長短経 / 君徳
〔《武帝贊》曰、「漢承百王之弊髙祖撥亂反正、文景務在養人、至于稽古禮文之事、猶多闕焉。孝武初立、卓然罷黜百家、表章六經、遂疇咨海内、舉其俊茂、與之立功。興太學、修郊祀、改正朔、定厯數、協音律、作詩樂、建封禪、禮百神、紹周後、號令文章、煥焉可述。後嗣得遵洪業、而有三代之風。如武帝之雄材大略、不改文景之恭儉、以齊斯人、雖《詩》、《書》所稱、何有加焉?」推此而言之、彼漢武秦皇、皆立功之君、非守成之主也。〕
新字:〔《武帝賛》曰、「漢承百王之弊高祖撥乱反正、文景務在養人、至于稽古礼文之事、猶多闕焉。孝武初立、卓然罷黜百家、表章六経、遂疇咨海内、舉其俊茂、与之立功。興太学、修郊祀、改正朔、定歴数、協音律、作詩楽、建封禅、礼百神、紹周後、号令文章、煥焉可述。後嗣得遵洪業、而有三代之風。如武帝之雄材大略、不改文景之恭倹、以斉斯人、雖《詩》、《書》所称、何有加焉?」推此而言之、彼漢武秦皇、皆立功之君、非守成之主也。〕
書き下し
〔武帝の賛に曰く「漢は百王の弊を承く。高祖は乱を撥して正に反し、文景は務め人を養うに在り。古を稽え礼文するの事に至りては、猶お闕くること多し。孝武初めて立ち、卓然として百家を罷黜し、六経を表章す。遂に海内に疇咨し、其の俊茂を挙げて、之と功を立つ。太学を興し、郊祀を修め、正朔を改め、暦数を定め、音律を協え、詩楽を作り、封禅を建て、百神を礼し、周の後を紹ぐ。号令文章、煥焉として述ぶ可し。後嗣は洪業を遵うを得て、三代の風有り。武帝の雄材大略の如きにして、文景の恭倹を改めず、以て斯の人を斉えば、詩・書の称する所と雖も、何ぞ加うる有らんや」と。此を推して之を言えば、彼の漢武・秦皇は、皆な功を立つるの君にして、成を守るの主に非ざるなり。〕
現代語訳
〔漢書の武帝の賛にこうある。「漢は百代の王の弊害を受け継いだ。高祖は乱を収めて正しきに返し、文帝・景帝は民を養うことに努めた。古を調べて礼と文を整えることについては、まだ欠けるところが多かった。武帝が即位すると、際立って諸子百家を退け、六経を表彰した。そして天下に人材を求め、その優れた者を挙げてともに功を立てた。太学を興し、郊祀を修め、暦の始まりを改め、暦数を定め、音律を整え、詩楽を作り、封禅を行い、百神を祭り、周の後裔を継がせた。命令も文章も輝かしく語るに足りる。後継者は大業を受け継ぐことができ、三代の風があった。武帝ほどの雄材大略でありながら、文帝・景帝の恭倹を改めず、それで民を揃えていたなら、詩経や書経が称えるものであっても、これに加えるものがあろうか」。これを推して言えば、あの漢の武帝と秦の始皇は、どちらも功を立てる君主であって、成果を守る君主ではない。〕
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『長短経』君徳或るひと曰く「漢の武帝は雄才大略なり。前代の何の主にか方ぶ可き」と。虞南曰く「漢武は六世の業を承け、海内殷富なり。又た高人の資有り。故に能く英雄を総攬し、豪傑を駕御し、内は礼楽を興し、外は辺境を開く。制度憲章、煥然として述ぶ可し。始皇に方ぶれば、則ち優れりと為す。驕奢暴虐に至りては、以て相い亜ぐ可し。並びに功余り有りて徳足らず」と。
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『長短経』君徳夏は忠を尚ぶ。忠の弊は野朴なり。故に殷は之を承くるに敬を以てす。敬の弊は鬼なり。故に周は之を承くるに文を以てす。文の弊は薄なり。薄を救うは忠に若くは莫し。三王の道は、周りて復た始まる。周秦の間は、文弊と謂う可し。秦は改めずして、反って刑を酷にす。漢は其の弊を承けて天統を得たり。孔融曰く「周の武は后稷より以来、其の身に至るまで、相い承くること十五世を積む。但だ魚鳥の瑞有るのみ。高祖の如きに至りては、一身徳を修めて、瑞に四五有り。白蛇分かれ、神母哭き、西のかた関に入り、五星聚まる。又た武王は紂を伐ちて、斬りて之を梟す。