長短経 / 勢略
孫子曰、“勇怯、勢也、强弱、形也。”又曰、“水之弱、至于漂石者、勢也。”何以明之?昔曹公征張魯、定漢中、劉曄説曰、“明公以步卒五千、討誅董卓、北破袁紹、南征劉表。九州百郡、十并其八、威震天下、勢慴海外。今舉漢中、蜀人望風、破膽失守、推此而前、蜀可傳檄而定也。劉備、人傑也、有智而遲、得蜀日淺、蜀人未附。今破漢中、蜀人震恐、其勢自傾。以公之神明、因其傾而壓之〔鳥甲反、〕無不剋也。若小緩之、諸葛亮明于理而為相、關羽、張飛勇冠三軍而為將、蜀人既定、據險守要、則不可犯也。今不取、必為後憂。”曹公不從。居七日、蜀降者説、“蜀中一日數十驚、備斬之而不能禁也。”曹公延問曄曰、“今尚可擊否?”曄曰、“今已小定、未可擊也。”
新字:孫子曰、“勇怯、勢也、強弱、形也。”又曰、“水之弱、至于漂石者、勢也。”何以明之?昔曹公征張魯、定漢中、劉曄説曰、“明公以歩卒五千、討誅董卓、北破袁紹、南征劉表。九州百郡、十并其八、威震天下、勢慴海外。今舉漢中、蜀人望風、破胆失守、推此而前、蜀可伝檄而定也。劉備、人傑也、有智而遅、得蜀日浅、蜀人未附。今破漢中、蜀人震恐、其勢自傾。以公之神明、因其傾而圧之〔鳥甲反、〕無不剋也。若小緩之、諸葛亮明于理而為相、関羽、張飛勇冠三軍而為将、蜀人既定、拠険守要、則不可犯也。今不取、必為後憂。”曹公不従。居七日、蜀降者説、“蜀中一日数十驚、備斬之而不能禁也。”曹公延問曄曰、“今尚可撃否?”曄曰、“今已小定、未可撃也。”
書き下し
孫子曰く「勇怯は、勢いなり。強弱は、形なり」と。又た曰く「水の弱きも、石を漂わすに至る者は、勢いなり」と。何を以て之を明らかにせん。昔、曹公張魯を征し、漢中を定む。劉曄説きて曰く「明公は歩卒五千を以て、董卓を討誅し、北のかた袁紹を破り、南のかた劉表を征す。九州百郡、十に其の八を并せ、威は天下に震い、勢いは海外を懾れしむ。今、漢中を挙ぐ。蜀人は風を望み、胆を破り守りを失わん。此を推して前まば、蜀は檄を伝えて定むべきなり。劉備は人傑なり。智有りて遅く、蜀を得ること日浅く、蜀人未だ附かず。今、漢中を破り、蜀人震恐し、其の勢い自ら傾く。公の神明を以て、其の傾くに因りて之を圧せば〔烏甲の反〕、剋たざる無きなり。若し小しく之を緩めば、諸葛亮は理に明らかにして相と為り、関羽・張飛は勇三軍に冠たりて将と為り、蜀人既に定まり、険に拠り要を守らば、則ち犯すべからざるなり。今取らずんば、必ず後憂と為らん」と。曹公従わず。居ること七日、蜀の降る者説く「蜀中一日に数十たび驚き、備之を斬るも禁ずること能わざるなり」と。曹公延きて曄に問いて曰く「今尚お撃つべきや否や」と。曄曰く「今已に小しく定まる。未だ撃つべからざるなり」と。
現代語訳
孫子は言う。「勇ましさと臆病さは勢いによる。強さと弱さは形による」。また「弱い水でも石を押し流すに至るのは勢いである」と言う。何によってこれを明らかにするか。昔、曹操が張魯を征伐して漢中を平定したとき、劉曄が説いた。「明公はわずか歩兵五千で董卓を討ち、北は袁紹を破り、南は劉表を征伐しました。九州百郡の十に八を併せ、威は天下を震わせ、勢いは海外まで恐れさせています。いま漢中を取りました。蜀の人々はこの勢いを見て肝をつぶし、守りを失うでしょう。このまま進めば、蜀は檄文一つで平定できます。劉備は人傑ですが、知恵はあっても動きが遅く、蜀を得て日が浅く、蜀の人々はまだなついていません。いま漢中が破れて蜀の人々は震え恐れ、その勢いはひとりでに傾いています。明公の神のような明察で、傾いたところを押せば、勝てないことはありません。少しでも緩めれば、諸葛亮が道理に明るく宰相となり、関羽・張飛が三軍に冠たる勇で将となり、蜀の人々が落ち着き、険しい地に拠って要所を守れば、もう攻められません。いま取らなければ、必ず後の憂いとなります」。曹操は従わなかった。七日後、蜀から降ってきた者が「蜀の中は一日に何十回も騒ぎ、劉備が斬っても止められません」と言った。曹操が劉曄を招いて「今からでも撃てるか」と問うと、劉曄は「もう少し落ち着いてしまいました。撃てません」と言った。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『長短経』三国権時に曹公、漢中を抜く。〔初め、魏の太祖、張魯を漢中に破る。劉曄、計を進めて曰く「明公は北のかた袁紹を破り、南のかた劉表を征し、九州百郡、十に其の八を并せ、威は天下に震い、勢は海外を懾れしむ。今、漢中を挙ぐ。蜀人は風を望みて、胆を破り守りを失わん。此を推して前まば、蜀は檄を伝えて定むべし。劉備は人傑なり。度有りて遅く、蜀を得ること日浅く、蜀人未だ附かず。人心震恐し、其の勢い自ら傾かん。其の傾くに因りて之を圧せば、克たざる無きなり。若し小しく之を緩めば、諸葛孔明は治体に明らかに、関侯・張飛は勇三軍に冠たり。武毅以て之を威し、文徳以て之を撫し、険に拠り要を守らば、犯すべからざらん。今時取らずんば、必ず後憂有らん」と。太祖従わず。居ること七日、蜀の降る者言う、蜀中驚擾し、之を斬ると雖も、猶お禁ぜず、と。太祖又た曄に問いて曰く「蜀伐つべきや不や」と。対えて曰く「今已に小しく安んず。動かすべからざるなり」と。〕
