長短経 / 三国権
〔蜀吴魏〕論曰、臣聞昔漢氏不綱、網漏兇狡。袁本初虎視河朔、劉景升鵲起荆州、馬超、韓遂雄據於闗西、呂布、陳宮竊命於東夏、遼河、海岱、王公十數、皆阻兵百萬、鐡騎千羣、合從締交、為一時之傑也。然曹操「挾天子令諸侯」、六七年間、夷滅者十八九。唯吴、蜀蕞爾國也、以地圗案之、纔四州之土、不如中原之大都。人怯於公戰、勇於私鬭輕走易北、不敵諸華之士。角長量大、比才稱力、不若二袁劉呂之盛。此二雄以新造未集之國、資逆上不侔之勢、然能撫劍顧眄、與曹氏争權躍馬指麾、而利盡南海。何哉?則地利不同、勢使之然耳。
新字:〔蜀呉魏〕論曰、臣聞昔漢氏不綱、網漏兇狡。袁本初虎視河朔、劉景升鵲起荆州、馬超、韓遂雄拠於関西、呂布、陳宮窃命於東夏、遼河、海岱、王公十数、皆阻兵百万、鐡騎千羣、合従締交、為一時之傑也。然曹操「挟天子令諸侯」、六七年間、夷滅者十八九。唯呉、蜀蕞爾国也、以地図案之、纔四州之土、不如中原之大都。人怯於公戦、勇於私闘軽走易北、不敵諸華之士。角長量大、比才称力、不若二袁劉呂之盛。此二雄以新造未集之国、資逆上不侔之勢、然能撫剣顧眄、与曹氏争権躍馬指麾、而利尽南海。何哉?則地利不同、勢使之然耳。
書き下し
〔蜀・呉・魏〕論に曰く、臣聞く、昔、漢氏綱ならず、網は凶狡を漏らす。袁本初は河朔に虎視し、劉景升は荊州に鵲起し、馬超・韓遂は関西に雄拠し、呂布・陳宮は東夏に命を竊む。遼河・海岱、王公十数、皆兵百万・鉄騎千群を阻み、合従して交わりを締び、一時の傑たり。然れども曹操は天子を挟みて諸侯に令し、六七年の間、夷滅する者十に八九。唯だ呉・蜀は蕞爾たる国なり。地図を以て之を案ずるに、纔かに四州の土にして、中原の大都に如かず。人は公戦に怯え、私闘に勇み、軽く走り易く北げ、諸華の士に敵せず。長を角べ大を量り、才を比べ力を称うるに、二袁・劉・呂の盛んなるに若かず。此の二雄は新造未集の国を以て、逆上不侔の勢いに資るも、然れども能く剣を撫して顧眄し、曹氏と権を争い、馬を躍らせて指麾し、利は南海を尽くす。何ぞや。則ち地利同じからず、勢い之をして然らしむるのみ。
現代語訳
〔蜀・呉・魏〕論じて言う。聞くところでは、昔、漢の綱紀が緩み、網の目から凶悪な者たちが漏れ出た。袁紹は河北で虎のようににらみ、劉表は荊州で鵲のように飛び立ち、馬超と韓遂は関西に雄々しく拠り、呂布と陳宮は東方で命令を盗んだ。遼河から海岱まで、王や公を名乗る者が十数人、皆百万の兵と千の鉄騎を擁し、手を結び合って、一時の英傑となった。しかし曹操は天子を擁して諸侯に命令し、六、七年の間に十のうち八、九を滅ぼした。ただ呉と蜀は小さな国である。地図で見れば、わずか四州の土地で、中原の大きな都にも及ばない。人は公の戦には臆病で私の喧嘩には勇ましく、すぐに逃げ散り、中原の士にはかなわない。長所を比べ規模を量り、才と力を比べても、袁紹・袁術・劉表・呂布の盛んさには及ばない。この二人の雄は、できたばかりでまとまりもない国で、逆らうには釣り合わない勢いに立ち向かったのに、剣をなでて左右を見回し、曹氏と権を争い、馬を躍らせて指揮し、南海の利を尽くした。なぜか。地の利が違い、形勢がそうさせたのである。
解説
この章句が説くこと
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『長短経』三国権晋の永嘉中に至り、中原喪乱し、晋の元帝復た江を渡りて、江南に王たり。宋・斉・梁・陳、皆焉に都す〔事は覇紀の上に在り〕。此れ呉国の形なり。〈魏〉古者、天子は守り四夷に在り。天子卑弱なれば、守りは諸侯に在り。漢の季に当たりて、姦臣朝を擅にし、九有澄まず、四郊に塁多し。復た諸侯位を釈きて、以て王政を間すと雖も、然れども皆禍心を包蔵し、各々非冀を図る。魏の太祖は略世に出でず、霊武時に冠たり。炎精幽昧の期に値い、風塵無妄の世に逢い、目を瞋らせ胆を張りて、首めて義旗を建つ。時に韓暹・楊奉、献帝を挟みて河東より洛陽に還る。
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『長短経』三国権太祖、洛陽に至り、天子を奉じて許に都す。其の弛紊を維ぎ、其の贅旒を紉ぎ、我が漢家をして旧物を失わざらしむ。是に於て籌を運らし謀を演べ、宇内を鞭撻し、北は袁紹を破り、南は劉琮を虜にし、東は公孫康を挙げ、西は張魯を夷ぐ。〔議に曰く、劉表の諸傑、中間に自ら呑并有りと雖も、乃ち揚雄の所謂「六国蚩蚩として、嬴の為に姫を弱むる者なり」。并呑衆しと雖も、適に吾が為に奉ずる所以なり。〕九州百郡、十に其の八を并す。志績未だ究めずして、中世にして殞す。
