長短経 / 覇図
於是漢王大喜、遂聽信計。初、漢王之國也。張良送至褒中、説漢王曰、「王何不燒絶所過棧道、示天下無還心、以固項王意。」漢王乃使張良還、因燒之。楚以此無憂漢王之心也。〕田榮怨項王之不已立、殺田市、自立為齊王。羽北擊滅齊、〔項羽以呉令鄭昌為韓王拒漢。張良遺項羽書曰、「漢王失職之蜀、欲得王關中、如約即止、不敢反。」又以齊反書遺羽曰、「齊欲滅楚。」羽以故不西行、而北擊齊。〕而使九江王殺義帝於郴。漢王為之縞素發喪、臨三日、以告諸侯。〔董公説漢王曰、「臣聞、順德者昌、失德者亡、兵出無名、事故不成。故曰、明其為賊、敵乃可服。項王為無道、枚殺其主、天下之賊也。夫仁不以勇、義不以力、三軍之衆為之素服、以告諸侯、為之東伐、四海之内、莫不仰德。此三王之舉也。」漢王曰、「善。」〕
新字:於是漢王大喜、遂聴信計。初、漢王之国也。張良送至褒中、説漢王曰、「王何不焼絶所過棧道、示天下無還心、以固項王意。」漢王乃使張良還、因焼之。楚以此無憂漢王之心也。〕田栄怨項王之不已立、殺田市、自立為斉王。羽北撃滅斉、〔項羽以呉令鄭昌為韓王拒漢。張良遺項羽書曰、「漢王失職之蜀、欲得王関中、如約即止、不敢反。」又以斉反書遺羽曰、「斉欲滅楚。」羽以故不西行、而北撃斉。〕而使九江王殺義帝於郴。漢王為之縞素発喪、臨三日、以告諸侯。〔董公説漢王曰、「臣聞、順徳者昌、失徳者亡、兵出無名、事故不成。故曰、明其為賊、敵乃可服。項王為無道、枚殺其主、天下之賊也。夫仁不以勇、義不以力、三軍之衆為之素服、以告諸侯、為之東伐、四海之内、莫不仰徳。此三王之舉也。」漢王曰、「善。」〕
書き下し
是に於て漢王大いに喜び、遂に信の計を聴く。初め、漢王の国にするや、張良、送りて褒中に至り、漢王に説きて曰く「王、何ぞ過ぐる所の桟道を焼絶して、天下に還る心無きを示し、以て項王の意を固くせざる」と。漢王乃ち張良をして還らしめ、因りて之を焼く。楚、此を以て漢王を憂うるの心無きなり。〉田栄、項王の己を立てざるを怨み、田市を殺し、自立して斉王と為る。羽、北のかた撃ちて斉を滅ぼす。〈項羽、呉の令鄭昌を以て韓王と為して漢を拒がしむ。張良、項羽に書を遺りて曰く「漢王、職を失いて蜀に之く。関中に王たるを得んと欲す。約の如くば即ち止み、敢えて反せず」と。又た斉の反書を以て羽に遺りて曰く「斉、楚を滅ぼさんと欲す」と。羽、故を以て西行せずして、北のかた斉を撃つ。〉而して九江王をして義帝を郴に殺さしむ。漢王、之が為に縞素して喪を発し、臨すること三日、以て諸侯に告ぐ。〈董公、漢王に説きて曰く「臣聞く、徳に順う者は昌え、徳を失う者は亡ぶ。兵、名無くして出づれば、事、故に成らず、と。故に曰く、其の賊たるを明らかにせば、敵乃ち服す可し、と。項王、無道を為し、其の主を放殺す。天下の賊なり。夫れ仁は勇を以てせず、義は力を以てせず。三軍の衆、之が為に素服し、以て諸侯に告げ、之が為に東伐せば、四海の内、徳を仰がざるは莫からん。此れ三王の挙なり」と。漢王曰く「善し」と。〉
現代語訳
そこで漢王は大いに喜び、韓信の計を聴いた。はじめ漢王が任地へ赴くとき、張良が送って褒中に至り、漢王に説いた。「王はどうして通ってきた桟道を焼き払って、天下に帰る気がないことを示し、項王を安心させないのですか」。漢王は張良を帰らせ、そのついでに焼かせた。楚はこれによって漢王を心配しなくなった。〉田栄は項王が自分を王に立てないのを怨み、田市を殺して自立して斉王となった。項羽は北へ向かって斉を滅ぼした。〈項羽は呉の県令鄭昌を韓王として漢を防がせた。張良は項羽に手紙を送って言った。