長短経 / 覇図
三年、肅宗崩、至孝武帝昌明立。簡文皇帝三子羝賊苻堅㓂淮南、晉冠軍將軍謝𤣥等大破堅於淝水〔苻堅以百萬之衆至淝水。謝𤣥乃選勇士八千人、涉渡淝水、𤣥遣使謂堅曰、「阻水為陣、曠日持久、請小却、與君周旋。」秦諸將聞前軍却、謂已失利。朱序之徒聲云堅敗。大軍退、自相填籍、聞風聲鶴唳、皆曰南軍至也。遂大敗。〕堅還長安〔苻堅因此卒亡滅也。〕二十一年、帝崩。自後遂干戈相繼、至安帝為桓𤣥所簒宋祖劉裕平𤣥。至恭帝、遂禪於宋。
新字:三年、粛宗崩、至孝武帝昌明立。簡文皇帝三子羝賊苻堅㓂淮南、晋冠軍将軍謝玄等大破堅於淝水〔苻堅以百万之衆至淝水。謝玄乃選勇士八千人、渉渡淝水、玄遣使謂堅曰、「阻水為陣、曠日持久、請小却、与君周旋。」秦諸将聞前軍却、謂已失利。朱序之徒声云堅敗。大軍退、自相填籍、聞風声鶴唳、皆曰南軍至也。遂大敗。〕堅還長安〔苻堅因此卒亡滅也。〕二十一年、帝崩。自後遂干戈相継、至安帝為桓玄所簒宋祖劉裕平玄。至恭帝、遂禅於宋。
書き下し
三年、粛宗崩ず。孝武帝昌明に至りて立つ。簡文皇帝の三子なり。羝賊苻堅、淮南を寇す。晋の冠軍将軍謝玄等、大いに堅を淝水に破る。〈苻堅、百万の衆を以て淝水に至る。謝玄、乃ち勇士八千人を選び、淝水を渉り渡る。玄、使いを遣わして堅に謂いて曰く「水を阻みて陣と為さば、日を曠しくして持久せん。請う、小しく却きて、君と周旋せん」と。秦の諸将、前軍の却くを聞き、已に利を失えりと謂う。朱序の徒、声して堅敗ると云う。大軍退き、自ら相い填籍す。風声鶴唳を聞き、皆な曰く、南軍至ると。遂に大敗す。〉堅、長安に還る。〈苻堅、此に因りて卒に亡滅するなり。〉二十一年、帝崩ず。自後、遂に干戈相い継ぐ。安帝に至り、桓玄の簒う所と為る。宋祖劉裕、玄を平らぐ。恭帝に至り、遂に宋に禅る。
現代語訳
三年、粛宗が崩じた。孝武帝昌明が立った。簡文皇帝の三男である。羝賊の苻堅が淮南を侵した。晋の冠軍将軍謝玄らが淝水で苻堅を大破した。〈苻堅は百万の兵で淝水に至った。謝玄は勇士八千を選んで淝水を渡らせた。謝玄は使者を送って苻堅に言った。「川を隔てて陣を張れば、日を空費して長引きます。少し退いていただいて、お相手しましょう」。秦の諸将は前軍が退くのを見て、もう不利になったと思った。朱序らが苻堅が敗れたと声を上げた。大軍が退いて、互いに踏み合った。風の音と鶴の声を聞いて、みな南軍が来たと言った。こうして大敗した。〉苻堅は長安に帰った。〈苻堅はこれによってついに滅びた。〉二十一年、帝が崩じた。その後は戦が続いた。安帝に至って桓玄に位を奪われた。宋祖劉裕が桓玄を平らげた。恭帝に至って宋に禅った。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
孫子・用間篇孫子曰く、凡そ師十万を興し千里に出征すれば、百姓の費、公家の奉、日に千金を費やし、内外騒動し、道路に怠り、事を操るを得ざる者七十万家なり。
-
三十六計・第二套 敵戰計・第十二計・順手牽羊微隙は必ず乘ずる所なり。微利は必ず得る所なり。少陰、少陽。 【按語】大軍動く處、其の隙甚だ多し。間に乘じて利を取り、必ずしも勝を以てせず。勝は固より用ふべし、敗も亦た用ふべし。
-
