長短経 / 覇図
景帝崩、弟昭代為相〔昭字子上、是為太祖文帝。、〕輔政為司空。諸葛誕據夀春、反、奉詔征平之。伐蜀、擒劉禪、於時政出於權臣、人君主祭而已。魏帝不能容、自勒兵攻相府、太祖用長史賈充計、逆戰、舎人成濟執殺魏帝〔髙貴鄉公也、名髦、字士彦乃偽令皇太后下令廢少帝、又委罪成濟、誅其三族。〕太祖崩、子炎受魏禪〔炎字子安、文帝太子、是為世祖武皇帝。〕既受魏禪、用羊祜、杜預計、征吴、平之。立二十五年崩、太子衷立〔字正度、是為惠帝、武帝太子。〕
新字:景帝崩、弟昭代為相〔昭字子上、是為太祖文帝。、〕輔政為司空。諸葛誕拠寿春、反、奉詔征平之。伐蜀、擒劉禅、於時政出於権臣、人君主祭而已。魏帝不能容、自勒兵攻相府、太祖用長史賈充計、逆戦、舎人成済執殺魏帝〔高貴郷公也、名髦、字士彦乃偽令皇太后下令廃少帝、又委罪成済、誅其三族。〕太祖崩、子炎受魏禅〔炎字子安、文帝太子、是為世祖武皇帝。〕既受魏禅、用羊祜、杜預計、征呉、平之。立二十五年崩、太子衷立〔字正度、是為恵帝、武帝太子。〕
書き下し
景帝崩じ、弟昭、代わりて相と為る。〈昭は字は子上、是を太祖文帝と為す。〉政を輔けて司空と為る。諸葛誕、寿春に拠りて反す。詔を奉じて征して之を平らぐ。蜀を伐ち、劉禅を擒にす。時に於て政は権臣より出で、人君は祭を主るのみ。魏帝、容るる能わず、自ら兵を勒して相府を攻む。太祖、長史賈充の計を用いて逆え戦う。舎人成済、魏帝を執え殺す。〈高貴郷公なり。名は髦、字は士彦。乃ち偽りて皇太后をして令を下して少帝を廃せしめ、又た罪を成済に委ね、其の三族を誅す。〉太祖崩じ、子炎、魏の禅を受く。〈炎は字は子安、文帝の太子、是を世祖武皇帝と為す。〉既に魏の禅を受け、羊祜・杜預の計を用い、呉を征して之を平らぐ。立つこと二十五年にして崩ず。太子衷立つ。〈字は正度、是を恵帝と為す。武帝の太子なり。〉
現代語訳
景帝が崩じて、弟の司馬昭が代わって宰相となった。〈司馬昭は字を子上といい、これが太祖文帝である。〉政を輔けて司空となった。諸葛誕が寿春に拠って反した。詔を受けて征伐し平らげた。蜀を伐って劉禅を捕らえた。このとき政治は権臣から出て、君主は祭祀をつかさどるだけだった。魏帝はこれに耐えられず、自ら兵を率いて宰相府を攻めた。太祖は長史賈充の計を用いて迎え撃った。舎人の成済が魏帝を捕らえて殺した。〈高貴郷公である。名は髦、字は士彦。そこで偽って皇太后に命令を下させて少帝を廃し、さらに罪を成済に負わせ、その三族を誅した。〉太祖が崩じて、子の司馬炎が魏の禅譲を受けた。〈司馬炎は字を子安といい、文帝の太子で、これが世祖武皇帝である。〉魏の禅譲を受けると、羊祜と杜預の計を用いて呉を征伐し平らげた。在位二十五年で崩じた。太子の衷が立った。〈字は正度、これが恵帝で、武帝の太子である。〉
解説

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