「漢王は職を失って蜀へ行きました。関中の王になりたいだけです。約束どおりになればそれでやめ、背く気はありません」。また斉の謀反の文書を項羽に送って「斉は楚を滅ぼそうとしている」と言った。項羽はそのため西へ行かず、北へ向かって斉を撃った。〉そして九江王に義帝を郴で殺させた。漢王はそのために白い喪服を着て喪を発し、三日弔って、諸侯に告げた。〈董公が漢王に説いた。「臣が聞くところでは、徳に従う者は栄え、徳を失う者は滅びる。軍が名分なく出れば事は成らない、と。だから相手が賊であることを明らかにすれば、敵は服させられるといいます。項王は無道を行い、その主君を追放して殺した。天下の賊です。仁は勇によらず、義は力によらない。三軍の兵がそのために白い喪服を着て諸侯に告げ、東へ伐てば、天下に徳を仰がない者はないでしょう。これが三王の挙です」。漢王は「もっともだ」と言った。〉
解説

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『新序』善謀第十曰く、漢王項王と、力を戮せ西面して秦を擊つ。約すらく先に咸陽に入る者之に王たらしめん、と。漢王先に咸陽に入る。項王約に倍きて與えずして漢中に王たらしむ。項王義帝を遷殺す。漢王蜀漢の兵を起こして三秦を擊ち、關を出でて義帝の處を責め、天下の兵を收め、諸侯の後を立つ。城を降せば即ち以て其の將を侯とし、賂を得れば即ち以て其の士に予う。天下と其の利を同じくす。豪傑賢才皆な樂しみて其の用を爲す。諸侯の兵、四面より至り、蜀漢の粟、船を方べて下る。項王は約に倍くの名有り、義帝を殺すの實あり。人の功に於いて記す所無く、人の過ちに於いて忘るる所無し。戰い勝ちて其の賞を得ず、城を拔きて其の封を得ず。項氏に非ざれば事を用うるを得る莫し。人の爲に印を刻み、刓れて授くる能わず。城を攻めて賂を得るも、財を積みて賞する能わず。天下之に畔き、賢才之を怨みて、之が用を爲す莫し。故に天下の事、漢王に歸するは、坐して策す可きなり。夫れ漢王蜀漢を發し、三秦を定め、西河の外を涉り、上黨の兵に乘り、井陘を下し、成安を誅し、北魏を破り、三十二城を舉ぐ。此れ□尤の兵なり。人の力に非ざるなり。今已に敖倉の粟に據り、成皋の險を塞ぎ、白馬の津を守り、太行の阪を杜ぎ、蜚狐の口を距ぐ。天下後れて服する者は先ず亡びん。王疾かに漢王に下らば、齊國の社稷、得て保つ可きなり。漢王に下らずんば、危亡立ちどころに待つ可きなり、と。田橫以て然りと爲し、即ち酈生に聽き、歷下の兵戰守の備えを罷め、酈生と日ミ酒を縱にす。此れ酈生の謀なり。齊人蒯通韓信に說きて曰く、足下詔を受けて齊を擊つ。何の故に止まりて三軍の衆を將いて、一豎儒の功に如かざる。齊の備え無きに因りて之を擊つ可し、と。韓信之に從う。酈生田橫の害する所と爲る。後に信も通も亦た其の所を得ず。不仁に由るなり。
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『長短経』覇図王曰く「先生、何を以て之を知る」と。酈生曰く「漢王と項羽と、力を戮せて西に向かい秦を撃つ。約すらく、先ず咸陽に入る者は之に王たらん、と。漢王先ず咸陽に入るも、項王、約に負きて与えず、而して之を漢中に王たらしむ。項羽、義帝を遷して殺す。漢王之を聞き、蜀漢の兵を起こし、三秦を撃ち、武関を出でて、義帝の処を責め、天下の兵を収め、諸侯の後を立つ。城を降せば即ち以て其の将を侯とし、賂を得れば即ち以て其の士に分かち、天下と其の利を同じくす。英豪賢士、皆な楽しみて之が用と為る。諸侯の兵、四面より至り、蜀漢の粟、万船にして下る。項王には約に背くの名、義帝を殺すの罪有り。人の功に於ては記す所無く、人の罪に於ては心に忘れず。戦い勝ちて其の賞を得ず、城を抜きて其の封を得ず。項氏に非ざれば、能く事を用うる莫し。人の為に印を刻みて、授くる能わず。城を攻めて賂を得るも、財を積みて賞する能わず。天下之に叛き、賢才之を怨みて、用を為す莫し。故に天下の士、漢王に帰すること、坐して策す可きなり。
