長短経 / 覇図
闗中諸將馬超、韓遂、成宜等反、曹公破之。〔曹公與馬超等夾關為界。曹公急持而潜遣徐晃等夜渡蒲坂津、據河西為營。公自潼關北渡、未濟、超赴船急戰。丁斐放牛馬以餌賊。賊亂、取牛馬、公乃得渡、結營渭南。超遣信求割地、任子以和、公偽許之。韓遂請與公相見。至期、交馬上、語移時、不及軍事、但説京都故舊、拊手歡笑。既罷、超問遂何言、遂曰、「無所言。」超疑之。他日、公又與遂書、多所改滅㸃竄、如遂改定者、超愈疑遂。曹公乃與戰、大破之。關中平。
新字:関中諸将馬超、韓遂、成宜等反、曹公破之。〔曹公与馬超等夾関為界。曹公急持而潜遣徐晃等夜渡蒲坂津、拠河西為営。公自潼関北渡、未済、超赴船急戦。丁斐放牛馬以餌賊。賊乱、取牛馬、公乃得渡、結営渭南。超遣信求割地、任子以和、公偽許之。韓遂請与公相見。至期、交馬上、語移時、不及軍事、但説京都故旧、拊手歓笑。既罷、超問遂何言、遂曰、「無所言。」超疑之。他日、公又与遂書、多所改滅㸃竄、如遂改定者、超愈疑遂。曹公乃与戦、大破之。関中平。
書き下し
関中の諸将馬超・韓遂・成宜等反す。曹公、之を破る。〈曹公と馬超等と関を夾みて界と為す。曹公、急に持して、潜かに徐晃等を遣わして夜に蒲坂津を渡らしめ、河西に拠りて営と為す。公、自ら潼関より北のかた渡る。未だ済らざるに、超、船に赴きて急に戦う。丁斐、牛馬を放ちて以て賊を餌にす。賊乱れ、牛馬を取る。公、乃ち渡るを得て、営を渭南に結ぶ。超、信を遣わして地を割き、任子もて以て和せんことを求む。公、偽りて之を許す。韓遂、公と相い見えんことを請う。期に至り、馬上に交わり、語ること時を移し、軍事に及ばず。但だ京都の故旧を説きて、手を拊ちて歓笑す。既に罷む。超、遂に何を言うかと問う。遂曰く「言う所無し」と。超、之を疑う。他日、公、又た遂に書を与う。改滅点竄する所多く、遂の改定する者の如し。超、愈々遂を疑う。曹公、乃ち与に戦い、大いに之を破る。関中平らぐ。
現代語訳
関中の諸将、馬超・韓遂・成宜らが反した。曹公はこれを破った。〈曹公と馬超らは関を挟んで境としていた。曹公は正面で押さえつつ、ひそかに徐晃らを遣わして夜に蒲坂の渡しを越えさせ、河西を押さえて陣とした。曹公は自ら潼関から北へ渡った。渡り切らないうちに馬超が船に襲いかかって激しく戦った。丁斐が牛馬を放って賊の餌にした。賊は乱れて牛馬を取りに行った。曹公はそれで渡り、渭水の南に陣を結んだ。馬超は使者を送って土地を割き人質を出して和を求めた。曹公は偽ってこれを許した。韓遂が曹公との会見を求めた。当日、馬上で向かい合い、長く語ったが軍事には触れなかった。ただ都の昔なじみの話をして、手を打って笑い合った。会見が終わると、馬超が韓遂に何を話したのかと尋ねた。韓遂は「何も話していない」と言った。馬超は疑った。後日、曹公はまた韓遂に手紙を送った。書き直したり消したりした箇所が多く、韓遂が自分で直したように見えた。馬超はますます韓遂を疑った。曹公は戦って大いに破った。関中は平らげられた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『長短経』覇図諸将、公に問いて曰く「初め、賊、潼関を守り、渭北の道は缺く。河東より馮翊を撃たずして、反って潼関を守り、日を引きて後に北のかた渡るは、何ぞや」と。公曰く「賊、潼関を守る。若し吾、河東に入らば、賊必ず引きて諸津を守らん。則ち西河は未だ渡る可からざるなり。吾、故に兵を盛んにして潼関に向かう。賊必ず衆を悉くして南を守り、西河の備え虚し。故に二将、擅に西河を取るを得たり。然る後に軍を引きて北のかた渡る。賊の吾と西河を争う能わざるは、二将の軍有るを以てなり。車を連ね柵を樹てて甬道と為して南するは、既に勝つ可からざるを為し、且つ以て弱を示すなり。渭を渡りて堅塁を為し、虜至るも出でざるは、之を驕らしむる所以なり。故に賊、営塁を為さずして、地を割かんことを求む。吾、言に順いて之を許すは、其の意に従い、自ら安んじて備えを為さざらしむる所以なり。因りて士卒の力を畜え、一旦にして之を撃つ。所謂疾雷は耳を掩うに及ばず、卒電は目を瞑るに及ばず、なり。兵の変に乗ずるは、固より一道に非ざるなり」と。〉
