長短経 / 覇図
諸将問公曰、「初、賊守潼闗、渭北道缺、不從河東擊馮翊而反守潼關引日而後北渡何也公曰賊守潼關若吾入河東、賊必引守諸津、則西河未可渡也、吾故盛兵向潼關、賊必悉衆南守、西河之備虚、故二將得擅取西河、然後引軍北渡、賊不能與吾爭西河者、以有二將之軍。連車樹柵為甬道而南者、既為不可勝、且以示弱。渡渭為堅壘、虜至而不出、所以驕之也。故賊不為營壘、而求割地。吾順言許之、所以從其意、使自安而不為備、因畜士卒之力、一旦擊之、所謂疾雷不及掩耳、卒電不及瞑目。兵之乘變、固非一道也。」〕
新字:諸将問公曰、「初、賊守潼関、渭北道欠、不従河東撃馮翊而反守潼関引日而後北渡何也公曰賊守潼関若吾入河東、賊必引守諸津、則西河未可渡也、吾故盛兵向潼関、賊必悉衆南守、西河之備虚、故二将得擅取西河、然後引軍北渡、賊不能与吾争西河者、以有二将之軍。連車樹柵為甬道而南者、既為不可勝、且以示弱。渡渭為堅塁、虜至而不出、所以驕之也。故賊不為営塁、而求割地。吾順言許之、所以従其意、使自安而不為備、因畜士卒之力、一旦撃之、所謂疾雷不及掩耳、卒電不及瞑目。兵之乗変、固非一道也。」〕
書き下し
諸将、公に問いて曰く「初め、賊、潼関を守り、渭北の道は缺く。河東より馮翊を撃たずして、反って潼関を守り、日を引きて後に北のかた渡るは、何ぞや」と。公曰く「賊、潼関を守る。若し吾、河東に入らば、賊必ず引きて諸津を守らん。則ち西河は未だ渡る可からざるなり。吾、故に兵を盛んにして潼関に向かう。賊必ず衆を悉くして南を守り、西河の備え虚し。故に二将、擅に西河を取るを得たり。然る後に軍を引きて北のかた渡る。賊の吾と西河を争う能わざるは、二将の軍有るを以てなり。車を連ね柵を樹てて甬道と為して南するは、既に勝つ可からざるを為し、且つ以て弱を示すなり。渭を渡りて堅塁を為し、虜至るも出でざるは、之を驕らしむる所以なり。故に賊、営塁を為さずして、地を割かんことを求む。吾、言に順いて之を許すは、其の意に従い、自ら安んじて備えを為さざらしむる所以なり。因りて士卒の力を畜え、一旦にして之を撃つ。所謂疾雷は耳を掩うに及ばず、卒電は目を瞑るに及ばず、なり。兵の変に乗ずるは、固より一道に非ざるなり」と。〉
現代語訳
諸将が曹公に尋ねた。「はじめ賊は潼関を守り、渭水の北の道は手薄でした。河東から馮翊を撃たずに、かえって潼関を守り、日数をかけてから北へ渡ったのはなぜですか」。曹公は言った。「賊は潼関を守っていた。もし私が河東に入れば、賊は必ず兵を回して各渡しを守る。そうなれば西河は渡れない。だから兵を盛んに見せて潼関へ向かった。賊は必ず全軍で南を守り、西河の備えが空になる。だから二人の将が西河を取れた。そのうえで軍を率いて北へ渡った。賊が私と西河を争えなかったのは、二将の軍があったからだ。車を連ね柵を立てて通路を作って南下したのは、勝てない構えを作ると同時に、弱く見せるためだ。渭水を渡って堅い塁を築き、敵が来ても出ないのは、相手を驕らせるためだ。だから賊は陣営を築かず、土地の割譲を求めてきた。私が言葉どおり許したのは、相手の意に従わせて安心させ、備えをさせないためだ。そのあいだに兵の力を蓄え、一気に撃った。いわゆる、激しい雷は耳を塞ぐ暇を与えず、突然の稲妻は目を閉じる暇を与えない、ということだ。用兵が変化に乗じる道は、もともと一つではない」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『長短経』覇図関中の諸将馬超・韓遂・成宜等反す。曹公、之を破る。〈曹公と馬超等と関を夾みて界と為す。曹公、急に持して、潜かに徐晃等を遣わして夜に蒲坂津を渡らしめ、河西に拠りて営と為す。公、自ら潼関より北のかた渡る。未だ済らざるに、超、船に赴きて急に戦う。丁斐、牛馬を放ちて以て賊を餌にす。賊乱れ、牛馬を取る。公、乃ち渡るを得て、営を渭南に結ぶ。超、信を遣わして地を割き、任子もて以て和せんことを求む。公、偽りて之を許す。韓遂、公と相い見えんことを請う。期に至り、馬上に交わり、語ること時を移し、軍事に及ばず。但だ京都の故旧を説きて、手を拊ちて歓笑す。既に罷む。超、遂に何を言うかと問う。遂曰く「言う所無し」と。超、之を疑う。他日、公、又た遂に書を与う。改滅点竄する所多く、遂の改定する者の如し。超、愈々遂を疑う。曹公、乃ち与に戦い、大いに之を破る。関中平らぐ。
