長短経 / 七雄略
魯滅於楚〔楚考烈王滅魯。魯頃公亡遷於卞邑、為家人。魯遂絶。〕海内無主、四十餘年而為「戰國」矣。秦據勢勝之地、騁狙詐之兵、蠶食山東、山東患之。蘓秦、洛陽人也、合諸侯之縱以賔秦、張儀、魏人也、破諸侯之縱以連横。
新字:魯滅於楚〔楚考烈王滅魯。魯頃公亡遷於卞邑、為家人。魯遂絶。〕海内無主、四十余年而為「戦国」矣。秦拠勢勝之地、騁狙詐之兵、蠶食山東、山東患之。蘓秦、洛陽人也、合諸侯之縦以賓秦、張儀、魏人也、破諸侯之縦以連横。
書き下し
魯は楚に滅ぼさる。〈楚の考烈王、魯を滅ぼす。魯の頃公、亡げて卞邑に遷り、家人と為る。魯、遂に絶ゆ。〉海内に主無く、四十余年にして戦国と為る。秦は勢い勝るの地に拠り、狙詐の兵を騁せ、山東を蚕食す。山東、之を患う。蘇秦は洛陽の人なり。諸侯の縦を合して以て秦を賓とす。張儀は魏の人なり。諸侯の縦を破りて以て横に連なる。
現代語訳
魯は楚に滅ぼされた。〈楚の考烈王が魯を滅ぼした。魯の頃公は逃げて卞邑へ移り、庶民となった。魯はついに絶えた。〉天下に主がなく、四十余年を経て戦国となった。秦は地形の優れた土地に拠り、狡猾で欺きに長けた兵を走らせ、山東の国々を蚕のように食い進んだ。山東の国々はこれに苦しんだ。蘇秦は洛陽の人である。諸侯の縦の連合をまとめて秦を締め出そうとした。張儀は魏の人である。諸侯の縦の連合を破って横に連ならせた。
解説
孔子の生まれた魯が滅び、頃公は庶民になりました。四十余年、天下に主のいない状態が続いて戦国に入ります。そこへ二人の遊説家が現れる。蘇秦は縦につなぎ、張儀は横につなぐ。どちらも同じ材料を使って正反対の形を作りました。この篇はここから、その言葉の応酬を延々と記録していきます。同じ駒でも、並べ方を変えれば別の盤面になります。二人が競ったのは情報でも兵力でもなく、つなぎ方でした。
この章句が説くこと
七雄略魯戦国蘇秦張儀合従
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『長短経』七雄略六国既に縦を合し、蘇秦、縦約の長と為る。北のかた趙に報ず。趙の粛侯、秦を封じて武安君と為す。乃ち縦約の書を秦に投ず。秦、敢えて兵を函谷に闚わざること十五年。後、張儀、秦の為に連衡す。〈秦、魏を攻めんと欲し、先ず韓を敗り、申差の軍、首を斬ること八万。諸侯震恐す。而して儀、乃ち来たりて魏王に説く。〉魏王に説きて曰く。〈秦の孝公の時、公孫鞅、魏を伐たんことを請いて曰く「魏は嶺阨の間に居り、西のかた安邑に都し、秦と河を界とす。而して独り山東の利を擅にす。利あれば則ち西のかた秦を侵し、病めば即ち東のかた地を収む。今、君の賢聖を以て、国は頼りて以て盛んなり。宜しく此の時に及びて魏を伐つべし。魏、秦を支えずんば、必ず東のかた徙らん。東のかた徙らば則ち山河の固きに拠り、東に向かいて以て諸侯を制せん。此れ帝業なり」と。是れ自り後、魏、果たして安邑を去り、都を大梁に徙す。〉
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