長短経 / 覇図
桂陽負衆、輕問九鼎、裂冠毁冕、拔本塞源、烈火焚於王城、飛矢集於君屋、羣后憂惶、元戎無主、公挺劒凝神、則竒謀不世、把旄指麾、則懦夫成勇、信宿之間、宣陽底定、此又公之功也。蒼梧肆虐、諸夏糜沸、淫刑以逞、誰則無辜、黔首相悲、朝不謀夕、髙祖之業已淪、文明之軌誰嗣?公逺稽殷漢之義、近遵魏晉之典、猥以眇身、入奉宗社、七廟清謐、九區反政、此又公之功也。
新字:桂陽負衆、軽問九鼎、裂冠毀冕、抜本塞源、烈火焚於王城、飛矢集於君屋、羣后憂惶、元戎無主、公挺劒凝神、則奇謀不世、把旄指麾、則懦夫成勇、信宿之間、宣陽底定、此又公之功也。蒼梧肆虐、諸夏糜沸、淫刑以逞、誰則無辜、黔首相悲、朝不謀夕、高祖之業已淪、文明之軌誰嗣?公遠稽殷漢之義、近遵魏晋之典、猥以眇身、入奉宗社、七廟清謐、九区反政、此又公之功也。
書き下し
桂陽、衆を負み、軽がるしく九鼎を問う。冠を裂き冕を毀ち、本を抜き源を塞ぐ。烈火は王城に焚け、飛矢は君屋に集まる。群后憂惶し、元戎に主無し。公、剣を挺き神を凝らせば、則ち奇謀は不世なり。旄を把りて指麾すれば、則ち懦夫も勇を成す。信宿の間に、宣陽底定す。此れ又た公の功なり。蒼梧、虐を肆にし、諸夏糜沸す。淫刑もて以て逞しくし、誰か則ち辜無からん。黔首相い悲しみ、朝に夕を謀らず。高祖の業、已に淪み、文明の軌、誰か嗣がん。公、遠く殷漢の義を稽え、近く魏晋の典に遵い、猥りに眇身を以て、入りて宗社を奉ず。七廟清謐し、九区政に反る。此れ又た公の功なり。
現代語訳
桂陽王は兵を頼んで、軽々しく帝位をうかがった。冠を裂き冕を壊し、根を抜き源を塞いだ。烈火が王城に燃え、飛ぶ矢が君主の屋根に集まった。諸侯は憂え恐れ、主力軍に主がなかった。公が剣を抜いて精神を凝らせば、奇策は世に類がない。旄を持って指揮すれば、臆病者も勇者になる。二晩のうちに宣陽は定まった。これもまた公の功である。蒼梧王は暴虐をほしいままにし、中華は煮えたぎった。みだりな刑罰をほしいままにし、誰が罪なくいられよう。民は互いに悲しみ、朝に夕べを計れなかった。高祖の事業はすでに沈み、文明の軌跡を誰が継ぐのか。公は遠く殷と漢の義に照らし、近く魏と晋の先例に従い、わが身をもって宗廟社稷を奉じた。七つの廟は静まり、九つの地域は政に返った。これもまた公の功である。
解説
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