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『長短経』覇図曹公、官渡に軍す。紹、時に衆を悉くして南す。田豊、紹に説きて曰く「曹公は善く兵を用い、変化方無し。衆は少なしと雖も、未だ軽んず可からず。久しきを以て之を持するに如かず。将軍は山河の固きに拠り、四州の衆を擁す。外は英雄を結び、内は農戦を修む。然る後に其の精鋭を簡び、分かちて奇兵と為し、虚に乗じて迭々出で、以て河南を擾し、右を救わば則ち其の左を撃ち、左を救わば則ち其の右を撃つ。敵をして奔命に疲れしめ、人、業に安んずるを得ざらしむ。我労せずして彼已に困す。三年に及ばずして、坐して克つ可きなり。今、廟算の策を釈てて、成敗を一戦に決す。若し志の如くならずんば、悔ゆとも及ぶ無きなり」と。
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『長短経』覇図越王曰く「之を若何せん」と。対えて曰く「三王の興るや、五伯の挙がるや、兵に由りて以て大業を成さざるは莫し。故に夏啓に甘野の師有り、斉桓は召陵の衆を起こす。皆な以て不庭を征討し、叛を伐ち慝を威すなり。今、天下土崩し、英雄競い起こる。陛下の腹心の患いと為る者は、夏・魏に過ぐるは莫し。夏、師を遣わして河を渉らば、則ち東都は陛下の地に非ず。魏、師を遣わして洛を踰えば、洛口の粟は、陛下の有する所に非ず。累卵の危うき、以て加うる無きなり。臣聞く、兵は正を以て合し、而して奇を以て勝つ、と。韓信の成安を斬りし所以、子房の秦を降せし所以なり。請う、精鋭の士二万人を選びて洛陽を守り、三万人もて河に循いて守り、以て夏の寇の来たるに備え、親ら大軍を率いて洛口に出で、魏の師を掩わん。魏の君臣、陛下、天より至ると謂い、倉卒の間、智者も計を為さざらん。李密既に滅びなば、則ち建徳は気を懾れ、辺疆を備え守らん。時を相て動かば、則ち文皇の業、修む可く、世祖の基、墜ちざらん」と。
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『長短経』覇図紹、果たして曹公の敗る所と為る。紹、進みて武陽を保ち、操と相い持す。沮授、又た説きて曰く「北兵は衆しと雖も、果勁は南に及ばず。南の穀は虚少なるも、財貨は北に及ばず。南の利は急戦に在り、北の利は緩搏に在り。宜しく持久を修め、曠しくするに日月を以てすべし」と。紹従わず。連営して漸く官渡に逼る。許攸、進みて曰く「曹操は兵少なくして、師を悉くして我を拒ぐ。許下の余守、勢い必ず虚弱ならん。若し軽騎を分遣し、星行して襲わば、許抜けて、則ち操は擒を成さん。如し其れ未だ潰えずんば、首尾をして奔命せしむ可し。之を破ること必せん」と。紹、又た用うる能わず。
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『長短経』覇図夫れ漢王は蜀漢を発し、三秦を定め、西河の外を渉り、上党の兵を抜き、井陘の路を下し、成安の罪を誅し、北のかた魏を破り三十二城を挙ぐ。此れ蚩尤の兵にして、人力に非ず、天の福なり。今、已に敖倉の粟に拠り、成皋の険を塞ぎ、白馬の津を守り、太行の路を杜ぎ、飛狐の口を拒ぐ。而して天下の後に服する者は先ず亡びん。王、疾く先ず漢王に下らば、斉国の社稷、得て保つ可きなり。漢王に下らずんば、危亡立ちどころに待つ可し」と。
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『長短経』覇図会々攸の家、法を犯す。審配、之を収繋す。攸、志を得ず、遂に曹公に奔る。而して操に説きて淳于瓊を襲取せしむ。瓊、時に軍を督し、烏巣に屯在す。紹の軍を去ること四十里。操、自ら将いて急に之を撃つ。時に張郃、紹に説きて曰く「曹公の兵は精なり。往かば必ず瓊を破らん。瓊破れなば、則ち将軍の事去らん。宜しく兵を引きて之を救うべし」と。郭図曰く「郃の計は非なり。其の本営を攻むるに如かず。勢い必ず還らん。此れ救わずして自ら解くるを為すなり」と。郃曰く「曹公の営は固し。之を攻むるも必ず抜けざらん。若し瓊等禽にせられなば、吾が属、尽く虜と為らん」と。紹、但だ軽騎を遣わして瓊を救い、而して重兵を以て操の営を攻むるも、下す能わず。曹公、瓊を破り、其の積聚を焚く。紹の軍、潰散奔北す。曹公、遂に紹を破り、乃ち天下を威震するなり。〉