長短経 / 覇図
王郎詐為成帝子子輿、立為天子、都邯鄲、遣使降下郡國、世祖滅之。〔王昌一名王郎、趙國邯鄲人也。素為卜相、常以河北有天子氣、時趙繆王子林好竒數、任俠於趙、魏間、而郎與之善。初、王莽簒位、長安中或稱成帝子子輿者、莽殺之。郎縁是稱真子輿云。冬林等率車騎數百、晨入邯鄲城、立郎為天子。世祖進攻邯鄲、郎少傅李立為反間、開門内漢軍、遂㧞邯鄲、斬王郎。収文書、得人吏與郎交闗、謗毁上者数千章。世祖不省、㑹諸将燒之、曰、「令反側子自安也。」〕
新字:王郎詐為成帝子子輿、立為天子、都邯鄲、遣使降下郡国、世祖滅之。〔王昌一名王郎、趙国邯鄲人也。素為卜相、常以河北有天子気、時趙繆王子林好奇数、任侠於趙、魏間、而郎与之善。初、王莽簒位、長安中或称成帝子子輿者、莽殺之。郎縁是称真子輿云。冬林等率車騎数百、晨入邯鄲城、立郎為天子。世祖進攻邯鄲、郎少傅李立為反間、開門内漢軍、遂抜邯鄲、斬王郎。収文書、得人吏与郎交関、謗毀上者数千章。世祖不省、会諸将焼之、曰、「令反側子自安也。」〕
書き下し
王郎、詐りて成帝の子子輿と為り、立ちて天子と為り、邯鄲に都し、使いを遣わして郡国を降下せしむ。世祖、之を滅ぼす。〈王昌、一名は王郎、趙国邯鄲の人なり。素より卜相を為し、常に河北に天子の気有りと以う。時に趙繆王の子林、奇数を好み、趙・魏の間に任俠す。而して郎、之と善し。初め、王莽、位を簒うや、長安中、或いは成帝の子子輿と称する者あり。莽、之を殺す。郎、是に縁りて真の子輿と称すと云う。冬、林等、車騎数百を率い、晨に邯鄲城に入り、郎を立てて天子と為す。世祖、進みて邯鄲を攻む。郎の少傅李立、反間と為り、門を開きて漢軍を内る。遂に邯鄲を抜き、王郎を斬る。文書を収め、人吏の郎と交関し、上を謗毀する者数千章を得たり。世祖、省みず、諸将を会して之を焼きて曰く「反側子をして自ら安んぜしむるなり」と。〉
現代語訳
王郎は成帝の子の子輿だと偽って天子に立ち、邯鄲に都し、使者を出して郡国を降伏させた。世祖はこれを滅ぼした。〈王昌は別名を王郎といい、趙国邯鄲の人である。もとから占いを業とし、常に河北に天子の気があると考えていた。当時、趙の繆王の子の林は珍しい術数を好み、趙と魏のあいだで俠を任じていた。王郎は彼と親しかった。はじめ王莽が位を奪ったとき、長安で成帝の子の子輿だと称する者があった。王莽はこれを殺した。王郎はそれに乗じて自分が本物の子輿だと称したという。冬、劉林らが車騎数百を率いて明け方に邯鄲城に入り、王郎を立てて天子とした。世祖は進んで邯鄲を攻めた。王郎の少傅李立が内通し、門を開いて漢軍を入れた。こうして邯鄲を抜き、王郎を斬った。文書を押収すると、役人が王郎と通じて上をそしった書状が数千通あった。世祖は目を通さず、諸将を集めてこれを焼いて言った。「動揺している者たちを、自分から安心させるためだ」。〉
解説
この章句が説くこと
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