長短経 / 七雄略
張儀説楚懷王曰、「秦地半天下、兵敵四國、被山帯河、四塞以為固。〔范雎説秦昭王曰、「大王之國、四塞以為固、北有甘泉、谷口、南有涇渭、右隴蜀、左闗阪、奮擊百萬、戰車千乘、利則出攻、不利則入守、此王者之地。民怯於私鬬、勇於公戰、此王者之人。王并此二者而有之、以當諸侯、譬如放韓盧而捕蹇兎也。〕
新字:張儀説楚懐王曰、「秦地半天下、兵敵四国、被山帯河、四塞以為固。〔范雎説秦昭王曰、「大王之国、四塞以為固、北有甘泉、谷口、南有涇渭、右隴蜀、左関阪、奮撃百万、戦車千乗、利則出攻、不利則入守、此王者之地。民怯於私闘、勇於公戦、此王者之人。王并此二者而有之、以当諸侯、譬如放韓盧而捕蹇兎也。〕
書き下し
張儀、楚の懐王に説きて曰く「秦の地は天下に半ばし、兵は四国に敵し、山を被り河を帯び、四塞にして以て固しと為す。〈范雎、秦の昭王に説きて曰く「大王の国は、四塞にして以て固しと為す。北に甘泉・谷口有り、南に涇・渭有り、右は隴・蜀、左は関阪なり。奮撃百万、戦車千乗。利あれば則ち出でて攻め、利あらずんば則ち入りて守る。此れ王者の地なり。民は私闘に怯え、公戦に勇なり。此れ王者の人なり。王、此の二者を并せて之を有つ。以て諸侯に当たるは、譬えば韓盧を放ちて蹇兎を捕らうが如きなり」と。〉
現代語訳
張儀が楚の懐王に説いた。「秦の土地は天下の半ばを占め、兵は四つの国に匹敵し、山を背負い河を帯び、四方が塞がって堅固である。〈范雎が秦の昭王に説いた。「大王の国は四方が塞がって堅固である。北に甘泉と谷口、南に涇水と渭水、右は隴と蜀、左は関の坂。突撃する兵は百万、戦車は千台。有利なら出て攻め、不利なら入って守る。これが王者の土地です。民は私闘には臆病で、公の戦には勇敢です。これが王者の民です。王はこの二つをあわせて持っている。諸侯に当たるのは、たとえば名犬の韓盧を放って足の悪い兎を捕らえるようなものです」。〉
解説
秦の強みを、地形と人の気質の二つに分けて述べます。有利なら出て不利なら籠もれる地形と、私闘を嫌い公の戦に勇む民。制度だけでも地形だけでもない。商鞅の法が浸透した結果が、民の気質として定着していることを指しています。二つが揃っているから、名犬が足の悪い兎を追うようなものだ、と。制度は、人の気質に沈むまで時間がかかります。
この章句が説くこと
七雄略范雎張儀秦四塞民の気質
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