長短経 / 覇図
四月、宋帝禪位於齊。甲午、即皇帝位於南郊、柴燎告天〔曰、皇帝臣道成、敢用𤣥牡、昭告於皇皇后帝。夫肇自生靈、樹以司牧、所以闡極則天、開元創物、肆兹大道、惟命不於常。昔在虞夏、受終上代、粤自漢魏、揖讓中葉。咸煥諸方冊、載在典謨水徳既微、仍世多故、實頼道成匡救之功、以𢎞濟於厥難、大造顛墜、再搆區宇、誕唯天人、罔弗和㑹、迺仰協歸運、景屬與能、用集大命於兹辭徳匪嗣、至於累仍、而羣公卿士、庶尹御事、爰及黎獻、暨於百戎、僉曰、皇天眷命、不可以固違、人神無統、不可以曠主。畏天之威、敢不祗順鴻歴、敬簡元辰、䖍奉皇符、登壇受禪、告類上天、以答人衷、式敷萬國、唯明靈是饗。、〕禮畢、備法駕幸建康宫、臨太極前殿、大赦改元。
新字:四月、宋帝禅位於斉。甲午、即皇帝位於南郊、柴燎告天〔曰、皇帝臣道成、敢用玄牡、昭告於皇皇后帝。夫肇自生霊、樹以司牧、所以闡極則天、開元創物、肆茲大道、惟命不於常。昔在虞夏、受終上代、粤自漢魏、揖譲中葉。咸煥諸方冊、載在典謨水徳既微、仍世多故、実頼道成匡救之功、以弘済於厥難、大造顛墜、再搆区宇、誕唯天人、罔弗和会、迺仰協帰運、景属与能、用集大命於茲辞徳匪嗣、至於累仍、而羣公卿士、庶尹御事、爰及黎献、暨於百戎、僉曰、皇天眷命、不可以固違、人神無統、不可以曠主。畏天之威、敢不祗順鴻歴、敬簡元辰、䖍奉皇符、登壇受禅、告類上天、以答人衷、式敷万国、唯明霊是饗。、〕礼畢、備法駕幸建康宮、臨太極前殿、大赦改元。
書き下し
四月、宋帝、位を斉に禅る。甲午、皇帝の位に南郊に即き、柴燎して天に告ぐ。〈曰く、皇帝臣道成、敢えて玄牡を用いて、昭らかに皇皇后帝に告ぐ。夫れ生霊を肇むより、樹つるに司牧を以てす。極を闡き天に則り、元を開き物を創る所以なり。茲の大道を肆にするに、惟れ命は常に於てせず。昔、虞夏に在りて、終を上代に受く。粤に漢魏より、揖譲すること中葉なり。咸な諸を方冊に煥かし、典謨に載す。水徳既に微く、仍世に故多し。実に道成の匡救の功に頼り、以て厥の難を弘済す。大造顛墜し、再び区宇を構う。誕に唯れ天人、和会せざる罔し。迺ち仰いで帰運に協い、景に与能に属す。用て大命を茲に集む。辞徳嗣がずして、累仍に至る。而して群公卿士、庶尹御事、爰に黎献に及び、百戎に暨ぶまで、僉な曰く、皇天の眷命は、以て固く違う可からず。人神に統無くんば、以て主を曠しくす可からず、と。天の威を畏れ、敢えて鴻歴に祗順せざらんや。敬みて元辰を簡び、虔みて皇符を奉じ、壇に登りて禅を受け、類を上天に告ぐ。以て人衷に答え、式て万国に敷く。唯だ明霊、是れ饗けよ。〉礼畢わり、法駕を備えて建康宮に幸し、太極前殿に臨み、大赦改元す。
現代語訳
四月、宋帝が位を斉に禅った。甲午、皇帝の位に南郊でつき、薪を焚いて天に告げた。〈こう言った。皇帝の臣道成は、黒い牡牛を用いて、はっきりと天帝に申し上げる。生きとし生けるものが始まって以来、これを治める者を立ててきた。極みを開いて天に則り、元を開いて物を創るためである。この大道を行うにあたって、天命は一定ではない。昔、虞と夏にあっては前代から受け継いだ。漢と魏からは、中ごろに譲り合った。みな書物に輝き、典謨に記されている。水徳はすでに衰え、代を重ねて事故が多い。実に道成の救い正した功によって、その難を広く済った。大いなる造化が崩れ、再び天下を組み立てた。天も人も、和し合わないことがない。そこで仰いで巡る運に従い、能ある者に属した。こうして大命がここに集まった。徳を継ぐ辞退を重ねてきた。しかし公卿も官吏も、民衆も異民族に至るまで、みな言う。天の眷命は固く拒めない。人にも神にも統べる者がなければ、主を空席にしてはならない、と。天の威を畏れ、大きな暦に謹んで従わないでいられようか。謹んで吉日を選び、皇帝の符を奉じ、壇に登って禅を受け、上天に告げる。人の心に答え、万国に広める。どうか明らかな霊よ、これを享けたまえ。〉儀式が終わると、正式の車駕を整えて建康宮へ行き、太極前殿に臨み、大赦して改元した。
解説
この章句が説くこと
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尚書・康誥惟れ命は常には于いてせず。
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『呻吟語』内篇・修身・我主張して天に由らず富貴福澤を得んと要するは、天主張して、我に由るを得ず。賢人君子と做らんと要するは、我主張して、天に由るを得ず。
