長短経 / 品目
所謂賢者、徳不踰閑、〔閑、法也。〕行中規繩、言足法於天下而不傷其身、〔言滿天下、無口過也。〕道足化於百姓而不傷於本。〔本、亦身也。〕富則天下無菀財、〔菀、積。〕施則天下不病貧。此則賢者也。
新字:所謂賢者、徳不踰閑、〔閑、法也。〕行中規縄、言足法於天下而不傷其身、〔言満天下、無口過也。〕道足化於百姓而不傷於本。〔本、亦身也。〕富則天下無菀財、〔菀、積。〕施則天下不病貧。此則賢者也。
書き下し
所謂賢なる者は、徳は閑を踰えず、〔閑は法なり。〕行は規縄に中たる。言は天下に法とするに足りて其の身を傷つけず、〔言天下に満つるも口過無きなり。〕道は百姓を化するに足りて本を傷つけず。〔本も亦た身なり。〕富めば則ち天下に菀財無く、〔菀は積なり。〕施せば則ち天下貧に病まず。此れ則ち賢者なり。
現代語訳
賢者というのは、徳が枠を越えず、〔閑とは法度のことである。〕行いがコンパスと墨縄に当たっている。その言葉は天下の手本とするに足りながら自分の身を傷つけず、〔言葉が天下に満ちても口の過ちがないということである。〕その道は民を教化するに足りながら根本を傷つけない。〔本もまた身のことである。〕豊かになれば天下に溜め込まれた財がなくなり、施せば天下は貧しさに苦しまない。これが賢者である。
解説
賢者の条件には、力を持ちながら自分を壊さないという条件が入ります。天下の手本になるほど発言しながら失言で身を滅ぼさない。民を教化するほど影響力を持ちながら根本を損なわない。影響力が大きい人ほど、その力が自分に跳ね返って身を滅ぼすという観察が前提にあります。さらに、賢者が富むと天下の滞留財がなくなる、という一句が独特です。富が一人に集まることが、かえって全体の詰まりを解く場合がある、という見方です。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
人物鑑識五儀賢者影響力口過施す
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