長短経 / 覇図
〔袁紹、字本初、汝南人也。為司隸校尉。董卓議廢立、紹不聴、卓怒、紹懸節於上東門、奔冀州。卓購求紹。伍瓊為卓所信、隂為紹説曰、「夫廢立大事、非常人所及。袁紹不逹大體、恐懼出奔、非有他志今急購之、勢必為變。袁氏樹恩四世、門生故吏遍於天下、若収豪傑以聚徒衆、英雄因之而起、即山東非公所有也。不如赦之、拜一郡守、紹喜於免罪、必無患矣。」卓以為然、乃遣授紹勃海太守。
新字:〔袁紹、字本初、汝南人也。為司隸校尉。董卓議廃立、紹不聴、卓怒、紹懸節於上東門、奔冀州。卓購求紹。伍瓊為卓所信、陰為紹説曰、「夫廃立大事、非常人所及。袁紹不逹大体、恐懼出奔、非有他志今急購之、勢必為変。袁氏樹恩四世、門生故吏遍於天下、若収豪傑以聚徒衆、英雄因之而起、即山東非公所有也。不如赦之、拝一郡守、紹喜於免罪、必無患矣。」卓以為然、乃遣授紹勃海太守。
書き下し
〈袁紹、字は本初、汝南の人なり。司隷校尉と為る。董卓、廃立を議す。紹聴かず。卓怒る。紹、節を上東門に懸けて、冀州に奔る。卓、紹を購求す。伍瓊、卓の信ずる所と為る。陰かに紹の為に説きて曰く「夫れ廃立は大事なり。常人の及ぶ所に非ず。袁紹、大体に達せず、恐懼して出奔す。他志有るに非ず。今、急に之を購わば、勢い必ず変を為さん。袁氏は恩を樹つること四世、門生故吏、天下に遍し。若し豪傑を収めて以て徒衆を聚めば、英雄之に因りて起こらん。即ち山東は公の有に非ざるなり。之を赦し、一郡守を拝するに如かず。紹、罪を免るるを喜べば、必ず患い無からん」と。卓、以て然りと為し、乃ち遣わして紹に勃海太守を授く。
現代語訳
〈袁紹は字を本初といい、汝南の人である。司隷校尉となった。董卓が帝の廃立を議した。袁紹は従わなかった。董卓は怒った。袁紹は印を上東門に掛けて冀州へ逃げた。董卓は袁紹に懸賞をかけた。伍瓊は董卓に信用されていた。ひそかに袁紹のために説いた。「廃立は大事であって、普通の人の及ぶところではない。袁紹は大局が分からず、恐れて逃げたのであって、別の志があるわけではない。いま急いで懸賞をかければ、必ず変事を起こす。袁氏は四代にわたって恩を施し、門下生や元部下が天下に行き渡っている。もし豪傑を集めて徒党を作れば、英雄がそれに乗じて起こる。そうなれば山東はあなたのものではなくなる。赦して一郡の太守にするに越したことはない。袁紹は罪を免れて喜び、必ず心配はなくなる」。董卓はもっともだと思い、袁紹に勃海太守を授けた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『長短経』覇図卓、兵起こるを聞き、乃ち天子を徙して長安に都す。卓、兵を留めて洛陽に屯す。司徒王允と呂布と、卓を殺す。楊奉・韓暹、天子を以て洛陽に還る。太祖、洛陽に至りて京邑を衛る。暹、遁れ去る。太祖、洛陽の焼焚残破せるを以て、天子を奉じて許に都す。詔を下して袁紹を責むるに、地広く兵強きも、専ら自ら党を樹て、勤王の師を聞かざるを以てす。〈紹、時に公孫瓚を并せ、四州の地を兼ぬ。〉紹、遂に許を攻む。太祖、之を官渡に破る。紹、血を嘔きて死す。
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『長短経』覇図太祖、亡げて関を出で、陳留に至り、家財を散じ、義を己吾に合わす。後将軍袁術・冀州刺史韓馥・豫州刺史孔伷・兗州刺史劉岱・渤海太守袁紹と、同時に倶に起こる。衆は合わせて数万。紹を推して盟主と為す。〈壇場を設けて共に盟誓す。臧洪、盤血を操りて盟いて曰く「漢室不幸にして、皇綱、統を失う。賊臣董卓、釁に乗じて暴を縦にし、害を至尊に加え、毒を百姓に流す。大いに淪喪して四海を剪覆せんことを懼る。兗州刺史劉岱・豫州刺史孔伷等、義兵を糾合し、並びに国難に赴く。凡そ我が同盟、心を斉しくし力を戮せ、以て臣節を致さん。首を殞とし元を喪うとも、必ず二志無し。此の盟に渝う有らば、其の命を墜とさしめ、遺育に克つこと無からん。皇天后土、祖宗の明霊、実に皆な之を鑒みん」と。洪、慷慨涕泗し、立ちどころに下る。聞く者激揚す。〉曹公、行して奮武将軍と称す。
