長短経 / 臣行
夙興夜寐、進賢不懈、數稱往古之行事、以厲主意。如此者、忠臣也。〔或問袁子曰、“故少府楊阜、豈非忠臣哉?”對曰、“可謂直士、忠則我不知。何者?夫為人臣、見主失道、指其非而播揚其惡、可為直士、未為忠也。故司空陳羣則不然、其談語終日、未嘗言人主之非、書數十上而外不知、君子謂陳羣于是乎長者。此為忠矣。〕
新字:夙興夜寐、進賢不懈、数称往古之行事、以厲主意。如此者、忠臣也。〔或問袁子曰、“故少府楊阜、豈非忠臣哉?”対曰、“可謂直士、忠則我不知。何者?夫為人臣、見主失道、指其非而播揚其悪、可為直士、未為忠也。故司空陳羣則不然、其談語終日、未嘗言人主之非、書数十上而外不知、君子謂陳羣于是乎長者。此為忠矣。〕
書き下し
夙に興き夜に寐ね、賢を進めて懈らず、数しば往古の行事を称して、以て主意を厲ます。此くの如き者は忠臣なり。〔或るひと袁子に問いて曰く「故の少府楊阜は、豈に忠臣に非ずや」と。対えて曰く「直士と謂う可し。忠は則ち我れ知らず。何となれば、夫れ人臣と為りて、主の道を失うを見、其の非を指して其の悪を播揚するは、直士と為す可きも、未だ忠と為さざるなり。故に司空陳羣は則ち然らず。其の談語終日、未だ嘗て人主の非を言わず。書を数十上るも外は知らず。君子は陳羣を是に於て長者と謂う。此れ忠と為す」と。〕
現代語訳
早く起きて遅く寝て、賢者を推挙して怠らず、たびたび昔の事例を挙げて主君の志を励ます。このような者は忠臣である。〔ある人が袁子に尋ねた。「もと少府の楊阜は、忠臣ではありませんか」。答えて言った。「まっすぐな士とは言える。忠であるかは私には分からない。なぜか。臣下として、主君が道を失うのを見て、その非を指摘してその悪を言いふらすのは、まっすぐな士とは言えても、まだ忠ではない。司空の陳羣はそうではなかった。一日じゅう語り合っても、主君の非を口にしたことがない。上書を数十回したが、外部の者は知らなかった。君子は陳羣をそこで長者と呼んだ。これが忠である」。〕
解説
直と忠を分けた一段で、この篇でも指折りの鋭さです。主君の誤りを指摘すること自体は正しい。しかしそれを外へ広めれば、直ではあっても忠ではない。陳羣は数十回も諌めながら、その事実を誰にも知られなかった。諌めたことを人に語らない、という一点が忠の条件になっています。正論を言った自分を、誰にも見せない覚悟です。
この章句が説くこと
臣行忠臣直士陳羣楊阜諫言
関連する章句
-
葉隠・聞書第一或人(あるひと)覚悟の体(てい)覚書に、主君の身辺(しんぺん)勤むる者は別けて身持(みもち)覚悟慎むべきことなり。御側(おそば)の者の様子を見て、主人のたけを人が積(つも)るものなり。今は御機嫌悪し、序(つい)でになどと思うて居る内に、不図(ふと)御誤(おんあやまり)もあるべきことなり。又諫言(かんげん)は時を移さず申し上ぐべきことなり。仰せ出(いで)済みて後も、其の者に理を附け、少しづつもよき様に云いなせば、帰参(きさん)も早きものなり。又仕合せ(しあわせ)よき人には、無音(ぶいん)しても苦しからず、侍の義理なり。又科人(とがにん)をわろく云うは不義理の事なり。落ちぶれたる者には随分不憫(ふびん)を加え、何とぞ立ち直す様に致すべきこと、侍の義理なりと、これあり候。
-
