氏か。田無宇は垾を為せり」と。公曰く、「然らば則ち奈何」と。晏子対えて曰く、「善を為す者は、君上の勧むる所なり。豈に禁ず可けんや。夫れ田氏は、国門に柝を撃つの家にして、父は以て其の子に托し、兄は以て其の弟に托し、今に於て三世なり。山の木は市の如くにして、山に加えず。魚塩蚌蜃は、海に加えず。民財之が為に帰す。今歳凶饑にして、蒿種芼斂は半ばならず、道路に死人有り。斉の旧四量は、四升を豆と為し、豆四にして区、区四にして釜、釜十にして鐘なり。田氏の四量は、各々一を加う。家の量を以て貸し、公の量を以て収む。則ち糴する所以、百姓の死命を澤うこと多し。今公家は驕汰にして、田氏は慈恵なり。国の澤は是に焉くにか帰せん。田氏は徳無しと雖も、民に施す有り。公厚く斂め、田氏は厚く施す。詩に曰く、『汝に与うる徳無しと雖も、式て歌い且つ舞う』と。田氏の施しは、民之を歌舞するなり。国の帰するも、亦た宜ならずや」と。
-
『洗心洞箚記』卷下・第七十九條或ひと梁恵王曰く寡人の国に於けるやの章の義を問ふ。曰く、恵王の尽心と、後章の其の心を尽くす者は其の性を知るなりの尽心とは、字同じくして旨異なり。如し先づ之を弁ぜずして、一章の義を解すれば、則ち無数の言語を費して、天理人欲、終に分暁なること能はざるなり。夫れ恵王の尽心は、即ち人心を尽くす者なり。人心は、便ち是れ人欲にして不仁なり。恵王の戦を好むの心は、乃ち人欲の中尤も不仁なる者なり。人欲の中尤も不仁なるの心を尽くして、飢民を転遷し以て其の多少を計較す。要するに一身を肥やして独楽を極めんと欲する者なり。盗賊の心と奚を以て異ならんや。是の故に終に其の民を糜爛し子弟を駆りて以て之に殉ぜしむ。是れ皆自ら人心を尽くす上より来る。然らば則ち人心を尽くすは、断絶せざるべからざるなり。