長短経 / 君徳
或曰、「王霸之道、既聞命矣。敢問髙、光二帝、皆㧞起壠畝、芟夷禍難、遂開王業。髙祖豁達以大度、光武謹細于條目、各擅其美、龍飛鳳翔、故能掇亂庇人、拯斯塗炭。然比大徳、方天威、孰為優劣乎?」
新字:或曰、「王覇之道、既聞命矣。敢問高、光二帝、皆抜起壠畝、芟夷禍難、遂開王業。高祖豁達以大度、光武謹細于条目、各擅其美、竜飛鳳翔、故能掇乱庇人、拯斯塗炭。然比大徳、方天威、孰為優劣乎?」
書き下し
或るひと曰く「王霸の道は、既に命を聞けり。敢えて問う、高・光の二帝は、皆な壠畝より抜起し、禍難を芟夷して、遂に王業を開く。高祖は豁達にして以て大度あり、光武は謹細にして条目に于てす。各々其の美を擅にし、龍飛鳳翔す。故に能く乱を掇めて人を庇い、斯の塗炭を拯う。然れども大徳に比し、天威に方ぶるに、孰れをか優劣と為さんや」と。
現代語訳
ある人が言った。「王道と覇道のことは、もう教えを聞きました。あえてお尋ねしますが、漢の高祖と光武帝の二人は、どちらも田畑から身を起こし、禍と難を刈り取って、ついに王業を開きました。高祖は大らかで度量が大きく、光武は細かいところまで行き届いていました。それぞれの美点を思うままに発揮し、龍のように飛び鳳のように翔けました。だから乱を収めて人を庇い、この塗炭の苦しみを救うことができました。しかし大いなる徳を比べ、天の威に並べるとき、どちらが優れどちらが劣るのでしょうか」。
解説
ここから、漢の高祖と光武帝の比較が始まります。二人の性格が対照的に示されているのが見どころで、高祖は豁達で大度、光武は謹細で条目に細かい。大きく構える型と、細かく詰める型。どちらも成功しているところが重要です。優劣を問う前に、成功の型が一つでないことを示している。次の曹植の答えが有名な評になります。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
君徳漢高祖光武帝性格比較度量
関連する章句
-
『呻吟語』内篇・應務・其の量は較ぶる所の人と相去ること幾何ぞ區區として人と是非を較ぶるは、其の量は較ぶる所の人と相去ること幾何ぞ。
-
名将言行録・『名将言行録』豐臣秀吉 評・秀吉の壮快味この恬淡、この雅量、謙信、信玄などの及ばざるところ、家康にもかうした壯快味はない。
-
『学問のすゝめ』十二編・人の品行は高尚ならざるべからざるの論・盲人に向かいて誇るがごとししかるに今わずかに謹慎勉強の一事をもって人類生涯の事となすべきや。思わざるのはなはだしきものなり。人として酒色に溺るる者はこれを非常の怪物と言うべきのみ。この怪物に比較して満足する者は、これを譬えば双眼を具するをもって得意となし、盲人に向かいて誇るがごとし。いたずらに愚を表するに足るのみ。ゆえに酒色云々の談をなして、あるいはこれを論破し、あるいはこれを是非するの間は、到底諸論の賤しきものと言わざるを得ず。人の品行少しく進むときはこれらの醜談はすでにすでに経過し了して、言に発するも人に厭わるるに至るべきはずなり。
-
『墨子』經說下見ると見ざるとは離る。一と二とは相い盈たさず。廣と循と堅白となり。舉げて重からざるは箴と與にせず、力の任に非ざるなり。握る者の倍を為すは、智の任に非ざるなり。耳目の若し。異。木と夜と孰れか長き。智と粟と孰れか多き。爵と親と行と賈と、四者孰れか貴き。麋と霍と孰れか髙き。麋と霍と孰れか霍なる。虭と瑟と孰れか瑟なる。偏。倶に一にして變ずる無し。假。假は必ず非なり、而る後に假なり。狗の霍を假るは、猶お霍を氏とするがごときなり。物。或いは之を傷るは、然るなり。之を見るは、智なり。之を吉するは、智らしむるなり。疑。蓬、務を為せば則ち士なり。牛廬を為る者、夏、寒きは、蓬なり。之を舉ぐれば則ち輕く、之を廢すれば則ち重きは、力有るに非ざるなり。沛、削に従うは、巧に非ざるなり。石と羽との若きは、楯なり。鬬う者の敝るるや、飲酒を以てす。曰中を以てするが若し。是れ智る可からざるなり、愚なり。智なるか、已を以て然りと為すか。愚なり。
-
『論語と算盤』算盤と権利・仁に当つては師に譲らず基督や釈迦は始めより宗教家として世に立った人であるに反し、孔子は宗教をもって世に臨んだ人でないように思われる。基督や釈迦とは全然その成立を異にしたものである。ことに孔子の在世時代における支那の風習は、何でも義務を先にし、権利を後にする傾向を帯びた時であった。かくのごとき空気の中に成長し来った孔子をもって、二千年後の今日、全く思想を異にした基督に比するは、既に比較すべからざるものを比較するのであるから、この議論は最初よりその根本を誤ったものと言うべく、両者に相違を生ずることはもとより当然の結果たらざるを得ないのである。しからば孔子教には全然権利思想を欠いているであろうか。以下少しく余が所見を披瀝して世の蒙を啓きたいと思う。
-
論語・公冶長篇子、子貢に謂いて曰く、「女と回と孰れか愈れる。」対えて曰く、「賜や何ぞ敢えて回を望まん。回や一を聞きて以て十を知る、賜や一を聞きて以て二を知る。」子曰く、「如かざるなり。吾と女と、如かざるなり。」