葉隠・聞書第一御縁組(ごえんぐみ)の時、何某(なにがし)一分(いちぶん)を申し達し候。この事、若き衆(しゅう)よく心得(こころえ)置くべき事なり。その身(み)気味(きみ)よく思うて、云(い)ふべき事を云うて腹切(はらき)りても本望(ほんもう)と思ふべし。よくよく了簡(りょうけん)候へ、何の益(えき)にも立たぬ事なり。我(われ)かやうの事を云うて腹切りても本望と思ふは、なるほど聞(きこ)えたり。曲者(くせもの)などと思ふは以(もっ)ての外(ほか)なる取違(とりちが)ひなり。まづ申し出でたる事その詮(せん)なく、我が身は引き取り、御養育(ごよういく)も仕(つかまつ)らず、追付(おっつ)け御死去(ごしきょ)なされ候に、御看病(ごかんびょう)も仕らず、残念千万(ざんねんせんばん)なり。気過(きす)ぎなる人は多分(たぶん)誤(あやま)る所なり。総(そう)じてその位(くらい)に至らずして諫言(かんげん)するは却(かえ)つて不忠(ふちゅう)なり。誠(まこと)の者ならば、我が存(ぞん)じ寄りたる事を似合(にあ)ひたる人に潜(ひそ)かに内談(ないだん)して、その人の思ひ寄りにさせて云へば、その事調(ととの)はるなり。これ忠節(ちゅうせつ)なり。もし、内談にてその人請(う)け合はずば、また外(ほか)の人にも内談し、とかく色々心遣(こころづか)ひをして、その事さへ調はるる様にすれば、大忠節(だいちゅうせつ)も知れぬ様にして居るものなり。幾人(いくにん)に内談しても、埒(らち)明かざる時は力に及ばず、その分(ぶん)にて打ち過ぎ、または起こし立て起こし立てすれば、多分叶(かな)ふものなり。我こそ曲者と云はるる名聞(みょうもん)ばかりにて、我が手柄(てがら)にするゆゑ調はざるなり。申し出でたる事益には立たず、人に難(なん)ぜられ、我が身を崩(くず)したる人数多(あまた)これあるなり。畢竟(ひっきょう)真(しん)の志(こころざし)なきゆゑなり。我が身を一向(いっこう)に捨て捨てて、主君の上(うえ)どうなりとも好き様にとさへ思へば、紛(まぎ)るる事はこれなく候なり。
-
葉隠・聞書第一主人に諫言(かんげん)をするに色々あるべし。志(こころざし)の諫言は、脇(わき)に知れぬ様にするなり。御気(おんき)にさからわぬ様にして御癖(おんくせ)を直し申すものなり。細川頼之(ほそかわよりゆき)が忠義などなり。昔、御道中にて、御年寄(おとしより)何某(なにがし)承り、「某(それがし)、一命を捨てて申し上ぐべく候。段々御延引(ごえんいん)の上に脇寄(わきよ)りなど遊ばされ候節(せつ)、以ての外(ほか)然(しか)るべからず候。」と、諸人(しょにん)に向かい、「御暇乞(おいとまごい)仕り候。」と詞(ことば)を渡し、行水(ぎょうずい)、白帷子(しろかたびら)下着(したぎ)にて御前(ごぜん)へ罷出(まかりい)でられ、追付(おっつけ)退出、また諸人に向かい、「拙者(せっしゃ)申し上げ候儀、聞召(きこしめ)し分けられ本望至極(ほんもうしごく)、皆様へ一度御目に懸(かか)り候儀、不思議の仕合(しあわ)せ。」など広言(こうげん)申され候。これ皆、主人の非を顕(あらわ)し、我が忠を揚げ、威勢(いせい)を立つる仕事なり。多分、他国者(たこくもの)にこれあるなり。
-
葉隠・聞書第一諫言(かんげん)の道に、我(われ)其の位(くらい)にあらずば、其の位の人に言はせて、御誤(おあやまり)直(なお)る様にするが大忠(たいちゅう)なり。此の階(かい)の為に諸人(しょにん)と懇意(こんい)する所なり。我が為にすれば追従(ついしょう)なり。一方(いっぽう)は我等(われら)荷(にな)ひ申す心入(こころいれ)からなり。成程(なるほど)なるものなり。
-
荀子・大略篇人の臣下たる者は、諫むること有るも訕ること無く、亡ること有るも疾むこと無く、怨むこと有るも怒ること無し。
-
尚書・皐陶謨予(われ)違(たが)わば、汝(なんじ)弼(たす)けよ。汝、面従(めんじゅう)することなく、退(しりぞ)きて後言(こうげん)あることなかれ。