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『長短経』覇図会々攸の家、法を犯す。審配、之を収繋す。攸、志を得ず、遂に曹公に奔る。而して操に説きて淳于瓊を襲取せしむ。瓊、時に軍を督し、烏巣に屯在す。紹の軍を去ること四十里。操、自ら将いて急に之を撃つ。時に張郃、紹に説きて曰く「曹公の兵は精なり。往かば必ず瓊を破らん。瓊破れなば、則ち将軍の事去らん。宜しく兵を引きて之を救うべし」と。郭図曰く「郃の計は非なり。其の本営を攻むるに如かず。勢い必ず還らん。此れ救わずして自ら解くるを為すなり」と。郃曰く「曹公の営は固し。之を攻むるも必ず抜けざらん。若し瓊等禽にせられなば、吾が属、尽く虜と為らん」と。紹、但だ軽騎を遣わして瓊を救い、而して重兵を以て操の営を攻むるも、下す能わず。曹公、瓊を破り、其の積聚を焚く。紹の軍、潰散奔北す。曹公、遂に紹を破り、乃ち天下を威震するなり。〉
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『長短経』覇図紹、果たして曹公の敗る所と為る。紹、進みて武陽を保ち、操と相い持す。沮授、又た説きて曰く「北兵は衆しと雖も、果勁は南に及ばず。南の穀は虚少なるも、財貨は北に及ばず。南の利は急戦に在り、北の利は緩搏に在り。宜しく持久を修め、曠しくするに日月を以てすべし」と。紹従わず。連営して漸く官渡に逼る。許攸、進みて曰く「曹操は兵少なくして、師を悉くして我を拒ぐ。許下の余守、勢い必ず虚弱ならん。若し軽騎を分遣し、星行して襲わば、許抜けて、則ち操は擒を成さん。如し其れ未だ潰えずんば、首尾をして奔命せしむ可し。之を破ること必せん」と。紹、又た用うる能わず。
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『長短経』覇図卓、兵起こるを聞き、乃ち天子を徙して長安に都す。卓、兵を留めて洛陽に屯す。司徒王允と呂布と、卓を殺す。楊奉・韓暹、天子を以て洛陽に還る。太祖、洛陽に至りて京邑を衛る。暹、遁れ去る。太祖、洛陽の焼焚残破せるを以て、天子を奉じて許に都す。詔を下して袁紹を責むるに、地広く兵強きも、専ら自ら党を樹て、勤王の師を聞かざるを以てす。〈紹、時に公孫瓚を并せ、四州の地を兼ぬ。〉紹、遂に許を攻む。太祖、之を官渡に破る。紹、血を嘔きて死す。
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『長短経』伐交魏の太祖、初めて関中を伐つ。賊の一部到る毎に、太祖輒ち喜ぶ。賊破るるの後、諸将其の故を問う。太祖曰く「関中は道遠し。若し各々険阻に依らば、之を征するに一二年ならずんば、定むべからざるなり。今皆来たり集まる。衆多しと雖も、能く相服する莫く、軍に適主無し。一挙にして滅ぼすべし。羌を攻むるより易し。吾是を以て喜ぶ」と。語に曰く、連鶏は俱に棲まず、離して解くべし、と。曹公之を得たり。此れ交わりを伐つ者なり。
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『長短経』覇図曹公、官渡に軍す。紹、時に衆を悉くして南す。田豊、紹に説きて曰く「曹公は善く兵を用い、変化方無し。衆は少なしと雖も、未だ軽んず可からず。久しきを以て之を持するに如かず。将軍は山河の固きに拠り、四州の衆を擁す。外は英雄を結び、内は農戦を修む。然る後に其の精鋭を簡び、分かちて奇兵と為し、虚に乗じて迭々出で、以て河南を擾し、右を救わば則ち其の左を撃ち、左を救わば則ち其の右を撃つ。敵をして奔命に疲れしめ、人、業に安んずるを得ざらしむ。我労せずして彼已に困す。三年に及ばずして、坐して克つ可きなり。今、廟算の策を釈てて、成敗を一戦に決す。若し志の如くならずんば、悔ゆとも及ぶ無きなり」と。