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史記 留侯世家良項王に説きて曰く、「漢王桟道を焼絶す、還る心無し」と。乃ち斉王田栄の反くを以て、項王に書告す。項王此を以て西に漢を憂ふる心無く、而して兵を発して北のかた斉を撃つ。項王竟に肯へて韓王を遣はさず、乃ち以て侯と為し、又之を彭城に殺す。良亡げ、間行して漢王に帰す、漢王も亦た已に還りて三秦を定む。復た良を以て成信侯と為し、従ひて東のかた楚を撃つ。彭城に至り、漢敗れて還る。下邑に至り、漢王馬を下り鞍に踞して問ひて曰く、「吾関以東を捐てて等しく之を棄てんと欲す、誰か与に功を共にすべき者ぞ」と。良進みて曰く、「九江王黥布は、楚の梟将なり、項王と郄有り。彭越は斉王田栄と梁の地に反く。此の両人急ぎ使ふべし。而して漢王の将は独り韓信のみ大事を属し、一面に当たらしむべし。即し之を捐てんと欲せば、之を此の三人に捐てよ、則ち楚破るべきなり」と。漢王乃ち隨何をして九江王布に説かしめ、而して人をして彭越に連ならしむ。魏王豹の反くに及び、韓信をして兵を将ゐて之を撃たしめ、因りて燕・代・斉・趙を挙ぐ。然れども卒に楚を破る者は、此の三人の力なり。張良多病にして、未だ嘗て特に将たらず、常に画策を為し、時時漢王に従ふ。漢三年、項羽急に漢王を滎陽に囲む、漢王恐憂し、酈食其と楚の権を橈めんことを謀る。食其曰く、「昔湯桀を伐ち、其の後を杞に封ず。武王紂を伐ち、其の後を宋に封ず。今秦徳を失ひ義を棄て、諸侯の社稷を侵伐し、六国の後を滅ぼし、錐を立つるの地無からしむ。陛下誠に能く復た六国の後世を立て、畢く已に印を受けしめば、此れ其の君臣百姓必ず皆陛下の徳を戴き、風に郷ひ義を慕ひ、臣妾と為らんことを願はざる莫からん。徳義已に行はれ、陛下南郷して霸を称せば、楚必ず衽を斂めて朝せん」と。漢王曰く、「善し。趣やかに印を刻せ、先生因りて行きて之を佩ばしめよ」と。食其未だ行かず、張良外より来たりて謁す。漢王方に食す、曰く、「子房前め。
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『長短経』覇図項王、解きて東す。漢王、西せんと欲す。張良曰く「今、漢は天下の大半を有ちて、諸侯皆な附く。楚兵は疲れ、食は尽く。此れ天の楚を亡ぼすの時なり。其の東するに因りて之を取るに如かず」と。漢王乃ち羽を追う。斉王韓信・魏相彭越と、期して会して楚を撃たんとするも、皆な会せず。張良の計を用い、信等皆な兵を進めて羽を垓下に囲み、遂に項氏を滅ぼす。〈漢王、張良に問いて曰く「諸侯従わず。奈何」と。良曰く「楚兵、且に破れんとするに、未だ分地有らず。其の至らざるは固より宜なり。君王、能く与に天下を共にせば、立ちどころに致す可きなり。斉王信の立つは、君王の意に非ず。信も亦た自ら堅からず。彭越は本と梁地を定む。始め君、魏豹の故を以て、越、相国と為るを拝するを得たり。今、豹死し、越も亦た王を望む。而るに君王、早く定めず。今、能く睢陽以北より穀城に至るを取りて、以て彭越を王とし、陳より以東海に傅うるを、斉王信に与えよ。信の家は楚に在り。其の意、復た故邑を得んと欲す。能く此の地を出捐して、以て両人に許し、各々自ら為に戦わしめば、則ち楚は破り易からん」と。是に於て漢王、使いを発し、韓信・彭越・劉賈等をして皆な兵を引きて羽を垓下に囲ましむ。〉