高祖は秦に入りて、子嬰を赦して之を遣る。是れ其の寛裕、又た高祖に如かず」と。虞南曰く「帝者は師と処り、王者は友と処り、覇者は臣と処る。漢祖の臣は三傑是なり。光武の佐は二十八将是なり。豈に鄧禹・呉漢を以て張良・韓信に匹す可けんや。然れども漢祖の功臣は、皆な強盛にして誅滅せらる。光武の佐命は、悉く優秩を用いて安全なり。君臣の際、良に称す可きなり。長を絶ちて短を補えば、其の次に抑うるなり」と。此に由りて之を言えば、夫れ漢高は秦・項を克平し、漢業を開創す。衣冠礼楽、之を後代に垂る。未だ王道に階らずと雖も、霸徳の盛んなるなり。〕
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『長短経』君徳或るひと曰く「王霸の道は、既に命を聞けり。敢えて問う、高・光の二帝は、皆な壠畝より抜起し、禍難を芟夷して、遂に王業を開く。高祖は豁達にして以て大度あり、光武は謹細にして条目に于てす。各々其の美を擅にし、龍飛鳳翔す。故に能く乱を掇めて人を庇い、斯の塗炭を拯う。然れども大徳に比し、天威に方ぶるに、孰れをか優劣と為さんや」と。
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『長短経』君徳或るひと曰く「班固称す、周は成康と云い、漢は文景と言うと。斯の言当たれるか」と。虞南曰く「成康は文武の遺跡を承け、周・召を以て相と為し、篤厚の氓を化し、積仁の徳に因る。疾風の草を偃すも、未だ喩えと為すに足らず。漢祖の基を開くが如きに至りては、日も給かならず、嬴を亡ぼすの弊、猶お存する者有り。太宗は茲の仁恕を体し、式ちて玄黙に遵い、秦・項の酷烈を滌ぎ、軒・昊の淳風に反す。幾んど刑を厝くに致る。斯れ難しと為すなり。若し新垣の説に溺れず、鄧通の夢を取る無くんば、懍懍乎たり、庶幾くは王道に近からん。景帝の周の康に擬するは、則ち尚お慙徳有り」と。
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『長短経』君徳世祖は乾霊の休徳を体し、貞和の純精を稟け、黄中の妙理を蹈み、亜聖の懿才を韜む。其の徳為るや、聡達にして識多く、仁智にして明恕、重慎にして周密、施を楽しみて人を愛す。陽九無妄の世に値い、炎精厄会の運に遭う。殷爾として雷発し、赫然として神挙す。武略を奮いて以て暴を攘い、義兵を興して以て残を掃う。軍未だ南京を出でずして、莽已に東都に斃る。爾して乃ち廟勝して後に衆を動かし、計定まりて後に師を行る。故に攻むれば陥れざるの塁無く、戦えば奔北の卒無し。寛仁以て衆を和し、邁徳以て遠きを来たす。故に竇融は声を聞きて影のごとく附き、馬援は一見して歎息す。九族を敦睦して、唐虞の称有り。純朴を高尚して、羲皇の素有り。謙虚にして下を納れ、吐握の労有り。庶事に心を留め、日昃の勤有り。是を以て功を計れば則ち業殊なり、隆を比ぶれば則ち事異なる。徳を旌せば則ち僭ること靡く、言行すれば則ち穢れ無し。事を量れば則ち勢い微に、輔を論ずれば則ち臣弱し。卒に能く乾図の休徴を効し、不刊の遐迹を立つ。金石は其の休烈を銘し、詩書は其の懿勲を載す。故に曰く、光武は其れ優れるなり」と。
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『長短経』君徳曹植曰く「昔、漢の初め興るや、高祖は暴秦に因りて起こり、遂に強楚を誅し、光く天下を有つ。功は湯武に斉しく、業は後嗣に流る。帝王の元勲、人君の盛事なり。然り而して名は純徳ならず、行は純道ならず。身没するの後、崩亡の際、果たして凶婦をして酷虐の心を肆にせしめ、嬖妾は人彘の刑を被る。趙王は幽囚せられ、禍は骨肉に殃す。諸呂は権を専らにし、社稷幾んど移る。凡そ此の上の事は、豈に高祖の寡計浅慮にして以て斯に致すに非ずや。然れども其の梟将画臣は、皆な古今の鮮なき所、歴代の希に覯る有る所なり。惟だ能く其の才に任じて之を用い、其の言を聴きて之を察す。故に天下を兼ねて帝位を有つなり。