長短経 / 覇図
勒纂兵戒期襲浚、而懼劉琨及鮮卑為其後患、沈吟未發。張賔曰、「夫襲敵國、當出其不意、軍嚴經日不行、豈顧有三方之慮乎?」勒曰、「然、為之奈何?」賔曰、「王彭祖之據幽州、唯仗三部、今皆離叛、還為寇讐此則外無聲援以抗我也、幽州飢儉、人皆蔬食、衆叛親離、甲旅寡弱、此内無强兵以禦我也。若大軍在郊、必土崩瓦解。今三方未靖、將軍便能懸軍千里以征幽州也、輕軍往反、不出二旬、就使三方有動、勢足旋趾、宜應機電發、勿後時也。且劉琨、王浚雖同名晉藩、其實仇敵。若修牋於琨、送質請和、琨必欣於得我、喜於浚滅、終不救浚而襲吾也。」
新字:勒纂兵戒期襲浚、而懼劉琨及鮮卑為其後患、沈吟未発。張賓曰、「夫襲敵国、当出其不意、軍厳経日不行、豈顧有三方之慮乎?」勒曰、「然、為之奈何?」賓曰、「王彭祖之拠幽州、唯仗三部、今皆離叛、還為寇讐此則外無声援以抗我也、幽州飢倹、人皆蔬食、衆叛親離、甲旅寡弱、此内無強兵以禦我也。若大軍在郊、必土崩瓦解。今三方未靖、将軍便能懸軍千里以征幽州也、軽軍往反、不出二旬、就使三方有動、勢足旋趾、宜応機電発、勿後時也。且劉琨、王浚雖同名晋藩、其実仇敵。若修牋於琨、送質請和、琨必欣於得我、喜於浚滅、終不救浚而襲吾也。」
書き下し
勒、兵を纂め期を戒めて浚を襲わんとす。而して劉琨及び鮮卑の其の後患と為るを懼れ、沈吟して未だ発せず。張賓曰く「夫れ敵国を襲うは、当に其の不意に出づべし。軍、厳にして日を経て行かず。豈に顧って三方の慮り有らんや」と。勒曰く「然り。之を為すこと奈何」と。賓曰く「王彭祖の幽州に拠るは、唯だ三部に仗るのみ。今、皆な離叛し、還りて寇讐と為る。此れ則ち外に声援無くして以て我に抗するなり。幽州は飢倹にして、人皆な蔬食す。衆叛き親離れ、甲旅は寡弱なり。此れ内に強兵無くして以て我を禦ぐなり。若し大軍、郊に在らば、必ず土崩瓦解せん。今、三方未だ靖まらざるに、将軍便ち能く軍を千里に懸けて以て幽州を征す。軽軍にて往反すれば、二旬を出でず。就し三方に動有らしむとも、勢いは趾を旋らすに足る。宜しく機に応じて電のごとく発し、時に後るる勿かれ。且つ劉琨・王浚は晋の藩と名を同じくすと雖も、其の実は仇敵なり。若し牋を琨に修め、質を送りて和を請わば、琨は必ず我を得るを欣び、浚の滅ぶを喜び、終に浚を救いて吾を襲わざらん」と。
現代語訳
石勒は兵を集めて期日を定めて王浚を襲おうとした。しかし劉琨と鮮卑が後の憂いになることを恐れ、迷って動かなかった。張賓が言った。「敵国を襲うのは、不意を突くべきです。軍を厳しく整えて日を重ねても動かない。三方向の心配などしている場合ですか」。石勒は言った。「そのとおりだ。どうすればよい」。張賓は言った。「王浚が幽州に拠るのは、三つの部族に頼っているだけです。いまみな離反し、かえって敵になっている。これは外に援けがなく、我々に抗えないということです。幽州は飢えて乏しく、人はみな野菜を食べている。人心は離れ、兵は少なく弱い。これは内に強兵がなく、我々を防げないということです。もし大軍が郊外に至れば、必ず土が崩れ瓦が解けるように崩れます。いま三方が静まらないうちに、将軍は千里に軍を懸けて幽州を征伐なさい。軽装の軍で往復すれば二十日もかからない。三方に動きがあっても、踵を返すだけの余裕があります。機に応じて稲妻のように発し、時機に遅れないように。それに劉琨と王浚は同じ晋の藩と名乗っていますが、実は仇敵です。書状を劉琨に送り、人質を送って和を請えば、劉琨は必ず我々を得たことを喜び、王浚が滅ぶのを喜んで、王浚を救って我々を襲うことはありません」。
解説

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