長短経 / 察相
《春秋左氏傳》曰、「楚子將以商臣為太子、訪諸令尹子上。子上曰、『是人也、蜂目豺聲、忍人也、不可立也。』弗聽。後謀反、以宫甲圍成王、縊之。」又曰、「楚司馬子良生子越椒、子文曰、『必殺之。是人也、熊虎之狀而豺狼之聲。弗殺、必滅若敖氏矣。諺曰、「狼子野心。」是乃狼也、其可畜乎?』子良不可、後果反、攻主楚王鼔而進、遂滅若敖氏。」
新字:《春秋左氏伝》曰、「楚子将以商臣為太子、訪諸令尹子上。子上曰、『是人也、蜂目豺声、忍人也、不可立也。』弗聴。後謀反、以宮甲囲成王、縊之。」又曰、「楚司馬子良生子越椒、子文曰、『必殺之。是人也、熊虎之状而豺狼之声。弗殺、必滅若敖氏矣。諺曰、「狼子野心。」是乃狼也、其可畜乎?』子良不可、後果反、攻主楚王鼓而進、遂滅若敖氏。」
書き下し
春秋左氏伝に曰く「楚子、将に商臣を以て太子と為さんとし、諸を令尹子上に訪う。子上曰く『是の人や、蜂目豺声、忍人なり。立つ可からざるなり』と。聴かず。後に謀反し、宮甲を以て成王を囲み、之を縊る」と。又た曰く「楚の司馬子良、子越椒を生む。子文曰く『必ず之を殺せ。是の人や、熊虎の状にして豺狼の声あり。殺さずんば、必ず若敖氏を滅ぼさん。諺に曰く、狼子野心と。是れ乃ち狼なり、其れ畜う可けんや』と。子良は不可とす。後に果たして反し、楚王を攻め、鼓して進む。遂に若敖氏を滅ぼす」と。
現代語訳
春秋左氏伝にこうある。「楚王が商臣を太子に立てようとして、宰相の子上に相談した。子上は言った。『この人は、蜂のような目に豺のような声をしている。残忍な人です。太子に立ててはなりません』。楚王は聞かなかった。のちに商臣は謀反を起こし、宮中の兵で成王を囲み、絞め殺した」。またこうある。「楚の司馬子良に子越椒が生まれた。子文は言った。『必ずこの子を殺せ。この子は熊や虎の姿に豺や狼の声をしている。殺さなければ、必ず若敖氏を滅ぼす。ことわざに狼の子は野心を持つという。これは狼だ。飼っておけるものか』。子良は承知しなかった。のちに果たして謀反し、楚王を攻め、太鼓を打って進んだ。ついに若敖氏を滅ぼした」。
解説

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