十八史略・『十八史略』東晋・淝水・淝水の戦いと風声鶴唳秦、兵を遣わして道を分かち晋を寇し、諸郡を陥れ、襄陽の刺史朱序を執えて以て帰る。已にして大挙を議す。或るひと謂う、晋に長江の険有り、と。堅曰く、吾が衆を以て鞭を江に投ぜば、其の流れを断つ可し、と。時に中外、皆諫む。惟だ慕容垂・姚萇のみ、其の釁に乗ぜんと欲して之を勧む。南伐し、堅、遂に長安を発す。戎卒六十余万、騎二十七万。晋、謝石を以て征討大都督と為し、謝玄を前鋒都督と為し、衆八万を督して之を拒ぐ。劉牢之、精兵五千を帥い、洛澗に趣き、直ちに水を渡りて秦の前鋒梁成を撃ち、之を斬る。石等、水陸継ぎて進む。堅、寿陽城に登り、晋兵の部陣厳整なるを望見し、又八公山の草木を望見して、皆以て晋兵と為し、憮然として懼れの色有り。秦兵、肥水に逼りて陣す。玄、人をして謂わしめて曰く、陣を移して小しく却け、我が兵をして渡るを得しめ、以て勝負を決せんこと、可ならんか、と。堅、聴かんと欲す。晋兵の半ば渡るを、之を撃つ。兵を麾して却けしむるも、秦兵は退きて復た止む可からず。朱序、陣後に在りて呼びて曰く、秦兵敗れたり、と。遂に潰ゆ。玄等、勝ちに乗じて追撃し、秦兵大いに敗る。走る者、風声・鶴唳を聞き、皆以て晋兵至ると為す。堅、狼狽して長安に還る。
-
『長短経』覇図何無忌の辞なり。桓玄、桓謙をして東陵に屯せしめ、卞範之をして覆舟山に屯せしむ。義軍、朝食して、其の余を并せて進み、覆舟山の東に造る。羸兵をして山に登らしめ、多く旗幟を張り、山谷に布満せしむ。高祖、衆を率いて之に奔る。士は皆な殊死して戦い、謙の軍、一時に潰走す。玄、単騎にて江陵に走る。玄、将に蜀に入らんとし、奔りて枚回州に至る。益州参軍費恬の党に逢い、之を射殺す。〉
-
『長短経』覇図景帝崩じ、弟昭、代わりて相と為る。〈昭は字は子上、是を太祖文帝と為す。〉政を輔けて司空と為る。諸葛誕、寿春に拠りて反す。詔を奉じて征して之を平らぐ。蜀を伐ち、劉禅を擒にす。時に於て政は権臣より出で、人君は祭を主るのみ。魏帝、容るる能わず、自ら兵を勒して相府を攻む。太祖、長史賈充の計を用いて逆え戦う。舎人成済、魏帝を執え殺す。〈高貴郷公なり。名は髦、字は士彦。乃ち偽りて皇太后をして令を下して少帝を廃せしめ、又た罪を成済に委ね、其の三族を誅す。〉太祖崩じ、子炎、魏の禅を受く。〈炎は字は子安、文帝の太子、是を世祖武皇帝と為す。〉既に魏の禅を受け、羊祜・杜預の計を用い、呉を征して之を平らぐ。立つこと二十五年にして崩ず。太子衷立つ。〈字は正度、是を恵帝と為す。武帝の太子なり。〉
-
『長短経』覇図高祖武皇帝、姓は劉、名は裕、字は徳輿、彭城の人なり。桓玄、晋を簒う。〈偽楚の桓玄、字は敬徳、譙国龍亢の人なり。形貌瓌特なり。江州刺史と為り、荊州刺史殷仲堪を襲い殺す。会稽王の世子元顕、政を専らにす。玄の跋扈するを以て、軍を遣わして之を征す。玄、討たるるを聞き見て、即ち衆を率いて下りて京師に至り、元顕を殺す。詔して玄を以て丞相と為し、楚王に封ず。遂に位を禅る。〉高祖、劉毅・何無忌等と潜かに匡復を謀り、兵を起こして玄を平らぐ。〈時に桓玄、桓弘をして広陵に鎮せしむ。劉道規、弘の中兵参軍と為る。道規をして弘を襲わしむ。桓修、丹徒に鎮す。高祖、修の中兵参軍と為り、自ら修を襲う。期を克して同に発す。劉毅・道規等、既に広陵を襲い、桓弘を斬り、其の衆を以て南のかた渡る。高祖・何無忌、京師を襲い、桓修を斬る。二州の衆千二百人を率いて、進みて竹里に舎り、檄を京師に移す。曰く、