長短経 / 七雄略
武安君曰、「是時楚王恃其國大、不恤其政、而羣臣相妬以功、諂諛用事、良臣疎斥、百姓心、離城池不修、既無良将、又無守偹。故臣得引兵深入、兵多倍城邑、發梁焚舟、以専人心、掠於郊野、以足軍食當此之時、秦之士卒、以軍中為家、以将為父母、不約而親、不謀而信。一心同力、死不旋踵。楚人自戰其地、咸顧其家、各有散心、莫有鬬意、是以能有功也。
新字:武安君曰、「是時楚王恃其国大、不恤其政、而羣臣相妬以功、諂諛用事、良臣疎斥、百姓心、離城池不修、既無良将、又無守備。故臣得引兵深入、兵多倍城邑、発梁焚舟、以専人心、掠於郊野、以足軍食当此之時、秦之士卒、以軍中為家、以将為父母、不約而親、不謀而信。一心同力、死不旋踵。楚人自戦其地、咸顧其家、各有散心、莫有闘意、是以能有功也。
書き下し
武安君曰く「是の時、楚王は其の国の大なるを恃みて、其の政を恤えず。而して群臣は功を以て相妬み、諂諛事を用い、良臣は疎斥せられ、百姓は心離れ、城池修まらず、既に良将無く、又た守備無し。故に臣、兵を引きて深く入るを得たり。兵多く城邑に倍き、梁を発き舟を焚きて、以て人心を専らにし、郊野に掠めて、以て軍食を足す。此の時に当たりて、秦の士卒は軍中を以て家と為し、将を以て父母と為す。約せずして親しみ、謀らずして信ず。心を一にし力を同じくし、死すとも踵を旋らさず。楚人は自ら其の地に戦い、咸な其の家を顧み、各々散心有りて、闘う意有る莫し。是を以て能く功有るなり。
現代語訳
武安君は言った。「あのとき楚王は国の大きさを頼んで政治を顧みませんでした。臣下は手柄を妬み合い、へつらう者が実権を握り、良い臣は遠ざけられ、民の心は離れ、城も堀も修理されず、良い将もおらず、守りの備えもありませんでした。だから私は兵を率いて深く入り込めたのです。兵の多くは城から遠ざかり、橋を落とし舟を焼いて退路を断ち、兵の心を一つにし、郊外で略奪して兵糧を足しました。このとき秦の兵は軍中をわが家とし、将軍を父母としていました。約束しなくても親しみ、相談しなくても信じ合った。心を一つにし力を合わせ、死んでも後ろを振り向きませんでした。楚の人は自分の土地で戦ったので、皆が家を気にかけ、心は散り散りで、戦う気がありませんでした。だから手柄を立てられたのです。
解説
この章句が説くこと
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李衛公問対・卷下夫れ用兵の法は、必ず先ず吾が士衆を察し、吾が勝氣を激して、乃ち以て敵を擊つべし。吳起の『四機』は、氣機を以て上と爲す。他の道無きなり。能く人人をして自ら鬬わしむれば、則ち其の銳當たる莫し。
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