長短経 / 三国権
晋時、李特復據蜀。〔初、特在蜀暴横、晋乃募取特兄弟、許以重賞。未暇、宣聞、遂不蔵李特子驤見書、悉改其購云、「敢斬六郡人頭首李、任、閻趙等及氐侯王一人、詣官、許以重賞。」六郡人見之大駭、遂並反歸特。益州牧羅尚遣隗伯攻李雄於郫城、迭有勝負。冬十月、雄與朴泰金、鞭之流血、令泰佯得罪奔尚、欲為内應。尚信之、以兵随泰、雄内外擊之、大破尚軍。雄乗勝追躡、夜至城下、因稱萬嵗、誑尚城中云、「已得郫城。」尚信之、開少城門、雄軍得入。尚遂遁走、遂克成都稱王也。〕
新字:晋時、李特復拠蜀。〔初、特在蜀暴横、晋乃募取特兄弟、許以重賞。未暇、宣聞、遂不蔵李特子驤見書、悉改其購云、「敢斬六郡人頭首李、任、閻趙等及氐侯王一人、詣官、許以重賞。」六郡人見之大駭、遂並反帰特。益州牧羅尚遣隗伯攻李雄於郫城、迭有勝負。冬十月、雄与朴泰金、鞭之流血、令泰佯得罪奔尚、欲為内応。尚信之、以兵随泰、雄内外撃之、大破尚軍。雄乗勝追躡、夜至城下、因称万歳、誑尚城中云、「已得郫城。」尚信之、開少城門、雄軍得入。尚遂遁走、遂克成都称王也。〕
書き下し
晋の時、李特復た蜀に拠る。〔初め、特、蜀に在りて暴横す。晋乃ち特の兄弟を募り取らんとし、許すに重賞を以てす。未だ暇あらざるに、宣べ聞こえ、遂に蔵れず。李特の子驤、書を見て、悉く其の購を改めて云う「敢えて六郡の人の頭首李・任・閻・趙等及び氐の侯王一人を斬りて、官に詣る者には、許すに重賞を以てす」と。六郡の人之を見て大いに駭き、遂に並びに反して特に帰す。益州牧羅尚、隗伯を遣わして李雄を郫城に攻めしめ、迭いに勝負有り。冬十月、雄は朴泰と金し、之を鞭ちて血を流さしめ、泰をして佯りて罪を得て尚に奔らしめ、内応を為さんと欲す。尚之を信じ、兵を以て泰に随わしむ。雄、内外より之を撃ち、大いに尚の軍を破る。雄勝ちに乗じて追躡し、夜城下に至り、因りて万歳と称し、尚の城中を誑きて云う「已に郫城を得たり」と。尚之を信じ、少城の門を開き、雄の軍入るを得たり。尚遂に遁走し、遂に成都に克ちて王と称するなり。〕
現代語訳
晋のとき、李特がまた蜀に拠った。〔はじめ李特は蜀で乱暴をはたらいていた。晋は李特兄弟の首に重い賞金をかけて募った。まだ実行に移す前に話が広まり、隠しきれなくなった。李特の子の李驤はその布告を見て、懸賞の中身をすべて書き換えた。「六郡の流民の頭領である李・任・閻・趙らや、氐族の侯王の首一つでも斬って役所に持ってきた者には、重い賞を与える」。六郡の人々はこれを見て大いに驚き、皆反乱して李特についた。益州牧羅尚は隗伯を遣わして郫城の李雄を攻めさせ、勝ったり負けたりした。冬十月、李雄は朴泰と示し合わせ、朴泰を血が出るほど鞭打ち、罪を得て逃げたふりをさせて羅尚のもとへ行かせ、内応させようとした。羅尚は信じて、兵を朴泰につけて出した。李雄は内と外から挟み撃ちにし、羅尚の軍を大いに破った。李雄は勝ちに乗じて追撃し、夜に城下に着くと万歳を叫び、羅尚の城中を「すでに郫城を得た」と欺いた。羅尚はこれを信じて少城の門を開き、李雄の軍は中に入れた。羅尚は逃げ去り、李雄はついに成都を取って王を名乗った。〕
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『長短経』五間晋の時、益州牧羅尚、隗伯をして李雄を郫城に攻めしめ、迭いに勝負有り。雄乃ち武都の人朴泰を募り、之を鞭ちて血を見わし、羅尚を譎き、内応を為さんと欲し、火を以て期と為さしむ。尚之を信じ、悉く精兵を出だし、隗伯等を遣わして率領して泰に従わしむ。李雄は先に李驤をして道に伏を設けしむ。泰は長梯を以て城に倚せて火を挙ぐ。伯の軍火の起こるを見て、皆争いて梯に縁る。泰又た縄を以て尚の軍百余人を汲み上げ、皆之を斬る。雄因りて兵を放ち、内外より之を撃ち、大いに尚の軍を破る。此れ内間を用うるの勢いなり。
