長短経 / 七雄略
「魏地方不至千里、卒不過三十萬。地四平、諸侯四通、條達輻凑無名山大川之限。從鄭至梁、二百餘里、車馳人走、不待倦而至。梁、南與楚境、西與韓境、北與趙境、東與齊境。卒戍四方、守亭障者不下十萬。梁之地勢、固戰場也〔大梁、今汴州是也。〕
新字:「魏地方不至千里、卒不過三十万。地四平、諸侯四通、条達輻凑無名山大川之限。従鄭至梁、二百余里、車馳人走、不待倦而至。梁、南与楚境、西与韓境、北与趙境、東与斉境。卒戍四方、守亭障者不下十万。梁之地勢、固戦場也〔大梁、今汴州是也。〕
書き下し
「魏の地は方千里に至らず、卒は三十万に過ぎず。地は四平にして、諸侯四通し、条達輻湊す。名山大川の限り無し。鄭より梁に至るまで、二百余里。車馳せ人走らば、倦むを待たずして至らん。梁は、南は楚と境し、西は韓と境し、北は趙と境し、東は斉と境す。卒、四方を戍り、亭障を守る者は十万を下らず。梁の地勢は、固より戦場なり。〈大梁は、今の汴州、是なり。〉
現代語訳
「魏の土地は千里四方にも足らず、兵は三十万を越えない。土地は四方とも平らで、諸侯と四方に通じ、道が放射状に集まっている。名だたる山も大河の隔てもない。鄭から大梁まで二百余里。車を走らせ人が走れば、疲れないうちに着く。大梁は南で楚と境を接し、西で韓と、北で趙と、東で斉と接している。兵が四方を守り、砦を守る者は十万を下らない。大梁の地勢は、もともと戦場である。〈大梁は今の汴州である。〉
解説
蘇秦が人口の多さを誇った同じ魏を、張儀は逆から描きます。土地は狭く、平らで、隔てる山も川もなく、四方の国と境を接している。十万を守備に張りつけていることまで指摘する。同じ事実を、誇りにも弱点にも語れる。相手の国土をどう語るかで、そこから導かれる結論が決まります。土地も人も変わっていないのに、語り方だけで結論が入れ替わりました。
この章句が説くこと
七雄略張儀魏王大梁地勢連衡
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