長短経 / 君徳
虞南曰、「魏武、曹騰之孫、累葉榮顯、濯纓漢室、三十餘年。及董卓之亂、乃與山東俱起、誅滅元凶曾非己力。晉宣歴任卿相、位極台鼎、握天下之圖、居既安之勢、奉明詔而誅逆節、建瓴為譬、未足喻也。宋祖以匹夫提劍、首創大業。旬月之間、重安晉鼎、居半州之地、驅一郡之卒、斬譙縱于庸蜀、禽姚紹于崤函、尅慕容超于青部、梟盧循於嶺外。戎旗所指、無往不㨗。觀其豁達、則漢祖之風、制勝胷襟、則光武之匹。惜其祚短、志未可量!此為優矣。」
新字:虞南曰、「魏武、曹騰之孫、累葉栄顕、濯纓漢室、三十余年。及董卓之乱、乃与山東倶起、誅滅元凶曽非己力。晋宣歴任卿相、位極台鼎、握天下之図、居既安之勢、奉明詔而誅逆節、建瓴為譬、未足喩也。宋祖以匹夫提剣、首創大業。旬月之間、重安晋鼎、居半州之地、駆一郡之卒、斬譙縦于庸蜀、禽姚紹于崤函、尅慕容超于青部、梟盧循於嶺外。戎旗所指、無往不捷。観其豁達、則漢祖之風、制勝胸襟、則光武之匹。惜其祚短、志未可量!此為優矣。」
書き下し
虞南曰く「魏武は曹騰の孫、累葉栄顕し、纓を漢室に濯うこと三十余年。董卓の乱に及び、乃ち山東と倶に起こり、元凶を誅滅す。曾て己の力に非ず。晋の宣は卿相を歴任し、位は台鼎を極め、天下の図を握り、既安の勢いに居る。明詔を奉じて逆節を誅す。瓴を建つるを譬えと為すも、未だ喩うるに足らざるなり。宋祖は匹夫を以て剣を提げ、首めて大業を創む。旬月の間に、重ねて晋の鼎を安んず。半州の地に居り、一郡の卒を駆り、譙縦を庸蜀に斬り、姚紹を崤函に禽にし、慕容超を青部に克ち、盧循を嶺外に梟す。戎旗の指す所、往きて捷たざる無し。其の豁達を観れば、則ち漢祖の風なり。勝を胸襟に制するは、則ち光武の匹なり。惜しむらくは其の祚の短くして、志の未だ量る可からざるを。此れ優と為す」と。
現代語訳
虞世南は言った。「魏の武帝(曹操)は曹騰の孫で、代々栄え顕れ、漢の王室で三十余年を過ごした。董卓の乱に及んで、山東の諸侯とともに立ち、元凶を誅滅した。もともと自分だけの力ではない。晋の宣帝(司馬懿)は大臣を歴任し、位は三公を極め、天下の地図を握り、すでに安定した勢いのなかにいた。明らかな詔を奉じて謀反者を誅した。屋根から瓶の水を注ぐようなものだと言っても、まだ足りないほどたやすい。宋の高祖(劉裕)は庶民の身で剣を提げ、初めて大業を創めた。ひと月の間に、ふたたび晋の鼎を安んじた。半州の土地に拠り、一郡の兵を率い、譙縦を蜀に斬り、姚紹を崤山と函谷に捕らえ、慕容超を青州で破り、盧循を嶺南で梟首にした。軍旗の指すところ、行って勝てないところはなかった。その豁達さを見れば、漢の高祖の風である。胸のうちで勝ちを決めるのは、光武帝に匹敵する。惜しむらくは、その位が短く、志のほどを測れないことである。これが優れているということだ」。
解説
この章句が説くこと
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『長短経』君徳炎精競わずより、宇県分崩す。曹孟徳は天子を挟みて諸侯に令し、劉玄徳は蜀漢の阻に憑り、孫仲謀は江淮の固に負き、天下を三分して鼎足して立つ。皆な肇めて王業を開き、覇図を光啓す。三方の君、孰れか優劣有らん。虞南曰く「曹公の兵機智算は、殆ど与に敵し難し。故に能く迹を肇め基を開き、中に居て相と作る。実に英雄の才有り。然れども譎詭常ならず、雄猜にして忌むこと多し。伏后を殺し荀彧を鴆し、孔融を誅し崔琰を戮するに至る。婁生は一言に斃れ、桓邵は下拝に労す。徳を棄て刑に任じ、其の虐已に甚だし。坐して西伯を論ずるに、実に其の人に非ず。許劭の所謂『治世の能臣、乱世の姦雄』とは、斯の言当たれりと為す」と。