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『智囊』見大・董公漢王、洛陽に至るや、新城の三老董公、遮りて王に説いて曰く、「兵出でて名無ければ、事故より成らず。故に曰く、『その賊たるを明らかにすれば、敵乃ち服すべし』と。天下共に義帝を立てしに、項羽これを放ち弑す。大王宜しく三軍の衆を率い、これが為に素服し、以て諸侯に告げてこれを伐つべし」と。是に於て漢王は義帝の為に発喪し、兵は皆な縞素し、諸侯に告げて曰く、「寡人、悉く関中の兵を発し、三河の士を収め、南のかた江・漢に浮かびて以下り、願わくは諸侯王に従いて楚の義帝を弑せし者を撃たん」と。〔馮述評〕董公のこの説は、乃ち劉・項の曲直分判の処なり。随何の九江を招き、酈生の全斉を下せしは、その陳説は皆な此に本づく。許庸斎は、沛公の天下の大機括を激発せしは、子房の帝師と号するも、亦た未だ此の大計有らずと謂えり。国朝の盧廷選、進士にして楚の臬と為り、暴かに卒し、良や久しくして蘇り、自ら項羽の為に高帝の事を訟うと言う。高帝は自ら九江王布を遣わして義帝を弑し、而して佯りて罪を羽に委ね、縞素して発喪し、以て天下後世を欺けり。盧は漢に在りては即ち九江王なり、と。事は甚だ怪し。
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史記 高祖本紀新城の三老董公遮りて漢王に説くに義帝の死せし故を以てす。漢王之を聞き、袒して大いに哭す。遂に義帝の為に喪を発し、臨すること三日。使者を発して諸侯に告げて曰く、「天下共に義帝を立て、北面して之に事ふ。今項羽義帝を江南に放殺す、大逆無道なり。寡人親ら為に喪を発す、諸侯皆縞素せよ。悉く関内の兵を発し、三河の士を収め、南のかた江漢に浮かびて以て下り、願はくは諸侯王に従ひて楚の義帝を殺せし者を撃たん。」と。是の時項王北のかた斉を撃つ、田栄与に城陽に戦ふ。田栄敗れ、平原に走る、平原の民之を殺す。斉皆楚に降る。楚因りて其の城郭を焚焼し、其の子女を系虜す。斉人之に叛く。田栄の弟横栄の子広を立てて斉王と為す、斉王楚に城陽に反す。項羽漢の東すと聞くと雖も、既已に斉の兵と連なる、遂に之を破りて漢を撃たんと欲す。漢王故を以て五諸侯の兵を劫かすを得て、遂に彭城に入る。項羽之を聞き、乃ち兵を引きて斉を去り、魯より胡陵に出で、蕭に至り、漢と彭城の霊壁の東睢水の上に大いに戦ひ、大いに漢の軍を破り、多く士卒を殺す、睢水之が為に流れず。乃ち漢王の父母妻子を沛に取り、之を軍中に置きて以て質と為す。是の時に当たりて、諸侯楚の彊く漢の敗るるを見て、還りて皆漢を去りて復た楚と為る。塞王欣亡げて楚に入る。呂后の兄周呂侯漢の為に兵を将ゐ、下邑に居る。漢王之に従ひ、稍々士卒を収め、碭に軍す。漢王乃ち西のかた梁の地を過ぎ、虞に至る。謁者随何をして九江王布の所に之かしめて、曰く、「公能く布をして兵を挙げて楚に叛かしめば、項羽必ず留まりて之を撃たん。留まること数月を得ば、吾天下を取ること必せり。」と。随何往きて九江王布に説く、布果たして楚に背く。楚龍且をして往きて之を撃たしむ。漢王の彭城に敗れて西するや、行くゆく人をして家室を求めしむ、家室も亦亡げ、相得ず。