長短経 / 覇図
世祖光武皇帝諱秀、字文叔、南陽蔡陽人。髙皇帝之九代孫也。王莽末、天下連嵗灾蝗、寇盜蜂起。〔莽末、〕〔南方飢饉、人民羣入野澤、掘鳬茈而食、更相侵奪。新市人王匡為平理爭訟、遂推為渠帥。〕時世祖避吏新野、因賣穀宛、宛人李通以圖䜟説世祖。〔通父守、好䜟記。通素聞守説云、「劉氏復興、李氏為輔。」私嘗懐之。及下江、新市兵起、通弟軼乃共計議曰、「今四方擾亂、新室且亡、漢當更興。南陽宗室、獨劉伯升兄弟汎愛容衆、可與謀大事。」通曰、「吾意也。」會世祖避事在宛、通聞之、即遣軼迎世祖、遂相約結。
新字:世祖光武皇帝諱秀、字文叔、南陽蔡陽人。高皇帝之九代孫也。王莽末、天下連歳災蝗、寇盗蜂起。〔莽末、〕〔南方飢饉、人民羣入野沢、掘鳬茈而食、更相侵奪。新市人王匡為平理争訟、遂推為渠帥。〕時世祖避吏新野、因売穀宛、宛人李通以図䜟説世祖。〔通父守、好䜟記。通素聞守説云、「劉氏復興、李氏為輔。」私嘗懐之。及下江、新市兵起、通弟軼乃共計議曰、「今四方擾乱、新室且亡、漢当更興。南陽宗室、独劉伯升兄弟汎愛容衆、可与謀大事。」通曰、「吾意也。」会世祖避事在宛、通聞之、即遣軼迎世祖、遂相約結。
書き下し
世祖光武皇帝、諱は秀、字は文叔、南陽蔡陽の人なり。高皇帝の九代の孫なり。王莽の末、天下、連歳災蝗あり、寇盗蜂起す。〈莽の末、南方饑饉あり。人民、群れて野沢に入り、鳧茈を掘りて食らい、更々相い侵奪す。新市の人王匡、為に争訟を平理す。遂に推されて渠帥と為る。〉時に世祖、吏を新野に避け、因りて穀を宛に売る。宛の人李通、図讖を以て世祖に説く。〈通の父守、讖記を好む。通、素より守の説きて云うを聞く「劉氏復興し、李氏輔と為らん」と。私かに嘗て之を懐く。下江・新市の兵の起こるに及び、通の弟軼、乃ち共に計議して曰く「今、四方擾乱し、新室且に亡びんとす。漢、当に更に興るべし。南陽の宗室、独り劉伯升兄弟のみ汎く愛し衆を容る。与に大事を謀る可し」と。通曰く「吾が意なり」と。会々世祖、事を避けて宛に在り。通、之を聞き、即ち軼を遣わして世祖を迎えしむ。遂に相い約結す。
現代語訳
世祖光武皇帝は諱を秀、字を文叔といい、南陽蔡陽の人である。高祖の九代の孫である。王莽の末、天下は続けて災害と蝗に見舞われ、盗賊が蜂起した。〈王莽の末、南方に飢饉があった。人々は群れて野や沢に入り、くわいを掘って食べ、互いに奪い合った。新市の人王匡が彼らのために争いを裁いた。そして推されて頭領となった。〉当時、世祖は役人を避けて新野にいて、穀物を宛で売っていた。宛の人李通が予言書によって世祖に説いた。〈李通の父の守は予言書を好んだ。李通は父が「劉氏が再興し、李氏が輔佐となる」と説くのを聞いていた。ひそかに心に留めていた。下江と新市の兵が起こると、李通の弟の軼が一緒に相談して言った。「いま四方は乱れ、新の王朝は滅びようとしている。漢がまた興るはずだ。南陽の宗室では、劉伯升の兄弟だけが広く人を愛し衆を容れる。ともに大事を謀れる」。李通は「私もそう思う」と言った。ちょうど世祖は事を避けて宛にいた。李通はそれを聞き、弟の軼を遣わして世祖を迎えさせた。こうして手を結んだ。
解説

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