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『長短経』君徳虞南曰く「何晏称す『唯だ深きなり、故に能く天下の志に通ず、夏侯太初是なり。惟だ機なり、故に能く天下の務を成す、司馬子元是なり』と。故に王佐の才は、早日に著るるを知る。爽を誅するの際に及び、智略已に宣ぶ。欽・倹、兵を称するに、全軍もて独り克つ。此れ以て其の英図を見るに足る。道は三分に盛んなりと雖も、終身北面し、威名は主を振わすも臣節は虧けず。侯服して全きに帰す。斯に於て美と為す。太祖嗣ぎ興り、克く禍乱を寧んず。南は淮海を定め、西は庸蜀を平らぐ。役は時を踰えず、厥の功重しと為す。高貴の歴を纂ぐに及び、聡明夙智なるも、忠を竭くし協賛して伊周に迹を擬する能わず。遂に乃ち士彦を偽謗し、罪を成済に委ね、自ら逆節を貽し、終に悪名を享く。斯の言の玷は、磨く可からざるなり」と。
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『長短経』君徳〔裴子野曰く「宋の武皇帝は、苛跡は魏武より多く、大徳は晋宣より厚し。足を行間に抜きて、孫恩蟻聚の衆を却け、臂を荊・郢に奮いて、桓玄盤石の宗を掃う。軌を方べて長駆すれば則ち三斉に堅塁無く、戈を迴らして内に赴けば則ち五嶺に余妖靡し。孫季高に巨海の上に命じて番隅席巻し、朱齢石を百夫の下に擢きて庸蜀来王す。羌胡は威を畏れ、反って表裏と為る。虎旅を董率して、以て中原を事とす。然る後に上帝に請呼し、前王に歩驟し、光く帝図を有つ。之を義取と謂う者なり」と。
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『長短経』君徳世祖は乾霊の休徳を体し、貞和の純精を稟け、黄中の妙理を蹈み、亜聖の懿才を韜む。其の徳為るや、聡達にして識多く、仁智にして明恕、重慎にして周密、施を楽しみて人を愛す。陽九無妄の世に値い、炎精厄会の運に遭う。殷爾として雷発し、赫然として神挙す。武略を奮いて以て暴を攘い、義兵を興して以て残を掃う。軍未だ南京を出でずして、莽已に東都に斃る。爾して乃ち廟勝して後に衆を動かし、計定まりて後に師を行る。故に攻むれば陥れざるの塁無く、戦えば奔北の卒無し。寛仁以て衆を和し、邁徳以て遠きを来たす。故に竇融は声を聞きて影のごとく附き、馬援は一見して歎息す。九族を敦睦して、唐虞の称有り。純朴を高尚して、羲皇の素有り。謙虚にして下を納れ、吐握の労有り。庶事に心を留め、日昃の勤有り。是を以て功を計れば則ち業殊なり、隆を比ぶれば則ち事異なる。徳を旌せば則ち僭ること靡く、言行すれば則ち穢れ無し。事を量れば則ち勢い微に、輔を論ずれば則ち臣弱し。卒に能く乾図の休徴を効し、不刊の遐迹を立つ。金石は其の休烈を銘し、詩書は其の懿勲を載す。故に曰く、光武は其れ優れるなり」と。