長短経 / 察相
魯公作楚宫、穆叔曰、「《泰誓》云、『人之所欲、天必從之。』君欲楚也夫、故作其宫。不復適楚、必死是宫。」六月辛巳、公薨于楚宫。晉侯卻犨送孫林父于衛。衛侯饗之、苦成叔敖。衛大夫□曰、「苦成家其亡乎?古之饗食也、以觀威儀、省禍福。故《詩》云、『兕觥其觩、旨酒思柔。彼交匪敖、萬福來求。』今夫子敖、取禍之道也。」十七年、卻氏亡。齊侯與衛侯㑹于商任、不敬。叔向曰、「二君者必不免。㑹朝、禮之經也。禮、政之輿也。政、身之守也。怠禮失政、不立、是以亂也。」二十五年、齊弑光。二十六年、衛弑剽也。〕
新字:魯公作楚宮、穆叔曰、「《泰誓》云、『人之所欲、天必従之。』君欲楚也夫、故作其宮。不復適楚、必死是宮。」六月辛巳、公薨于楚宮。晋侯却犨送孫林父于衛。衛侯饗之、苦成叔敖。衛大夫□曰、「苦成家其亡乎?古之饗食也、以観威儀、省禍福。故《詩》云、『兕觥其觩、旨酒思柔。彼交匪敖、万福来求。』今夫子敖、取禍之道也。」十七年、却氏亡。斉侯与衛侯会于商任、不敬。叔向曰、「二君者必不免。会朝、礼之経也。礼、政之輿也。政、身之守也。怠礼失政、不立、是以乱也。」二十五年、斉弑光。二十六年、衛弑剽也。〕
書き下し
魯公、楚宮を作る。穆叔曰く「泰誓に云う『人の欲する所は、天必ず之に従う』と。君は楚を欲するなり。故に其の宮を作る。復た楚に適かずんば、必ず是の宮に死せん」と。六月辛巳、公、楚宮に薨ず。晋侯、卻犨をして孫林父を衛に送らしむ。衛侯、之を饗す。苦成叔、敖る。衛の大夫□曰く「苦成の家は其れ亡びんか。古の饗食は、以て威儀を観、禍福を省みる。故に詩に云う『兕觥其れ觩たり、旨酒思れ柔なり。彼れ交わりて敖らず、万福来たり求む』と。今、夫子は敖る。禍を取るの道なり」と。十七年、卻氏亡ぶ。斉侯と衛侯、商任に会す、敬せず。叔向曰く「二君は必ず免れじ。会朝は礼の経なり。礼は政の輿なり。政は身の守りなり。礼を怠れば政を失い、立たず、是を以て乱るるなり」と。二十五年、斉は光を弑す。二十六年、衛は剽を弑す。〕
現代語訳
魯公が楚風の宮殿を造った。穆叔は言った。「泰誓に『人が欲するものには、天が必ず従う』とある。君は楚を欲している。だからその宮を造った。もう楚へは行けないのだから、必ずこの宮で死ぬだろう」。六月辛巳、魯公は楚宮で亡くなった。晋侯が卻犨に孫林父を衛へ送らせた。衛侯が宴を開いた。苦成叔(卻犨)は驕った態度を取った。衛の大夫某は言った。「苦成の家は滅びるだろう。昔の饗宴は、それによって威儀を見、禍福を省みるものだった。だから詩経に『角の杯は曲がり、うまい酒は柔らかい。かの人は交わって驕らず、万福が集まってくる』とある。いま卻犨は驕っている。禍を招く道である」。十七年後、卻氏は滅びた。斉侯と衛侯が商任で会見し、敬意を欠いた。叔向は言った。「二人の君は逃れられまい。会合と朝見は礼の根幹である。礼は政治を載せる車であり、政治は身を守るものである。礼を怠れば政治を失い、立てなくなり、それゆえ乱れる」。二十五年、斉は荘公光を弑逆した。二十六年、衛は剽を弑逆した。〕
解説

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『五常訓』巻之四・礼本立てば末は是より出づる理なり。末のみ修りて、本なきは、誠なくして、礼の道たたず。喪の礼は、ことさら真実ならでは行はれざるものなれば、既に礼の本を説きて、又其内より、喪の礼の本をかかげ出して説き給ふ。
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『五常訓』巻之四・礼一朱子曰、礼は即理の節文なり。いふ意は、万の行、道理にかなひて、過不及なく、程よきを云ふ。飲食の一事をいはば、うゑかわく時に飲み食ふは理なり。されども、飲み食ふべき理なりとて、みだりに多く飲み食へば、放逸にして、みだりがはしく、又必病を生ず。飲み食ふべき理にあたりて、過不及なく、よき程なるが、理の節文なり。万の事、是を以て知るべし。
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『五常訓』巻之四・礼一礼記に、子曰、敬ひて礼にあたらざる、これを野と云ふ。敬ふは誠によけれど、礼にかなはざれば、これ野きなり。敬によき程の法あり。過不及ありて、其法にかなはざるは、是礼にあたらざるなり。況やおごりて理にかなはざるは、ことに礼にそむけり。野きより、其害甚し。
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『弁名』禮礼は道の名なり。先王の制作する所の四教・六芸、是れ其の一に居る。所謂経礼三百、威儀三千、是れ其の物なり。六芸は、書・数は庶人の官に在る者、府・史・胥・徒の専ら務むる所と為す。御も亦た士の職とする所なり。射は諸侯に通ずと雖も、其の所謂射は、礼楽を以て之を行ふ、民の射の皮を主とする者の比に非ず。唯だ礼楽のみ乃ち芸の大なる者にして、君子の務むる所なり。而して楽は伶官に掌られ、君子以て徳を養ふのみ。礼に至りては則ち君子此を以て顕業と為す。是を以て孔子少くして礼を知るを以て称せられ、周に之きて礼を老聃に問ひ、杞に之き宋に之き、唯だ礼を之れ求む。子夏の記す所、曾子の問ふ所、七十子皆礼に断断たり。檀弓の諸篇に見ゆ。三代の君子の礼を務むる、以て見るべきのみ。
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『弁名』禮是の礼楽の教は、黙して之を識るに在りと雖も、然れども人の知、至る有り、至らざる有り。故に孔子時有りてか、一隅を挙げて以て其の義を語る。義とは先王の礼を制する所以の義、戴記に載する所皆是れのみ。祇だ人の知、至る有り、至らざる有り。故に七十子の先王を信ずる、孔子の先王を信ずるに及ばず。其の人の七十子を信ずるも、亦た七十子の孔子を信ずるに及ばず。故に其の人に喩さんと欲するの急なる、其の義を論説して已まず。日に以て蔓衍し、以て戦国の時に至りて、義遂に礼を離れて孤行し、復た礼に就きて其の義を言はず。孟子の書を観て見るべきのみ。此れより其の後、古を去ること益〻遠く、義理の説益〻盛んに、囂然として以て天下を乱し、先王・孔子の教、蕩乎として尽く。悲しいかな。