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論語・堯曰篇堯曰く、「咨、爾舜、天の暦数爾の躬に在り。允に其の中を執れ。四海困窮せば、天禄永く終わらん。」舜も亦た以て禹に命ず。曰く、「予小子履、敢えて玄牡を用い、敢えて昭らかに皇皇たる后帝に告ぐ。罪有るは敢えて赦さず。帝の臣は蔽わず、簡ぶこと帝の心に在り。朕が躬罪有らば、万方を以てすること無かれ。万方罪有らば、罪は朕が躬に在り。」「周に大賚有り、善人是れ富む。」「周親有りと雖も、仁人に如かず。百姓過ち有らば、予一人に在り。」権量を謹み、法度を審らかにし、廃官を脩むれば、四方の政行われん。滅国を興し、絶世を継ぎ、逸民を挙ぐれば、天下の民心を帰せん。重んずる所は、民・食・喪・祭。寛なれば則ち衆を得、信なれば則ち民任じ、敏なれば則ち功有り、公なれば則ち説ぶ。
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孟子・梁惠王章句下魯の平公將に出でんとす。嬖人臧倉なる者請うて曰く、「他日、君出づれば、則ち必ず有司に之く所を命ず。今、輿に乘り已に駕す。有司未だ之く所を知らず。敢て請う。」公曰く、「將に孟子を見んとす。」曰く、「何ぞや。君の為す所、身を輕んじて以て匹夫に先だつとは。以て賢と為すか。禮義は賢者由り出づ。而るに孟子の後喪は前喪に踰えたり。君、見る無かれ。」公曰く、「諾。」樂正子、入り見えて曰く、「君、奚為れぞ孟軻を見ざるや。」曰く、「或ひと寡人に告げて曰く、『孟子の後喪は前喪を踰えたり。』是を以て往きて見ざるなり。」曰く、「何ぞや。君の所謂踰ゆとは。前には士を以てし、後には大夫を以てし、前には三鼎を以てし、後には五鼎を以てしたるか。」曰く、「否。棺槨衣衾の美を謂うなり。」曰く、「所謂踰ゆるには非ざるなり。貧富同じからざればなり。」樂正子、孟子に見えて曰く、「克、君に告ぐ。君、來たり見んと為す。嬖人に臧倉なる者有り、君を沮む。君是を以て來たることを果たさざるなり。」曰く、「行くも之を使しむる或り、止まるも之を尼むる或り。行止は人の能くする所に非ざるなり。吾の魯侯に遇わざるは、天なり。臧氏の子、焉ぞ能く予をして遇わしめざらんや。」
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孔子家語・五儀解哀公孔子に問いて曰く、「夫れ国家の存亡禍福は、信に天命有りて、唯だ人のみに非ざるか。」孔子対えて曰く、「存亡禍福は、皆己のみ。天災地妖は、加うる能わざるなり。」公曰く、「善いかな。吾子の言、豈に其の事有るか。」孔子曰く、「昔者殷王帝辛の世、雀の大鳥を城隅に生む有り。之を占いて曰く、『凡そ小を以て大を生ずれば、則ち国家必ず王として名必ず昌んならん』と。是に於て帝辛雀の徳を介として、国政を修めず、亢暴極まり無く、朝臣救うこと莫く、外寇乃ち至りて、殷国以て亡ぶ。此れ即ち己を以て天時に逆らい、福を詭りて反りて禍と為す者なり。又其の先世殷王太戊の時、道缺け法圮れ、以て夭櫱・桑穀朝に致し、七日にして大いに拱す。之を占う者曰く、『桑穀は野木にして朝に合生せず、意者国亡びんか』と。太戊恐駭し、身を側めて行を修め、先王の政を思い、養民の道を明らかにす。三年の後、遠方義を慕いて重訳して至る者、十有六国。此れ即ち己を以て天時に逆らい、禍を得て福と為す者なり。故に天災地妖は、人主を儆む所以の者なり。寤夢征怪は、人臣を儆む所以の者なり。災妖は善政に勝たず、寤夢は善行に勝たず。能く此を知る者は、至治の極なり。唯だ明王のみ此に達す。」公曰く、「寡人鄙固此くの如きに、亦た君子の教を聞くを得ざりしなり。」
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『呻吟語』内篇・應務・外寧なれば必ず內憂有り又た曰く、「終身畔を讓るも、一段を失はず」と。八に曰く、之を天に付す。天道知る有り、我を知る者は其れ天か。九に曰く、之を命に委ぬ。人生の相與するは、或いは順ひ或いは忤ひ、或いは合し或いは離る。魯の平公將に出でんとして臧倉に遇ひ、司馬牛は弟子と為りて桓魋有り。豈に命に非ずや。十に曰く、外寧なれば必ず內憂有り。小人侵陵すれば則ち患を懼れ危を防ぎ、長慮して卻顧し、敢へて侈然たらず。肆心有れば則ち百禍潛かに消ゆ。