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『長短経』三国権故に易に曰く「王侯は険を設けて以て其の国を守る」と。古語に曰く「一里の厚くして、千里の権を動かす者は、地利なり」と。故に曹丕、江に臨み、波濤の洶涌するを見て歎じて曰く「此れ天の南北を限る所以なり」と。劉資は南鄭を称して天獄と為し、斜谷の道を五百里の石穴と為す。諸を前志に稽うるに、皆其の深阻を畏る。天時は地利に如かず、地利は人和に如かずと云うと雖も、若し中材をして之を守らしめば、期を延べ命を挺くすることは可なり。豈に区区たる艾・濬、其の長策を奮うを得んや。是に由りて之を観れば、此に在りて彼に在らず。於戯、智者の慮は必ず利害を雑う。故に尽く兵を用うるの害を知らざれば、則ち兵を用うるの利を知ること能わず。自りて来たる有り。是を以て其の要を採摭して、此の権を為す。夫れ五湖を囊括し、全蜀を席巻せば、庶わくは害中の利を知りて、以て魏家の略を明らかにせん。
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『長短経』三国権曩に樊・酈・絳・灌をして数十城に拠りて王たらしめば、今は以て残亡すと雖も可なり。信・越の倫をして、列して徹侯と為りて居らしめば、今に至るまで存すと雖も可なり。然らば則ち天下の大計も亦た知るべきのみ。諸侯の皆忠附せんことを欲せば、則ち長沙王の如くならしむるに若くは莫く、臣子の葅醢せられざらんことを欲せば、則ち樊・酈等の如くならしむるに若くは莫く、天下の治安を欲せば、則ち衆く諸侯を建てて其の力を少なくするに若くは莫し」と。此を以て之を観れば、専城に令する者は、皆提封千里にして、人民有り、特に百里の資に非ざるなり。官は才を以て肺附に属し、特に母親の疏きに非ざるなり。呉は江湖に拠り、蜀は天険を阻む。特に山海の利に非ざるなり。州に跨り郡を連ね、形束壌制す。特に偶国の害に非ざるなり。若し万世の変に遭い、七子の禍有らば、則ち諱むべからず。有国者、察せざるべからず。〔魏の明帝、黄権に問いて曰く「今、三国鼎峙す。何れの方か正と為す」と。対えて曰く「当に天文を以て之を正すべし。往年、熒惑、心を守りて、文帝崩ず。呉・蜀二国の主は事無し。是に由りて之を観れば、魏正統なり」と。〕
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『長短経』三国権荊州は北は漢・沔に拠り、利は南海を尽くし、東は呉会に連なり、西は巴・蜀に通ず。此れ武を用うるの国にして、其の主は守ること能わず。此れ殆ど天の将軍に資する所以なり。益州は険塞にして、沃野千里、天府の国なり。高祖之に因りて以て帝業を成す。劉璋は闇弱にして、張魯北に在り、民殷んに国富めども、恤うることを知らず。智能の士は、明君を得んことを思う。将軍は既に帝室の冑にして、信義は四海に著れ、英雄を総攬し、賢を思うこと渇するが如し。若し荊・益を跨有し、其の巌阻を保ち、西は諸戎と和し、南は夷越を撫し、外は好を孫権と結び、内は政理を修め、天下に変有らば、則ち上将に命じて荊州の軍を将いて以て宛・洛に向かわしめ、将軍は身ら益州の衆を率いて秦川に出でば、百姓孰か簞食壺漿して以て将軍を迎えざる者あらんや。誠に是くの如くんば、則ち霸業成すべく、漢室興すべし」と。時に曹公荊州を破り、先主呉に奔る。
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『長短経』三国権諸葛亮の南陽に躬耕すると聞き、乃ち三たび亮を草廬の中に詣り、人を屏けて言いて曰く「漢室傾頹し、姦臣命を竊み、主上蒙塵す。孤、徳を度り力を量らず、大義を天下に信べ行わんと欲す。而れども智術浅短にして、遂に用て猖獗し、今日に至る。然れども意猶お未だ已まず。君謂えらく、計将に安くにか出でんとする」と。亮答えて曰く「董卓より已来、豪傑並び起こり、州に跨り郡を連ぬる者、勝げて数うべからず。曹操は袁紹に比すれば、名微にして衆寡なし。然れども遂に能く紹に克つ。弱を以て強と為る者は、唯だ天の時のみに非ず、抑も亦た人の謀なり。今、操は已に百万の衆を擁し、天子を挟みて諸侯に令す〔伝に云う、諸侯を求むるは、王に勤むるに如くは莫し、と。此の謂いなり〕。此れ誠に与に鋒を争うべからず。孫権は江東を拠有し、已に三代を歴たり。国険にして民附き、賢能用を為す。此れ与に援と為すべくして、図るべからざるなり。