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『長短経』覇図紹、孔伷等と同じく義に起こり、襲いて韓馥の冀州を奪い、河北に拠る。精卒十万、騎万匹を練り、進みて曹操を許に攻めんと欲す。沮授、進みて説きて曰く「近ごろ公孫を討ち、師徒年を歴たり。百姓疲弊し、賦役方に殷んなり。此れ国の深憂なり。宜しく先ず捷を天子に献じ、農を務め民を逸せしむべし。若し通ずるを得ずんば、乃ち曹操の我が王命を隔つるを表せ。然る後に進みて黎陽に屯し、漸く河南を営み、益々舟船を作り、器械を繕治し、精騎を分遣して、其の辺鄙を抄し、彼をして安きを得ざらしめ、我は其の逸を取る。此くの如くんば、坐して定む可きなり」と。
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『長短経』覇図曹公、官渡に軍す。紹、時に衆を悉くして南す。田豊、紹に説きて曰く「曹公は善く兵を用い、変化方無し。衆は少なしと雖も、未だ軽んず可からず。久しきを以て之を持するに如かず。将軍は山河の固きに拠り、四州の衆を擁す。外は英雄を結び、内は農戦を修む。然る後に其の精鋭を簡び、分かちて奇兵と為し、虚に乗じて迭々出で、以て河南を擾し、右を救わば則ち其の左を撃ち、左を救わば則ち其の右を撃つ。敵をして奔命に疲れしめ、人、業に安んずるを得ざらしむ。我労せずして彼已に困す。三年に及ばずして、坐して克つ可きなり。今、廟算の策を釈てて、成敗を一戦に決す。若し志の如くならずんば、悔ゆとも及ぶ無きなり」と。
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『長短経』覇図太祖、紹の子譚・尚を黎陽に討つ。尚と熙と遼東に奔る。太守公孫康、尚・熙を斬りて其の首を送る。遂に河北を平らぐ。〈初め、太祖、譚・尚を黎陽に討ち、連戦して数しば克つ。諸将、勝ちに乗じて之を攻めんと欲す。郭嘉曰く「袁紹、此の二子を愛し、適に立つる莫きなり。郭図・馮紀、之が謀臣と為り、定めて交々其の間を闘わしめ、還りて相い離れしめん。之を急にすれば則ち相い持し、之を緩くすれば而ち後に争心生ず。南のかた荊州に向かいて劉表を征し、以て其の変を待つに如かず。変成りて後に之を撃たば、一挙にして定む可きなり」と。太祖曰く「善し」と。
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『長短経』覇図会々攸の家、法を犯す。審配、之を収繋す。攸、志を得ず、遂に曹公に奔る。而して操に説きて淳于瓊を襲取せしむ。瓊、時に軍を督し、烏巣に屯在す。紹の軍を去ること四十里。操、自ら将いて急に之を撃つ。時に張郃、紹に説きて曰く「曹公の兵は精なり。往かば必ず瓊を破らん。瓊破れなば、則ち将軍の事去らん。宜しく兵を引きて之を救うべし」と。郭図曰く「郃の計は非なり。其の本営を攻むるに如かず。勢い必ず還らん。此れ救わずして自ら解くるを為すなり」と。郃曰く「曹公の営は固し。之を攻むるも必ず抜けざらん。若し瓊等禽にせられなば、吾が属、尽く虜と為らん」と。紹、但だ軽騎を遣わして瓊を救い、而して重兵を以て操の営を攻むるも、下す能わず。曹公、瓊を破り、其の積聚を焚く。紹の軍、潰散奔北す。曹公、遂に紹を破り、乃ち天下を威震するなり。〉