長短経 / 察相
夫命之與相、猶聲之與響也。聲動乎幾、響窮乎應、必然之理矣。雖云、以言信行、失之宰予、以貎度性、失之子羽。然《傳》稱、「無憂而戚、憂必及之、無慶而歡、樂必還之。」此心有先動而神有先知、則色有先見。故扁鵲見桓公、知其將亡、申叔見巫臣、知其竊妻。或躍馬膳珍、或飛而食肉、或早隸晚侯、或初刑末王。銅巖無以飽生、玉饌終乎餓死。則彼度表捫骨、指色摘理、不可誣也。故列云爾。
新字:夫命之与相、猶声之与響也。声動乎幾、響窮乎応、必然之理矣。雖云、以言信行、失之宰予、以貎度性、失之子羽。然《伝》称、「無憂而戚、憂必及之、無慶而歓、楽必還之。」此心有先動而神有先知、則色有先見。故扁鵲見桓公、知其将亡、申叔見巫臣、知其窃妻。或躍馬膳珍、或飛而食肉、或早隸晩侯、或初刑末王。銅巖無以飽生、玉饌終乎餓死。則彼度表捫骨、指色摘理、不可誣也。故列云爾。
書き下し
夫れ命と相とは、猶お声と響きとのごときなり。声は幾に動き、響きは応に窮まる。必然の理なり。言を以て行を信ずるは宰予に之を失い、貌を以て性を度るは子羽に之を失うと云うと雖も、然れども伝に称す「憂い無くして戚めば、憂い必ず之に及ぶ。慶び無くして歓べば、楽しみ必ず之を還す」と。此れ心に先ず動く有りて神に先ず知る有れば、則ち色に先ず見わるる有り。故に扁鵲は桓公を見て、其の将に亡びんとするを知る。申叔は巫臣を見て、其の妻を竊むを知る。或いは馬を躍らせ珍を膳し、或いは飛びて肉を食らい、或いは早くは隷にして晩くは侯たり、或いは初めは刑せられ末には王たり。銅巌も以て生を飽かしむる無く、玉饌も餓死に終わる。則ち彼の表を度り骨を捫し、色を指し理を摘むこと、誣う可からざるなり。故に列すること云爾。
現代語訳
そもそも命と相とは、声と響きのようなものである。声はきざしに動き、響きは応じるところで尽きる。必然の理である。言葉によって行いを信じたことでは宰予に誤り、容貌によって性質を測ったことでは子羽に誤った、とは言われる。しかし左伝にこうある。「憂いがないのに悲しんでいれば、憂いは必ずやって来る。慶事がないのに喜んでいれば、楽しみは必ず返っていく」。これは心に先に動きがあり、精神に先に知るところがあれば、顔色に先に現れるということである。だから扁鵲は桓公を見てその滅びを知り、申叔は巫臣を見てその妻を盗むことを知った。ある者は馬を躍らせ珍味を食べ、ある者は飛ぶように出世して肉を食い、ある者は早くは奴隷で晩年には諸侯となり、ある者は初めは刑を受け最後には王となった。銅の山があっても生を養い尽くせず、玉の膳でも餓死に終わる。であれば、外見をはかり骨に触れ、顔色を指し筋目を摘み取ることは、でたらめとは言えない。だからここに列挙した次第である。
解説

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