長短経 / 論士
〔議曰、天下無灾害、雖有賢徳、無所施材老子曰、“大道廢、有仁義、國家昏亂、有忠臣。”《淮南子》曰、“未有其功而知其賢者、唯堯之知舜也、功成事立而知其賢者、市人之知舜也。”陸機曰、“飛轡西頓、則離朱與矇瞍收察、懸景東秀、則夜光與碔砆匿曜是以才換世則俱因功偶時而並劭。”以此推之、向使殷無鳴條之事、則伊尹有莘之媵臣、周無牧野之師、則太公渭濱之漁者耳。豈能勒石帝籍、䇿勲天府乎?故曰、“賢、不肖者、才也、遇與不遇者、時也。”誠哉是言也。〕
新字:〔議曰、天下無災害、雖有賢徳、無所施材老子曰、“大道廃、有仁義、国家昏乱、有忠臣。”《淮南子》曰、“未有其功而知其賢者、唯堯之知舜也、功成事立而知其賢者、市人之知舜也。”陸機曰、“飛轡西頓、則離朱与矇瞍収察、懸景東秀、則夜光与碔砆匿曜是以才換世則倶因功偶時而並劭。”以此推之、向使殷無鳴条之事、則伊尹有莘之媵臣、周無牧野之師、則太公渭浜之漁者耳。豈能勒石帝籍、策勲天府乎?故曰、“賢、不肖者、才也、遇与不遇者、時也。”誠哉是言也。〕
書き下し
〔議に曰く、天下に災害無ければ、賢徳有りと雖も、材を施す所無し。老子曰く「大道廃れて仁義有り、国家昏乱して忠臣有り」と。淮南子に曰く「未だ其の功有らずして其の賢を知る者は、唯だ堯の舜を知るのみ。功成り事立ちて其の賢を知る者は、市人の舜を知るなり」と。陸機曰く「飛轡西に頓まれば、則ち離朱と矇瞍と察を収む。懸景東に秀ずれば、則ち夜光と碔砆と曜を匿す。是を以て才は世を換うれば則ち倶に因り、功は時に偶えば而して並びに劭し」と。此を以て之を推すに、向し殷に鳴条の事無くんば、則ち伊尹は有莘の媵臣なり。周に牧野の師無くんば、則ち太公は渭浜の漁者のみ。豈に能く石を帝籍に勒し、勲を天府に策せんや。故に曰く「賢・不肖なる者は才なり、遇と不遇とは時なり」と。誠なるかな是の言や。〕
現代語訳
〔議していう。天下に災害がなければ、賢徳があっても才を発揮する場がない。老子はこう言った。「大いなる道が廃れて仁義が生まれ、国家が乱れて忠臣が現れる」。淮南子にこうある。「まだ功績がないうちにその賢さを知るのは、堯が舜を知った例だけである。功が成り事が立ってからその賢さを知るのは、市井の人が舜を知る類である」。陸機はこう言った。「日が西に沈めば、離朱のような目の良い者も盲人も同じく見えなくなる。日が東に昇れば、夜光の珠も碔砆の石も輝きを隠す。だから才は時代が変われば同じ扱いを受け、功はたまたま時に合えば揃って盛んになる」。これによって推せば、もし殷に鳴条の戦いがなければ、伊尹は有莘氏の嫁入り道具の臣にすぎない。周に牧野の戦いがなければ、太公望は渭水のほとりの漁師にすぎない。どうして石に名を刻み、勲功を天府に記録できたろうか。だからこう言う。「賢いか愚かかは才である。遇うか遇わないかは時である」。まことにこの言葉のとおりだ。〕
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
論衡・『論衡』逢遇篇第一・才と遇は別のものである操行には常の賢有れども、仕宦には常の遇無し。賢と不賢とは、才なり。遇と不遇とは、時なり。才高く行い潔きも、以て必ず尊貴なりと保すべからず。能薄く操濁れるも、以て必ず卑賤なりと保すべからず。或いは才高く行い潔けれども、遇わずして退きて下流に在り。能薄く操濁れども、遇いて衆の上に在り。世は各おの自ら士を取る所以有り、士も亦た各おの自ら進むを得る所以有り。進むは遇に在り、退くは不遇に在り。尊きに処り顕かに居るは、未だ必ずしも賢ならず、遇うなり。位卑くして下に在るは、未だ必ずしも愚ならず、遇わざるなり。故に遇うは、或いは行いを抱きて桀の朝に尊く、遇わざるは、或いは潔節を持して堯の廷に卑し。遇不遇の所以は、一に非ず。或いは賢にして悪を輔け、或いは大才を以て小才に従い、或いは俱に大才なれども道に清濁有り、或いは道徳無くして技を以て合い、或いは技能無くして色を以て幸せらる。