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『長短経』三国権晋の末に至り、譙縦復た蜀を竊む。宋の劉裕、朱齢石をして蜀を伐たしめ、声して内水より成都を取らんと言い、敗衣羸老をして水口に進ましむ。譙縦果たして其の内水より上らんことを疑い〔議に曰く、内水は涪江なり〕、悉く軍を新城にして以て之を待つ。乃ち朱齢石等に精鋭を配し、逕ちに外水より〔議に曰く、外水は泜江なり。今の雒県の水の若き是れなり〕直ちに成都に至り、戦わずして縦を禽にす〔事は覇紀の上に具わる〕。此れ蜀を滅ぼすの形なり。
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『長短経』三国権益部の功曹李熊、述に説きて曰く「方今、四海波蕩し、匹夫横議す。将軍は千里を割拠し、地は湯・武に什す。若し威徳を奮発して、以て天の隙に投ぜば、霸王の業成らん。今、山東は饑饉にして、人民相食み、兵の屠滅する所、城邑丘墟たり。蜀の地は沃野千里、土壌膏腴にして、果実の生ずる所、穀無くして飽く。女工の業は天下を覆い衣せ、名材竹幹、器械の饒かなること、勝げて用うべからず。又た魚塩・銅鉄の利、浮水転漕の便有り。北は漢中に拠りて、褒斜の隘を杜ぎ、東は巴郡を守りて、扞関の口を拒ぐ。地は方数千里、戦士は百万を下らず。利を見れば則ち兵を出して地を略し、利無ければ則ち堅守して農に力む。東は漢水を下りて、以て秦の地を闚い、南は江流に順いて、以て荊・揚を震わす。所謂天を用い地に因る、成功の資なり。今、君王の声は天下に聞こゆるも、位号未だ定まらず、志士狐疑す。宜しく即ち大位に即きて、遠人をして帰依する所有らしむべし」と。
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『長短経』三国権霊帝の時に至りて、政理衰欠し、王室故多く、雄豪角逐し、疆宇を分裂す。劉焉を以て益州牧と為す。〔焉は魯恭王の後なり。時に四方兵寇あり。焉以為えらく、刺史は威軽しと。乃ち建議して改めて牧伯を置き、方夏を鎮安し、清く重臣を選びて以て其の任に居らしむ。焉を以て益州牧と為す。是の時、梁州の賊馬相、疲役の人数千を聚め、先ず綿竹の令を殺し、進みて雒県を攻む。州の従事賈龍、先に兵数百を領して犍為に在り、遂に吏人を糾合して相を攻め、之を破る。乃ち吏を選びて焉を迎え、遂に益州牧を領するなり。〕焉死し、子の璋立つ。〔州の大吏趙韙等、璋の温仁なるを貪り、立てて刺史と為す。初め、南陽・三輔の人数万戸、益州に流入す。焉悉く収めて以て兵と為し、名づけて東州兵と曰う。璋は性柔寛にして、威略無く、東州の人侵暴す。趙韙、人情の緝らざるに因りて、乃ち州中の大姓と結ぶ。東州の人は誅滅せらるるを畏れ、乃ち心を同じくし力を并せ、璋の為に殊死して戦い、趙韙を斬る。時に張魯も亦た璋の懦弱なるを以て、璋に承順せず、遂に巴蜀に自ら雄たるなり。〕劉備の囲む所と為り、遂に降る。〔備、璋を公安に遷し、其の財宝を帰す。後に病を以て卒す。〕
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『長短経』三国権王莽の末、公孫述、蜀に拠る。〔述、字は子陽、扶風茂陵の人なり。王莽の時、導江の卒正と為り、臨邛を治む。更始の立つに及び、豪傑各々其の県に起ちて以て漢に応ず。南陽の人宗成、漢中を略し、商の人王岑も亦た兵を雒県に起こし、自ら定漢将軍と称して、以て成に応ず。述之を聞き、使いを遣わして成を迎う。成等成都に至り、虜掠暴横す。述、意に之を悪み、県中の豪傑を召して謂いて曰く「天下同じく新室に苦しみ、劉氏を思うこと久し。故に漢の将軍到ると聞き、道路に馳せ迎う。今、百姓辜無くして婦子係獲せられ、室屋焼燔せらる。此れ寇賊にして、義兵に非ざるなり。吾、郡を保ちて自ら守り、以て真主を待たんと欲す。諸卿、力を并せんと欲する者は即ち留まれ。欲せざる者は便ち去れ」と。豪傑皆叩頭して死を効さんことを願う。述、是に於て人をして詐りて漢の使者東方より来たると称し、述に輔漢将軍・益州牧を仮せしむ。乃ち精兵千余人を選びて宗成等を撃ち、之を破る。別に弟の恢を遣わして綿竹に更始の置く所の益州刺史張忠を撃たしめ、又た之を破る。是に由りて威、益部に震う者なり。〕
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