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『長短経』勢略又た、太祖呂布を征して、下邳に至る。布敗れて、固く城を守る。攻むるも抜けず。太祖還らんと欲す。荀攸曰く「呂布は、勇にして謀無し。今、三軍皆北げ、其の鋭気衰う。三軍は将を以て主と為す。主衰うれば則ち軍に奮意無し。夫れ陳宮は智有りて遅し。今、布の気の未だ復せず、宮の謀の未だ定まらざるに及びて、進みて急に之を攻めば、布抜くべきなり」と。乃ち沂・泗を引きて城に灌ぐ。城潰え、布を生擒にす。此を以て之を観れば、是の時に当たりては、諸葛の智、陳宮の謀、呂布の勇、関・張の勁と雖も、用うる所無し。此れ「勇怯は勢いなり、強弱は形なり」と謂う。
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『長短経』三国権法正、先主に説きて曰く「曹操は一挙にして張魯を降し、漢中を定むるも、此の勢いに因りて以て巴蜀を図らず、而して夏侯淵・張郃を留めて屯守せしめ、身は遽かに北に還る。此れ其の智逮ばず、力足らざるに非ず。将た内に憂逼有るが故のみ。今、淵・郃の才略を算うるに、国の将率に勝らず。衆を挙げて往きて討たば、則ち必ず之に克たん。之に克つの日、農を広め穀を積み、釁を観て隙を伺わば、上は以て寇敵を傾覆し、王室を尊奨すべく、中は以て雍・涼を蚕食し、境を広め土を拓くべく、下は以て要害を固守し、持久の計を為すべし。此れ蓋し天の以て我に与うるなり。時失うべからず」と。先主其の策を善しとし、乃ち諸将を率いて兵を漢中に進め、正も亦た従い行く。先主、陽平より南のかた沔水を渡り、山に縁りて稍く前み、定軍・興勢に営を作る。淵、兵を将いて来たりて其の地を争う。正曰く「撃つべし」と。先主、黄忠に命じて高きに乗じ鼓譟して之を攻めしめ、大いに淵等を破り首を授けしめ、遂に梁・漢を奄有す。
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『長短経』格形初め、関侯楚の襄陽を囲む。曹操は漢帝の許に在りて、賊に近きを以て、都を徙さんと欲す。司馬宣王及び蒋済、曹操に説きて曰く「劉備・孫権は、外は親しく内は疎し。関侯の志を得るは、権必ず願わざるなり。人を遣わして其の後ろを躡まんことを勧め、江南を割きて以て権を封ずるを許さば、則ち楚の囲み自ら解けん」と。曹操之に従い、侯遂に擒にせらる。此れ其の愛する所を攻むれば、則ち動くを言うなり。是を以て善く戦う者は、智名無く、勇功無し。白刃の前に争わず、已に失いたるの後に備えず。此の謂いなり。
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『長短経』三国権〔蜀・呉・魏〕論に曰く、臣聞く、昔、漢氏綱ならず、網は凶狡を漏らす。袁本初は河朔に虎視し、劉景升は荊州に鵲起し、馬超・韓遂は関西に雄拠し、呂布・陳宮は東夏に命を竊む。遼河・海岱、王公十数、皆兵百万・鉄騎千群を阻み、合従して交わりを締び、一時の傑たり。然れども曹操は天子を挟みて諸侯に令し、六七年の間、夷滅する者十に八九。唯だ呉・蜀は蕞爾たる国なり。地図を以て之を案ずるに、纔かに四州の土にして、中原の大都に如かず。人は公戦に怯え、私闘に勇み、軽く走り易く北げ、諸華の士に敵せず。長を角べ大を量り、才を比べ力を称うるに、二袁・劉・呂の盛んなるに若かず。此の二雄は新造未集の国を以て、逆上不侔の勢いに資るも、然れども能く剣を撫して顧眄し、曹氏と権を争い、馬を躍らせて指麾し、利は南海を尽くす。何ぞや。則ち地利同じからず、勢い之をして然らしむるのみ。
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『長短経』三国権諸葛亮の南陽に躬耕すると聞き、乃ち三たび亮を草廬の中に詣り、人を屏けて言いて曰く「漢室傾頹し、姦臣命を竊み、主上蒙塵す。孤、徳を度り力を量らず、大義を天下に信べ行わんと欲す。而れども智術浅短にして、遂に用て猖獗し、今日に至る。然れども意猶お未だ已まず。君謂えらく、計将に安くにか出でんとする」と。亮答えて曰く「董卓より已来、豪傑並び起こり、州に跨り郡を連ぬる者、勝げて数うべからず。曹操は袁紹に比すれば、名微にして衆寡なし。然れども遂に能く紹に克つ。弱を以て強と為る者は、唯だ天の時のみに非ず、抑も亦た人の謀なり。今、操は已に百万の衆を擁し、天子を挟みて諸侯に令す〔伝に云う、諸侯を求むるは、王に勤むるに如くは莫し、と。此の謂いなり〕。此れ誠に与に鋒を争うべからず。孫権は江東を拠有し、已に三代を歴たり。国険にして民附き、賢能用を為す。此れ与に援と為すべくして、図るべからざるなり。