-
抱朴子外篇・時難夫れ賢を以て聖に説くすら、猶お未だ必ずしも即ち受けず、故に伊尹は湯に幹むること、七十に至る。智を以て愚に告ぐれば、則ち必ず入らず、故に文は紂を諫むるも、終に納れられず。言の信ぜられざるは、猶お之を可とす。若し乃ち李斯の韓非を誅し、龐涓の孫臏を刖り、上官の屈平を毀り、袁盎の晁錯に中つるは、勝げて載す可からず。臣為ること易からず、豈に一途のみならんや。蓋し往きて反らざる者は、功の身後に在る所以、而して器を蔵して時を俟つ者は、百に一の遇う無き所以なり。高勲の臣は曠代に一たび有り、陥冰の徒は、史策に委積す。悲しいかな、時の遇い難きや、此の其の甚だしきこと。茲に由りて言えば、吾は渭浜の呂尚の儔、巖間の傅説の属、其の王佐の器を懐き、其の邈世の才を抱き、竿を秉り築を擁して、庸児の伍に老死し、遂に文王・高宗に遭わざる者の、必ず訾る無きを知る。
-
『長短経』論士論に曰く「遠道を行く者は車馬に仮り、江海を済る者は舟楫に因る。故に賢士の功を立て名を成すは、資に因りて物を仮る者なり」と。何を以て之を明らかにせん。公輸子は能く人主の材木に因りて、以て宮室臺榭を構う。而して自ら専屋狭廬を為る能わざるは、材足らざればなり。欧冶は能く国君の銅鉄に因りて、以て金炉大鐘を為る。而して自ら壺鼎盤盂を為る能わざるは、其の用無ければなり。君子は能く人主の政朝に因りて、以て百姓を和し衆庶を潤す。而して自ら其の家を饒かにする能わざるは、勢い便ならざればなり。故に舜は歴山に耕し、恩は州里に及ばず。太公は朝歌に牛を屠り、利は妻子に及ばず。其の用いらるるに及びてや、恩は八荒に流れ、徳は四海に溢る。故に舜は之を堯に仮り、太公は之を周文に因る。君子は能く身を修めて以て道を仮る、道を枉げて財を仮る能わず。
-
論衡・『論衡』自紀篇第八十五・才能と巡り合わせの別且つ達する者は未だ必ずしも知ならず、窮する者は未だ必ずしも愚ならず。遇う者は則ち得、遇わざる者は之を失う。故に夫れ命厚く禄善き者は、庸人も尊顕し、命薄く禄悪しき者は、奇俊も落魄す。偶合を以て材を称し徳を量るに比せば、則ち夫の城を専らにし土を食む者は、材は孔・墨に賢れり。身貴くして名賤しければ、則ち居は潔くして行は墨なり。
-
抱朴子外篇・廣譬抱朴子曰く、明暗は、才なり、自然にして飾る可からず。窮達は、時なり、会有りて力む可からず。呂尚は早く蔽いて晩に智なるに非ず、然れども素を振るいて僅かに遇う。韓信は初め怯にして末に勇なるに非ず、然れども危困して後に達す。
-
呂氏春秋・長攻①凡そ治亂存亡・安危彊弱は、必ず其の遇りて、然る後に成る可し。各々一なれば則ち設けず。故に桀・紂不肖と雖も、其の亡びたるは湯・武に遇えばなり。湯・武に遇いしは天なり。桀・紂の不肖に非ざるなり。湯・武賢なりと雖も、其の王たるは桀・紂に遇えばなり。桀・紂に遇いしは天なり。湯・武も賢に非ざるなり。若し桀・紂、湯・武に遇わざれば、未だ必ずしも亡びざるなり。桀・紂亡びざれば、不肖なりと雖も、辱め未だ此に至らず。若し湯・武をして桀・紂に遇わざらしめば、未だ必ずしも王たらざるなり。湯・武、王たらざれば、賢なりと雖も、顯るること未だ此に至らず。故に人主大功有れば、不肖なるを聞かず、亡國の主、賢なるを聞かず。之を譬うれば、良農の、土地の宜しきを辯じ、耕耨の事を謹むとも、未だ必ずしも收めざるが若し。然り而して收むる者、必ず此の人や、始め時雨に遇うに在り。時雨に遇うは、天地なり。良農の能く為す所に非ざるなり。