長短経 / 臣行
魏文帝問王朗等曰、“昔子産治鄭、人不能欺、子賤治單父、人不忍欺、西門豹治鄴、人不敢欺。三子之才、與君徳孰優?”對曰、“君任徳、則臣感義而不忍欺、君任察、則臣畏覺而不能欺、君任刑、則臣畏罪而不敢欺。任徳感義、與夫導徳齊禮、有恥且格、等趨者也、任察畏罪與夫導政齊刑、免而無恥、同歸者也。優劣之懸、在於權衡、非徒鈞銖之覺也。”或曰、“季文子、公孫𢎞、此二人皆折節儉素、而毁譽不同、何也?
新字:魏文帝問王朗等曰、“昔子産治鄭、人不能欺、子賤治単父、人不忍欺、西門豹治鄴、人不敢欺。三子之才、与君徳孰優?”対曰、“君任徳、則臣感義而不忍欺、君任察、則臣畏覚而不能欺、君任刑、則臣畏罪而不敢欺。任徳感義、与夫導徳斉礼、有恥且格、等趨者也、任察畏罪与夫導政斉刑、免而無恥、同帰者也。優劣之懸、在於権衡、非徒鈞銖之覚也。”或曰、“季文子、公孫弘、此二人皆折節倹素、而毀誉不同、何也?
書き下し
魏の文帝、王朗らに問いて曰く「昔、子産は鄭を治め、人は欺く能わず。子賤は単父を治め、人は欺くに忍びず。西門豹は鄴を治め、人は敢えて欺かず。三子の才は、君の徳と孰れか優れる」と。対えて曰く「君、徳に任ずれば、則ち臣は義に感じて欺くに忍びず。君、察に任ずれば、則ち臣は覚らるるを畏れて欺く能わず。君、刑に任ずれば、則ち臣は罪を畏れて敢えて欺かず。徳に任じ義に感ずるは、夫の徳に導き礼に斉しくし、恥有りて且つ格るると、趨を等しくする者なり。察に任じ罪を畏るるは、夫の政に導き刑に斉しくし、免れて恥無きと、帰を同じくする者なり。優劣の懸たること、権衡に在り。徒だ鈞銖の覚のみに非ざるなり」と。
現代語訳
魏の文帝が王朗らに尋ねた。「昔、子産が鄭を治めたとき、人は欺くことができなかった。子賤が単父を治めたとき、人は欺くに忍びなかった。西門豹が鄴を治めたとき、人は敢えて欺かなかった。この三人の才は、君主の徳と比べてどちらが優れているか」。答えて言った。「君主が徳に任せれば、臣下は義に感じて欺くに忍びなくなる。君主が明察に任せれば、臣下は見抜かれるのを恐れて欺くことができなくなる。君主が刑に任せれば、臣下は罪を恐れて敢えて欺かなくなる。徳に任せて義に感じさせるのは、徳で導き礼で揃えれば恥を知ってかつ正される、というのと同じ方向である。明察に任せて罪を恐れさせるのは、政令で導き刑で揃えれば逃れて恥じない、というのと同じ方向である。優劣の隔たりは秤にかけるほど大きく、わずかな目盛りの違いではない」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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論語・公冶長篇子、子賤を謂いて曰く、『君子なるかな、若(か)の人!魯に君子無くんば、斯れ焉(いずく)んぞ斯れを取らんや。』
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史記 仲尼弟子列伝宓不齊、字は子賤。孔子より少きこと三十歳。孔子、子賤を謂ふ、「君子なるかな、魯に君子無くんば、斯れ焉ぞ斯を取らん」と。子賤、単父の宰と為り、命を孔子に反して曰く、「此の国に不齊より賢なる者五人有り、不齊を教へて治むる所以なり」と。孔子曰く、「惜しいかな、不齊の治むる所の者小なり、治むる所の者大ならば則ち庶幾からん」と。
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孔子家語・七十二弟子解宓不齊は、魯の人、字は子賤、孔子より少きこと四十九歲。仕えて單父の宰と為り、才智有り、百姓を仁愛す、民欺くに忍びず。孔子之を大とす。
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『長短経』臣行〔議に曰く、夫れ聖人は徳全く、器に順わざる無し。中庸より已降は、才は則ち偏を好む。故に曰く、柴や愚、参や魯、師や辟、由や喭。此に由りて之を観れば、全徳なる者は鮮なし。全徳既に鮮なければ、則ち矯情に資りて善を力むるなり。然れども世は矯偽を悪みて、人は任真を賢とす。其れをして真に貪愚にして亦た之に任ぜしめば、賢と為す可きか。対えて曰く、吁、何ぞ其れ然らんや。夫れ貌を天地に肖せ、陰を負い陽を抱く。清濁賢愚、其の性は則ち異なると雖も、趨走嗜欲の規する所は則ち同じ。故に靡顔膩理は人の悦ぶ所なり。堅に乗り良を駆るは人の愛する所なり。心を苦しめ節を貞しくするは人の難しとする所なり。公に狥い私を滅するは人の苦しむ所なり。礼教を以て之を節せざれば、則ち蕩して制せず。安くんぞ肯えて苦を攻め淡を食い、貞潔公方にして、財に臨みて廉に取与に義ならんや。
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説苑・政理魏の文侯、西門豹をして往きて鄴を治めしむ。之に告げて曰く、「必ず功を全うし名を成し義を布け。」豹曰く、「敢えて問う、功を全うし名を成し義を布くこと、之を為すこと奈何。」文侯曰く、「子往け。是れ邑として賢豪辨博なる者有らざるは無く、邑として人の惡を揚げ人の善を蔽うを好む者有らざるは無し。往かば必ず豪賢なる者を問いて、因りて之に親しめ。其の辨博なる者は、因りて之を師とせよ。其の人の惡を揚げ人の善を蔽うを好む者を問いて、因りて之を察せよ。特聞を以て事に從うべからず。夫れ耳に之を聞くは目に之を見るに如かず、目に之を見るは足に之を踐むに如かず、足に之を踐むは手に之を辨ずるに如かず。人始めて官に入るは、晦室に入るが如し。久しくして愈々明らかなり。明らかにして乃ち治まり、治まりて乃ち行わる。」
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『長短経』詭信臣をして信なること尾生の如く、廉なること伯夷の如く、孝なること曽参の如くならしめば、三者は天下の高行なり。而して以て王に事えば、可ならんか」と。燕王曰く「可なり」と。蘇秦曰く「此の臣有らば、亦た主に事えず。孝なること曽参の如くならば、義として其の親を離れて外に宿昔せず。王又た安んぞ之をして歩行千里にして弱燕の危王に事えしむるを得んや。廉なること伯夷の如くならば、義として孤竹君の嗣と為らず、武王の臣と為るを肯んぜず、封侯を受けずして、首陽の下に餓死す。廉なること此くの如き者有らば、王又た安んぞ能く之をして歩行千里にして、斉に進取せしめんや。信なること尾生の如くならば、女子と梁柱の下に期し、女子来たらず、水至るも去らず、梁柱を抱きて死す。信なること此くの如き有らば、何ぞ肯えて燕・秦の威を揚げ、斉の強兵を却けんや〔韓子曰く「夫れ許由・続牙・卞随・務光・伯夷・叔斉、此の数人の者は、皆利を見て喜ばず、難に臨みて恐れず。夫れ利を見て喜ばざれば、厚賞と雖も以て之を勧むる無し。難に臨みて恐れざれば、厳刑と雖も以て之を威す無し。此れ不令の人と謂う。先古の聖王も皆臣とすること能わず。当今の代、将た安んぞ之を用いん」と〕。